HULU(オンデマンド動画サイト)見てたら、宇宙の特集の番組があったので、昔からそういうのに興味があったので、3つほど見た。そしたら、結構いろいろ考えてみた。で、その考えをまとめてみたいと思います。 まぁ、雑学程度に、発掘あるある大辞典見てるくらいの気持ちで見てみてください。
まず歴史的な認識から。
まずニュートン物理学があります。3次元で、宇宙は固定で、普通の人間の認識と、ニュートン物理学の想定している世界に、感覚的な差異はあまりありません。時間は絶対です。「リンゴが木から落ちたら、下に落ちるよね?」「うん、落ちる落ちる、うけるぅ」って感じです。
ところが、アインシュタインが「光が最速で動くとすると、ニュートン物理学成り立たなくね?」ってことで、考えてみました。結果、時間とか、重力とか、空間とか、全然、今までの感覚的な世界とは、かけ離れた仮説が浮き上がりました。「光の速さで動くと、時計が狂う」とか、「ものすごい重力のところでは時間が遅くなる」とか、マジありえない仮説でした。でも、アインシュタインがはじき出した計算と、実測値はぴっちりばっちりあたっていました。ということで「アインシュタイン、奇人的な説なんですけど、マジ神理論なんですけど」的な感じになりました。
ところがところが、天体を観測しているハッブルというオッサンが「宇宙膨張しとるぞ」とか言い出すから、話はこんがらがります。重力で最終的には全部くっついて宇宙が終わりそうなものですが、むしろその逆で、宇宙は重力に逆らって、膨張しておるとか言い出すからです。でも、まず、宇宙の膨張は間違いありませんでした。
ポイントは「重力」と「それに逆らって宇宙が膨張」という点です。「重力」は良く知られている働きですが「それに逆らって宇宙が膨張」するようなエネルギーについては誰も検討してきませんでした。オッサン達(と、その他老若男女)は、「ありえへん、宇宙には、宇宙膨張を促す未知のエネルギーで満ち満ちている計算になるやないけぇ」と驚きあきれました。「おっしゃ、じゃぁ、その未知の宇宙膨張エネルギーをダークマター(暗黒物質)と名づけたるんやぁ」ということになりました、と。
※電磁気学と、量子力学は、端折ります。話がややこしくなるので。
ポイントは「重力」VS「ダークマター(暗黒物質)」という2点です。対立しています。しかも片方は発見すらされていません。
これをどうまとめるんですか?という話。
で、考えたんですけど、上の文章を見るとおり、私、日本語、下手ね?わかる?。
おもっくそ引用したいと思います。
※リンクのサイトのベストアンサーをひろって読んでみてください。
↓重力の正体について
YAHOO!知恵袋:重力のメカニズムについて教えてください。 アインシュタインは空間の歪みといいま...
重力というのは、「無重力空間にあるロケットがいきなり加速したときに感じる引っ張られている感じ」そのもの、つまり慣性の法則の「その場に居ようとするちから」そのものなのです。つまり、重力、なんていう力は存在しないのです!ガビーン!……はい。
「じゃぁ、引力はどうなるの?」ということですが、これも書いてありますね、そうです、床がトランポリンなんです。「床がトランポリンのロケットにボーリングの球とビリヤードの球を、ちょっと離れたところに置いて、急に加速すると…まず両方ともトランポリン床に着地(?)して、そして転がって、隣り合わせになるんですね。そう、見かけ上、“互いに引き合っている”ように見える」んですね。つまり、引力、なんていう力は存在せずに、トランポリンと、物質がその場に居ようとする力、が合わさって、見かけ上、そう見えるだけなんですね。
はい、じゃぁ、重力についてまとめるとこうなりますね。「慣性の法則とトランポリンがあれば、それ(重力/引力)っぽく見える」。まぁ、問題は、ロケットはロケット噴射でどこかへ向かっているのはわかるけど、じゃぁ、この宇宙はどこ向かってんの?動いてないけど?的なのりになりますよね。
で、次に行きますね。先に言うと「未来に向かってる」って話ですよ。(なんかの啓蒙書の言葉っぽいけど、物理学の話です)
話はいったん変わりますけれども、宇宙の中心ってどこかわかりますか?
↓宇宙の中心について
YAHOO!知恵袋:宇宙の中心はどこ?
計測すると「どうやら地球を中心にバーっと広がっているらしい」ってことが証明されたらしいです。?????
つまり、この実測値がもたらした(ほぼほぼ確定な)仮説は、「宇宙の中心はない。端っこと端っこはつながっておる」ということです。だから、地球儀や、銀河系は3次元の形で表現できるけど、宇宙全体は、3次元では表現し切れんような形で存在しておるそうなんです。
でね、ビッグバン理論とかでよく出てくる図がこうゆうようなんですね。
腐ったおいもじゃないですよ、これ。これね、ビッグバンが一番過去で、左かわの末広がりなのが現在ね。円の形しとりますね。これは、実際にはn次元の宇宙を(何次元あるかわからんから一応n次元という風に表記しておく)2次元になるまで端折った図ですね。一般的な地図と同じ。実際には立体物があるのに地図は2次元で表現してますね。似た感じで、乱暴にも何次元も端折った感じですね。
でもこのビッグバンの模式図って、時間の経過を表すための、一つの表現形式に過ぎないと考えられとる(よう)だけれども、これって宇宙の形に近い気がするんですよ、つまり、こういうこと。
目玉やろうじゃないですよ、これ。そう、ビッグバンが起こった点を中心に、4次元方向に3次元空間が広がっていくような図ね。こうすると、宇宙の中心が現在は(!)存在しないことがわかる。そう、宇宙の中心はビッグバン、そのもの。「ビッグバンが起きた地点」ではなく、「ビッグバンが起きた時空点」とでも言うべき存在。
まぁ、ここまで書けば、後の展開は簡単ですよね。「物質を未来方向へ運ぼうとするエネルギー(ビッグバンの力)」があって、それによって「3次元空間が膨張」して、「質量が重い物質のスピードが上がらなくて過去に取り残されて(つまり時間の流れが遅くなる)」って、似たように質量の高い物質が「互いに引き合って
いるように見えるけど、単にトランポリンと慣性の法則の働き」をする、と。
もう一度図にするとこんな感じになりますよね?
じゃがいもじゃないですよ、これ。こうすると、「重力」と「ダークマター(暗黒物質)」の矛盾は起こらない。というか、むしろ「一緒に考えないといけない」感じになる。「ダークマター(暗黒物質)」の正体は「時間次元と時間を進めるエネルギーのことでした」ちゃんちゃん。
…という風にはならないかなぁ、という話。
そういえばこちらの方をまったく書いていなかったです。
近況をざっくり解説しますと、
1)ゲームをじっくりとやりこむことにはまる。(1ヶ月くらい前~先週くらい)
2)仕事中頭を打って、調子が多少くるう。(2週間くらい前)
3)ゲームに飽きて、頭の調子も戻る。(今週)
という感じです。
今日思いついたのが、「GOOGLE翻訳的なノリと勢いを持った、英語自習ツール」というものです。これは、まず、WEBブラウザ的な何かで、まず、自分が興味のある、読みたい英語のページに跳びます。最初は、英語だけのページなので、英語の得意で無い人や、お子さんには、ちんぷんかんぷんです。そして、なんか、いくつかある学習レベルの中から一つを選択する、ということをします。例えば、中学生なら、「中学生レベル」というのを押します。そうすると、中学生で習うような英語だけ、英語のままで、他の難しい単語とかは、原文のまま、表示されます。で、レベルとか、は簡単に「小学生」「中学生」「高校生」「TOEIC何点」とか、そんな感じで、レベルを設定してある感じです。で、「この日本語は、どんな英語かな?」とか思ったら、その文章をクリックして、英和辞典を参照して、ぴょこっと飛び出す吹き出しが出てきて、どういう単語かわかります。で、その吹き出しの中には「学習しましたボタン」と「この単語の自分専用訳(コメント)」を編集できるようにします。「学習しましたボタン」は、それ以降、同じ単語が出てきたりした場合には、英語のままで表示されます。「自分専用訳(コメント)」は、次から表示される日本語訳を、自分で編集できる、的な機能です。GOOGLE翻訳と、関連付けて表現すると「自分で訳を作っていくGOOGLE翻訳」的な感じだと思います。このツールのポイントは、少しづつ日本語が消えていって、最終的には、全部英語で表示されているのに、全然読めてる俺/私すごくなぁ~い?的な気持ち良さが容易に想像できる点です。そして、通常の英語の勉強(特に受験の読解)よりも、短時間で効率よく(紙ベースで勉強すると、辞書をくる時間がもったいないし、じれったい)できる、と思うところです。別に辞書をくる技術を切磋琢磨しているわけじゃないので、そこをスピードアップできれば、効率化はできるはずです。あと、知らない単語一個の性で、文脈を理解するのが、一気に落ち込んでしまうのは、僕だけの悩みでは無いと思います。ということで、そういうようなツールがあってもいいんじゃないだろうか?いや、あったほうが良い!と思う今日でした。
で、話は変わりますが、最近、超、和牛が気になっていました。和牛の何が気になるかというと、まぁ、旨さについては、論じるまでもないとは思いますが、取引される和牛の品種の品評会について、気になっていました。何が気になるかというと、和牛というのは、確かに旨さもそうなんですが、たまたままぐれでおいしい部位をもってこれたとか、料理が旨かったとか、そんなんじゃなくて、コンスタントに旨くて安定した食肉を安定供給できる品種はどんなだ?的なことを評価するってことです。これは、つまり、製品としての質だけではなく、そのメインとなる生産手段をも評価する、ってことです。もちろんこれは理にかなっています。だって、まぐれのまぐれで、1万頭に1匹とても旨い牛肉になる牛を誕生させるような品種より,100頭中、ほとんどの牛が均質で旨い感じになってくれる方が、食肉業者としてはイイに決まってます!そうです、つまり、和牛品種の品評会は、「和牛」という「商品」を評価するのではなく、「和牛品種」という「会社」を評価する、といってもいいんじゃ無いでしょうか?つまり、チョコレートをこれに例えると、「旨いチョコレートは何か?」を競っているんじゃなくて「旨いチョコレートを作る会社はどこか?」ということを競っているということです。で、この評価基準が「手入れしやすい気性の落ち着いた品種であること。牝牛は健康で、たくさん子牛を生めること。雄牛旨い肉牛をつけること。」ということです。この基準を元に、各品種は、代表の種牛を選出し、その2第目にあたる牛を牝牛数頭、雄牛数頭を、品評会に提出します。2第目というのがポイントなんですけれど、この評価は、仕事上においてのあることを評価するときのヒントになりそうだと思いました。それは、人事評価そのものです。(ここまでの注意書きをしておくと、まず、牛の品種の品評会が、実際には、同だったか、については、かなりうろぼえなので、もし正確なことを知りたい方が居た場合は、この文章中にでてくることは、必ずしも信用しないでください。次に、僕なりに「人事考課ってどんなだろうな?」ってことに興味のあるので、それについて考える、あくまでもヒント、として、見ていた、ことを書こうとおもっている、という点です。だから、和牛の品評を、そのまま人事考課と一緒に考えている、ということではありません。)まず、「おとなしさ、や飼育のしやすさ」ということは、仕事上の人事的な観点から見ると「問題を起こさなそう、従順そう」ということになります。上司の命令を無視する人間は、少なくとも、大勢は組織の中にはいらないでしょう。次に、雄牛の「旨い肉をつける」という部分は、人間に置き換えると「仕事ができる」ということです。これは、まぁ、実際の仕事上の作業的な部分、最終的に誰かに頼まずにやってしまう部分、ということです。プレイヤーとしてすばらしい能力を持っている、ということがここの条件です。で、ここで一番面白いと思ったのが、牝牛の「安定して子牛を生める」ということです。これを人間に置き換えると、「部下を安定してたくさん育てられる」という形質です。いくら肉が旨くても、一代限りの肉ならば、それは品種として優良とはいえません。仕事上においても、いくらプレーヤーとしてズバ抜けていても、そのやり方を部下に教えられない人は、マネジャーになって苦労します。というところです。たしか、そのような要素を3対7だかの比率で評価するんだったような…。そのようなことを考えていました。
クーリエ・ジャパンに書いてあったんだけれど、「仕事が消えてまっせ兄さん!」的な内容。これって、大昔からそうで、人間の仕事は、かなり効率的になって、かなり、仕事は奪われ続けてきた。炭鉱労働者なんていったら、一昔(?)前まではざらに居たわけで、今となってはどこ探しても居ない。これは炭鉱労働が効率化、というより、より効率的な資源に移行しただけなんだけれど、根っこのところでは同じこと。つまり「現状の仕事のやり方は、もっと効率のいい何か、にとって変わられ続ける」ということ。この変化は大昔から存在している。で、「変化し続ける」っていう基本は何も変わっていない。仕事を奪うやつが、石油燃料だろうが、ロボットだろうが、単純に言えば、「効率化の一手段」なわけで、大差が無い(とみることもできる)。で、何がこの記事をそわそわさせるものにしているかっていうと、1)地上から仕事が無くなるのでは無いかという恐怖。2)少なくとも自分の生業が奪われるんじゃないかという恐怖。3)人間にしかできないと思われることもすべて機会が奪っていくんじゃないかという恐怖。的なそんな恐怖たちがこの特集を興味深いものにしている。まず、1)については、実は大昔から「近代化は効率的にものを生産するようになって、人々は余暇時間が増えて、逆に暇すぎて困るざんす」という予想をした人が居たくらいだ。まぁ、経済学者の重鎮だったケインズさんなんだけれども。このケインズの予想の失敗の原因は、「人間は衣食住を満たされれば、次に欲しくなるのはあらゆるものが欲しくなる動物だ」ってことを甘く見ていた性だと思う。つまり、人間は、常に次の欲求を持ち続けるので、つまりニーズは常に存在し続けるので、そのおかげで新しい産業が常に創造され続けるので、結果的に仕事は無くなると同時に増えもするってこと。で、次に2)の「自分の仕事が奪われるんじゃないかという恐怖」についてだけれど、これは、的を得ている。実際に過去を振り返れば、炭鉱労働者は、職を追われた。別に炭鉱労働者が、石油の掘削人に転職できたわけじゃない。破壊的イノベーションは、全く別の分野から横槍を入れることも珍しくない。ということで、自分の職業がこの先食っていけるのかどうかっていう観点はやっぱり大事だね、っていう話で落ち着く。3)は「人間ににしかできない仕事が奪われるという恐怖」。この恐怖は、「人間性
」への恐怖と言い換えてしまえる。1)は経済学的な恐怖。「仕事」が消える?ということ。2)は「生業」が消える恐怖。明日から自分の仕事が消える?ということ。3)は人間としての尊厳からくる恐怖。僕ら/私達から「人間らしさ」が消える?という恐怖。3)の恐怖は、今まで人間だけが持つとされた特別な機能、創造性とか、学習能力とか、その他もろもろ、が人間を人間として存在させ、そして、それが「人間を特別なもの」もっと言えば「人間が神に祝福されている」証拠として使われてきた。けれど、それが「ロボットとかにもできるけど?」となると、そのロジックが破綻する。つまり「人間なんて特別でも何でもないよ。なんなら地球を今支配してるんだって、時間の問題ですけど(笑)?」的なことを考えてしまうかも知れない。そういう恐怖っていうのは、存在する。つまり、無条件に自分達が保障されてきたような「人間ですから、とりあえずあなたは特別です。人間だから」というな自尊心の担保が消える恐怖、ってことになる。そういう恐怖は確かに存在はする。でもそれも杞憂だと思う。その昔、人間の力強さは神聖であったけれど、ショベルカーによって人間の自尊心と存在意義は希薄になったか?GOOGLE先生のせい人間は、無知になったか?パソコンは人間を考えない生き物に変えたか?とかとか…。大丈夫。人間は、「人間である」、というただ正にその理由だけで特別で在れる。なぜなら、その感覚を共有できるのが人間だけだから、(…という話もしたい)。
で、結局何が言いたいかって言うと「最終的に接客業はロボットにやらせられない。最悪、ロボットでも、人間にめちゃくちゃ近ければありな部分も出てくる。で、そうなったら、逆に生身の人間に接客されたくなるから、やっぱり接客業は、成立する。ロボットをサポートする人間も必要。ということで、A接客業、Bロボットエンジニア、は少なくとも近未来の職業として存在し続ける。」ということにしておく。
近況をざっくり解説しますと、
1)ゲームをじっくりとやりこむことにはまる。(1ヶ月くらい前~先週くらい)
2)仕事中頭を打って、調子が多少くるう。(2週間くらい前)
3)ゲームに飽きて、頭の調子も戻る。(今週)
という感じです。
今日思いついたのが、「GOOGLE翻訳的なノリと勢いを持った、英語自習ツール」というものです。これは、まず、WEBブラウザ的な何かで、まず、自分が興味のある、読みたい英語のページに跳びます。最初は、英語だけのページなので、英語の得意で無い人や、お子さんには、ちんぷんかんぷんです。そして、なんか、いくつかある学習レベルの中から一つを選択する、ということをします。例えば、中学生なら、「中学生レベル」というのを押します。そうすると、中学生で習うような英語だけ、英語のままで、他の難しい単語とかは、原文のまま、表示されます。で、レベルとか、は簡単に「小学生」「中学生」「高校生」「TOEIC何点」とか、そんな感じで、レベルを設定してある感じです。で、「この日本語は、どんな英語かな?」とか思ったら、その文章をクリックして、英和辞典を参照して、ぴょこっと飛び出す吹き出しが出てきて、どういう単語かわかります。で、その吹き出しの中には「学習しましたボタン」と「この単語の自分専用訳(コメント)」を編集できるようにします。「学習しましたボタン」は、それ以降、同じ単語が出てきたりした場合には、英語のままで表示されます。「自分専用訳(コメント)」は、次から表示される日本語訳を、自分で編集できる、的な機能です。GOOGLE翻訳と、関連付けて表現すると「自分で訳を作っていくGOOGLE翻訳」的な感じだと思います。このツールのポイントは、少しづつ日本語が消えていって、最終的には、全部英語で表示されているのに、全然読めてる俺/私すごくなぁ~い?的な気持ち良さが容易に想像できる点です。そして、通常の英語の勉強(特に受験の読解)よりも、短時間で効率よく(紙ベースで勉強すると、辞書をくる時間がもったいないし、じれったい)できる、と思うところです。別に辞書をくる技術を切磋琢磨しているわけじゃないので、そこをスピードアップできれば、効率化はできるはずです。あと、知らない単語一個の性で、文脈を理解するのが、一気に落ち込んでしまうのは、僕だけの悩みでは無いと思います。ということで、そういうようなツールがあってもいいんじゃないだろうか?いや、あったほうが良い!と思う今日でした。
で、話は変わりますが、最近、超、和牛が気になっていました。和牛の何が気になるかというと、まぁ、旨さについては、論じるまでもないとは思いますが、取引される和牛の品種の品評会について、気になっていました。何が気になるかというと、和牛というのは、確かに旨さもそうなんですが、たまたままぐれでおいしい部位をもってこれたとか、料理が旨かったとか、そんなんじゃなくて、コンスタントに旨くて安定した食肉を安定供給できる品種はどんなだ?的なことを評価するってことです。これは、つまり、製品としての質だけではなく、そのメインとなる生産手段をも評価する、ってことです。もちろんこれは理にかなっています。だって、まぐれのまぐれで、1万頭に1匹とても旨い牛肉になる牛を誕生させるような品種より,100頭中、ほとんどの牛が均質で旨い感じになってくれる方が、食肉業者としてはイイに決まってます!そうです、つまり、和牛品種の品評会は、「和牛」という「商品」を評価するのではなく、「和牛品種」という「会社」を評価する、といってもいいんじゃ無いでしょうか?つまり、チョコレートをこれに例えると、「旨いチョコレートは何か?」を競っているんじゃなくて「旨いチョコレートを作る会社はどこか?」ということを競っているということです。で、この評価基準が「手入れしやすい気性の落ち着いた品種であること。牝牛は健康で、たくさん子牛を生めること。雄牛旨い肉牛をつけること。」ということです。この基準を元に、各品種は、代表の種牛を選出し、その2第目にあたる牛を牝牛数頭、雄牛数頭を、品評会に提出します。2第目というのがポイントなんですけれど、この評価は、仕事上においてのあることを評価するときのヒントになりそうだと思いました。それは、人事評価そのものです。(ここまでの注意書きをしておくと、まず、牛の品種の品評会が、実際には、同だったか、については、かなりうろぼえなので、もし正確なことを知りたい方が居た場合は、この文章中にでてくることは、必ずしも信用しないでください。次に、僕なりに「人事考課ってどんなだろうな?」ってことに興味のあるので、それについて考える、あくまでもヒント、として、見ていた、ことを書こうとおもっている、という点です。だから、和牛の品評を、そのまま人事考課と一緒に考えている、ということではありません。)まず、「おとなしさ、や飼育のしやすさ」ということは、仕事上の人事的な観点から見ると「問題を起こさなそう、従順そう」ということになります。上司の命令を無視する人間は、少なくとも、大勢は組織の中にはいらないでしょう。次に、雄牛の「旨い肉をつける」という部分は、人間に置き換えると「仕事ができる」ということです。これは、まぁ、実際の仕事上の作業的な部分、最終的に誰かに頼まずにやってしまう部分、ということです。プレイヤーとしてすばらしい能力を持っている、ということがここの条件です。で、ここで一番面白いと思ったのが、牝牛の「安定して子牛を生める」ということです。これを人間に置き換えると、「部下を安定してたくさん育てられる」という形質です。いくら肉が旨くても、一代限りの肉ならば、それは品種として優良とはいえません。仕事上においても、いくらプレーヤーとしてズバ抜けていても、そのやり方を部下に教えられない人は、マネジャーになって苦労します。というところです。たしか、そのような要素を3対7だかの比率で評価するんだったような…。そのようなことを考えていました。
クーリエ・ジャパンに書いてあったんだけれど、「仕事が消えてまっせ兄さん!」的な内容。これって、大昔からそうで、人間の仕事は、かなり効率的になって、かなり、仕事は奪われ続けてきた。炭鉱労働者なんていったら、一昔(?)前まではざらに居たわけで、今となってはどこ探しても居ない。これは炭鉱労働が効率化、というより、より効率的な資源に移行しただけなんだけれど、根っこのところでは同じこと。つまり「現状の仕事のやり方は、もっと効率のいい何か、にとって変わられ続ける」ということ。この変化は大昔から存在している。で、「変化し続ける」っていう基本は何も変わっていない。仕事を奪うやつが、石油燃料だろうが、ロボットだろうが、単純に言えば、「効率化の一手段」なわけで、大差が無い(とみることもできる)。で、何がこの記事をそわそわさせるものにしているかっていうと、1)地上から仕事が無くなるのでは無いかという恐怖。2)少なくとも自分の生業が奪われるんじゃないかという恐怖。3)人間にしかできないと思われることもすべて機会が奪っていくんじゃないかという恐怖。的なそんな恐怖たちがこの特集を興味深いものにしている。まず、1)については、実は大昔から「近代化は効率的にものを生産するようになって、人々は余暇時間が増えて、逆に暇すぎて困るざんす」という予想をした人が居たくらいだ。まぁ、経済学者の重鎮だったケインズさんなんだけれども。このケインズの予想の失敗の原因は、「人間は衣食住を満たされれば、次に欲しくなるのはあらゆるものが欲しくなる動物だ」ってことを甘く見ていた性だと思う。つまり、人間は、常に次の欲求を持ち続けるので、つまりニーズは常に存在し続けるので、そのおかげで新しい産業が常に創造され続けるので、結果的に仕事は無くなると同時に増えもするってこと。で、次に2)の「自分の仕事が奪われるんじゃないかという恐怖」についてだけれど、これは、的を得ている。実際に過去を振り返れば、炭鉱労働者は、職を追われた。別に炭鉱労働者が、石油の掘削人に転職できたわけじゃない。破壊的イノベーションは、全く別の分野から横槍を入れることも珍しくない。ということで、自分の職業がこの先食っていけるのかどうかっていう観点はやっぱり大事だね、っていう話で落ち着く。3)は「人間ににしかできない仕事が奪われるという恐怖」。この恐怖は、「人間性
」への恐怖と言い換えてしまえる。1)は経済学的な恐怖。「仕事」が消える?ということ。2)は「生業」が消える恐怖。明日から自分の仕事が消える?ということ。3)は人間としての尊厳からくる恐怖。僕ら/私達から「人間らしさ」が消える?という恐怖。3)の恐怖は、今まで人間だけが持つとされた特別な機能、創造性とか、学習能力とか、その他もろもろ、が人間を人間として存在させ、そして、それが「人間を特別なもの」もっと言えば「人間が神に祝福されている」証拠として使われてきた。けれど、それが「ロボットとかにもできるけど?」となると、そのロジックが破綻する。つまり「人間なんて特別でも何でもないよ。なんなら地球を今支配してるんだって、時間の問題ですけど(笑)?」的なことを考えてしまうかも知れない。そういう恐怖っていうのは、存在する。つまり、無条件に自分達が保障されてきたような「人間ですから、とりあえずあなたは特別です。人間だから」というな自尊心の担保が消える恐怖、ってことになる。そういう恐怖は確かに存在はする。でもそれも杞憂だと思う。その昔、人間の力強さは神聖であったけれど、ショベルカーによって人間の自尊心と存在意義は希薄になったか?GOOGLE先生のせい人間は、無知になったか?パソコンは人間を考えない生き物に変えたか?とかとか…。大丈夫。人間は、「人間である」、というただ正にその理由だけで特別で在れる。なぜなら、その感覚を共有できるのが人間だけだから、(…という話もしたい)。
で、結局何が言いたいかって言うと「最終的に接客業はロボットにやらせられない。最悪、ロボットでも、人間にめちゃくちゃ近ければありな部分も出てくる。で、そうなったら、逆に生身の人間に接客されたくなるから、やっぱり接客業は、成立する。ロボットをサポートする人間も必要。ということで、A接客業、Bロボットエンジニア、は少なくとも近未来の職業として存在し続ける。」ということにしておく。
エフィカシーって言葉を最初に聞いたのは、苫米地博士が使っているのを見たからだ。
まず苫米地博士が、わからない人のために、この苫米地博士について語らなければいけないと思うけれど、平たく言うと、「認知科学(人間の学習についての専門)の大変に詳しい人で、実績で有名なのは、オウム真理教の信者の脱洗脳をやった人」である。本屋に行けば、たくさん本が並んでいる。で、すごい突拍子も無いことをサラッという人である。個人的な感想としては、「認知科学については詳しいんだろうけれど、歴史観とかの解釈は、ひねくれているんじゃないだろうかなぁ」というものです。
で、その人(苫米地博士)が、「ブスについて語る」っていう記事があった。その中でキーワードとして出てきたのが、エフィカシーということば。
認知科学者・苫米地博士が語るブスとは
この記事を読めば、苫米地博士がどんな人で、どんな論理展開をする人で、ぶっとんでいるっていうのが、わかると思う。
要するに「ブスって、自己評価の低い人のこと。それ以上でもそれ以下でも無い。世の中に絶対的な評価基準なんて無い。自分でどう思うかってのが、一番重要な基準になる。だから、自己評価を上げろ!エフィカシーを高く持つだけでいいんだ!それだけでブスじゃなくなるぜ!」ってこと。
で、このエフィカシーっていうのが、「自分は次に何ができそうか?」っていう期待感のこと。これは「過去の実績」とは、無関係で、「次はできそうかな?できるに違い無い!」っていう、根拠の無い自信みたいなものが重要ですよって話。(※ここの部分の説明をする際、上の記事で博士は「川から流れてくる風船の例」を出して説明しているが、これが、本当にわかりにくい!笑。だけど、「コーヒーカップの例」はすごくわかりやすいし、面白かった。)
まぁ、わかったようなわからないような感じだったので、ややもんもんとしていたんだけれど、僕は、ついにエフィカシーを一発で説明する動画に出会ってしまった!
そう、それは、子供の頃、無邪気に信じていた、「なんでもできちゃうはずなんだ!」っていうほとんど根拠の無い信念みたいなものだった。成長する過程で覚えてしまったその挫折感、無力感に隠れて、埋もれてしまったその万能感!それこそがエフィカシーの正体。もう一度、それをタンスの底から引っ張り出して、チャレンジしてみようぜ!っていう博士からの提案なんだと思う。
で、さらにさらに言えば、僕はこのエフィカシーって言葉に、「自己啓発」のすべての要素があると思う。それは、親が子に与える最大の教育であり、上司が部下に与えるべき最大の教育であり、個人が自分に与える最大の自己啓発であると思う。ただ期待するんじゃなくて、もう、勝手にできるって信じきってしまうこと。「~~~は、○○○が、できるかなぁ?できたらいいなぁ?できなくちゃヤバいなぁ?」じゃなくて、「~~~は、○○○ができるだけど、そんなことより…」みたいに、もう、問題にすらしないレベルの信じることが必要になる。そのためには、与える側(親/上司/教育者)が、自分自身に対してハイレベルなエフィカシーが必要になるんだろうと思う。無理やり期待をかけるのは、受け手にとってただの重荷になるけれど、期待というよりも、当然、って思うことみたいな。確か、そんな逸話が『七つの習慣』にも載っていたはず。コヴィー博士と、息子の話だったと思う。
それでもわからなかったら、とにかく以下のことを覚えておけばいい。
「ビスコを食えば!ブスが治る!」
まず苫米地博士が、わからない人のために、この苫米地博士について語らなければいけないと思うけれど、平たく言うと、「認知科学(人間の学習についての専門)の大変に詳しい人で、実績で有名なのは、オウム真理教の信者の脱洗脳をやった人」である。本屋に行けば、たくさん本が並んでいる。で、すごい突拍子も無いことをサラッという人である。個人的な感想としては、「認知科学については詳しいんだろうけれど、歴史観とかの解釈は、ひねくれているんじゃないだろうかなぁ」というものです。
で、その人(苫米地博士)が、「ブスについて語る」っていう記事があった。その中でキーワードとして出てきたのが、エフィカシーということば。
認知科学者・苫米地博士が語るブスとは
この記事を読めば、苫米地博士がどんな人で、どんな論理展開をする人で、ぶっとんでいるっていうのが、わかると思う。
要するに「ブスって、自己評価の低い人のこと。それ以上でもそれ以下でも無い。世の中に絶対的な評価基準なんて無い。自分でどう思うかってのが、一番重要な基準になる。だから、自己評価を上げろ!エフィカシーを高く持つだけでいいんだ!それだけでブスじゃなくなるぜ!」ってこと。
で、このエフィカシーっていうのが、「自分は次に何ができそうか?」っていう期待感のこと。これは「過去の実績」とは、無関係で、「次はできそうかな?できるに違い無い!」っていう、根拠の無い自信みたいなものが重要ですよって話。(※ここの部分の説明をする際、上の記事で博士は「川から流れてくる風船の例」を出して説明しているが、これが、本当にわかりにくい!笑。だけど、「コーヒーカップの例」はすごくわかりやすいし、面白かった。)
まぁ、わかったようなわからないような感じだったので、ややもんもんとしていたんだけれど、僕は、ついにエフィカシーを一発で説明する動画に出会ってしまった!
そう、それは、子供の頃、無邪気に信じていた、「なんでもできちゃうはずなんだ!」っていうほとんど根拠の無い信念みたいなものだった。成長する過程で覚えてしまったその挫折感、無力感に隠れて、埋もれてしまったその万能感!それこそがエフィカシーの正体。もう一度、それをタンスの底から引っ張り出して、チャレンジしてみようぜ!っていう博士からの提案なんだと思う。
で、さらにさらに言えば、僕はこのエフィカシーって言葉に、「自己啓発」のすべての要素があると思う。それは、親が子に与える最大の教育であり、上司が部下に与えるべき最大の教育であり、個人が自分に与える最大の自己啓発であると思う。ただ期待するんじゃなくて、もう、勝手にできるって信じきってしまうこと。「~~~は、○○○が、できるかなぁ?できたらいいなぁ?できなくちゃヤバいなぁ?」じゃなくて、「~~~は、○○○ができるだけど、そんなことより…」みたいに、もう、問題にすらしないレベルの信じることが必要になる。そのためには、与える側(親/上司/教育者)が、自分自身に対してハイレベルなエフィカシーが必要になるんだろうと思う。無理やり期待をかけるのは、受け手にとってただの重荷になるけれど、期待というよりも、当然、って思うことみたいな。確か、そんな逸話が『七つの習慣』にも載っていたはず。コヴィー博士と、息子の話だったと思う。
それでもわからなかったら、とにかく以下のことを覚えておけばいい。
「ビスコを食えば!ブスが治る!」
どうやら人間の感受性(センサーの感度)というのは、生後まもなくピークに達して、成長過程で、かなりガリガリ削られるらしい。ここでいう感受性(センサーの感度)というのは、視覚、聴覚、等々の微細な違いで、色であれば、非常に多彩で微妙な変化、音であれば音階などの微妙な違い、味ならば…という風に五感、つまり人間のセンサーの入力パターンの多彩さをあらわす。
普通、そのような感受性は高い方がよく、社会的にも能力が高いものとして、考えられている。確かに、絶対音感をもつひとは、普通の人よりも何か特殊な能力をもってすげぇような気がする。そして殊、音楽業界では、非常に重要な能力であったりもする。
しかしながら、実は、生後間も無い人間の脳みそは、全員絶対音感を持っているっぽい。絶対音感どころか、各種どのような言語の、どの方言の正確な違いを聞き分けることができるぽい。つまり、ある程度成長したら、その絶対音感やら、絶対アクセント聞き分け能力やらは、失われる。なぜか。
答えは、脳みその効率的な運営方法にある。脳みそは、生後間も無く、働き盛りのスーパーマンビジネスマンのどピークのマックスの仕事している時の脳みその活動と、同じかソレ以上のスピードで、五感で受けるすべての情報を処理しようと試みる。もちろん、その情報の多くは、全く生存に関係の無いものも多く含まれる。日本人にとってLとRの発音の違いは、ほとんど意味がない。ドとド#の音の違いを聞き分けられなくても死ぬことは無いし、コミュニケーション上、困ることもない。ということで、成長の過程で、そのような微細でどうでもいい(と、脳が判断した)情報は、間引かれる。つまり、そういうような感受性を失うということ。だって、そんなノイズを気にしていたら、本当に大事な情報が入ってきたときに邪魔になるし、無駄な情報を処理するにも、体の中の栄養素を消費する。脳みその情報処理もカロリーを消費する。ただじゃない。おなかへる。
ということで、感受性は成長の過程で失われる。そして、加齢が進むにつれて、さらに感受性が鈍ってくる。耳も悪くなる。
年齢を重ねれば、重ねるほど、感受性が悪くなる一方なら、人間の生存能力というのは、成長するほど下がっていきそうな気がしてくるが、そうでもない。
というのも、人間にには、思考パターンの最適化っていう、すばらしい能力があるから。この能力というのは、端的に言えば"知恵"、もっと平たく言えば"賢くなる"ということ。例えば、経験によって、「この場合は、こういうことが起こる」ってことを知るってこと。年齢を重ねるごとにこのような思考パターンというのは磨かれる傾向にある。
でも、思考パターンっていうのは、「このときは、こうなる」っていう予想の積み重なったものだから、まぁ、たまに外れる。世の中絶対ってことが無いように、絶対にあたる知恵とか思考パターンっていうのも存在しない。硬直的な思考がもとで思わぬ失敗をすることはよくある。「大丈夫大丈夫、いつも通っておる道じゃから心配ない」と言って事故にあうのも、そのそういうこと。
今日は久しぶりに大型の本屋さんにいった。やっぱり大型の本屋さんは大好きだ。もう、いろんな本が、いろんな専門の本がところ狭しと並んでいて、いうなれば、ディズニーランドだ。ディズニーランドより好きかもしれない。いや、それは言い過ぎかもしれない。
で、本屋さんで、気になるあれやこれについて、バンバン見てまわっていると、なんというか、激しい焦りに襲われることがある。つまり、「興味のあるいろんな分野のたくさんの本をたくさん読みたいけれど、お金にも限りがあるし、時間にも限りがあるし、もう、どうしよう!」という焦り。まぁ、これをディズニーランドに例えると、「このアトラクションにも、あのレストランにも、あのお土産も堪能したいけれど、お金も、時間も足りない!足りない!」というのとソックリだ。
で、時間を短縮する方法ということで、速読法とを身につければいいんじゃないかな、となんとなく考えてみたけれど、速読だと、時間は短縮されても、お金を節約できない。かつ、速読で読むのはいいけれど、結局のところ、それが頭に入っているのかが、非常に疑問だと思ったという点。まぁ、多分、速読を繰り返すうちに、理解速度も上がるんだろうね。知らんけど。いや、というか、速読って、今すぐにマスターできるわけでも無いから、「速読をマスターするための時間」ってのもさかなあかんっていうジレンマ。
で、速読法以外を考えてみると、その昔、とある大国の首長が難しい政治判断をするための判断材料を得るために利用していた方法を思い出した。というのは「ダイジェストを読む」ということ。このダイジェストを読むって行為は、ケネディー大統領がやっていたらしい。ケネディー大統領は「まぁ、オレは読むのそんなに遅くないよ?でもな、合衆国のトップとして判断するための判断材料て、膨大やん?めちゃくちゃ資料とかあるやん?オレの読書のスピードみあってないやん?だから、君達、100ページの資料とかをざっくりまとめて1ページのわかりやすいダイジェストにしてくれないかな?」と言ったかどうかは知らないけれど、そんな感じでダイジェストを活用していたらしい。まぁ、ダイジェストを作らせる優秀な部下がいる人は、そういう知識の得方もありますよ。基本的にダイジェストを作る時間の方が、普通に読む時間よりかかるけれど。でもその過程でよくよく考えて、理解してアウトプットするという意味では、いい知識の得方ではあると思うけれど。
で、速読も、ダイジェストもなかなかいい方法ではあるんだけれども、なかなか癖があって、「とにかく広く浅く学びたい!」っていう僕の欲求にマッチしない。
で、そこでひらめいたのが「目次をよく読みましょう!」という速い読み方の方法。つまり、ザックリ言えば目次っていうのは、本のダイジェストみたいなものだから、こういうところを読むと、結構内容が理解できたりするよね、って方法。確かにきちんと構成を考えて書かれた実用本は、目次が骨太でいい。はず。ただし、目次を読むのもなかなか疲れる。かつ、目次だけ読んでもちんぷんかんぷんなことも多い。
って、ところで、「じゃあ、本の題名だけ、読めばいいんじゃね?」というのが、発見というか、もしかしたら、何かの本で読んだかもしれん内容だけれども、今回のこの文章のメインテーマってことになる。このアイデアを実践するには、大きな本屋の気になる分野の書棚を真剣に読むことが必要になる。本屋は基本的に売れる本とか、ある程度人気のある本しか並んでいない。ということは、その本にはある程度、信用があるってこと。かつ、めちゃくちゃ信頼の置ける内容の本は、広くみなさんに読まれることになる。で、皆さんに読まれるような本のテーマ、アイデアというのは、凡庸な作家や著者が、さも自分のアイデアですよ、みたいな感じで自分の本に書いたり、権威付けのために引用をしたりする。そして、それがオリジナルだと思い込んだ皆さんによって、その本もまた、その分野の本棚に陳列されることになる。つまり、「強力な真実やアイデアは本屋の棚に幾度も出てくる」ということになる。つまり、一見分野は同じでも、中身は無秩序に並べられているような感覚を受ける本屋の棚も、俯瞰することによって、「強調されているテーマ」というのが浮き上がってくる。タイトルからその本の内容を想像し、次の本も想像し、次の本も想像し、…というのを繰り返すことによって、その分野の全体像を描ける。かつ、本屋さんというのは、店員さんとかが別に全部の本を詳しく知っている専門家じゃないので、「売れてる本を並べる」というかなり客観的な指標を基準に選んでいるので、少なくともマイナーなアイデアを軸に展開された、特定の本に偏ることも少ない。
で、何度もタイトルを眺めているうちに、全体像が見えてきて、その各本のタイトルが、全体像から見てどこの位置にいるのかってことがわかってきて、ピンポイントで読みたい本がわかるはずだ。必ずわかる。そして、その本のじっくり読み込めば、かなり効率的な読書になるはずだ。
つまり、本屋に言って、気になる分野の本棚をタイトルだけ見て内容を想像して、気になる本を何冊か読めばいい、ってこと。というか、やってる人は、普通にやってそうな気がする。というか、自分もなんとなくやっていたが、かなり意識的にやった方がいい、ってことが今回わかった。気になったらすぐに読み込んでしまいたくなる衝動を抑えて、三往復くらいタイトルだけで、分野の全体像を想像するって作業がかなり有効な気がする。そんな気がする。
で、本屋さんで、気になるあれやこれについて、バンバン見てまわっていると、なんというか、激しい焦りに襲われることがある。つまり、「興味のあるいろんな分野のたくさんの本をたくさん読みたいけれど、お金にも限りがあるし、時間にも限りがあるし、もう、どうしよう!」という焦り。まぁ、これをディズニーランドに例えると、「このアトラクションにも、あのレストランにも、あのお土産も堪能したいけれど、お金も、時間も足りない!足りない!」というのとソックリだ。
で、時間を短縮する方法ということで、速読法とを身につければいいんじゃないかな、となんとなく考えてみたけれど、速読だと、時間は短縮されても、お金を節約できない。かつ、速読で読むのはいいけれど、結局のところ、それが頭に入っているのかが、非常に疑問だと思ったという点。まぁ、多分、速読を繰り返すうちに、理解速度も上がるんだろうね。知らんけど。いや、というか、速読って、今すぐにマスターできるわけでも無いから、「速読をマスターするための時間」ってのもさかなあかんっていうジレンマ。
で、速読法以外を考えてみると、その昔、とある大国の首長が難しい政治判断をするための判断材料を得るために利用していた方法を思い出した。というのは「ダイジェストを読む」ということ。このダイジェストを読むって行為は、ケネディー大統領がやっていたらしい。ケネディー大統領は「まぁ、オレは読むのそんなに遅くないよ?でもな、合衆国のトップとして判断するための判断材料て、膨大やん?めちゃくちゃ資料とかあるやん?オレの読書のスピードみあってないやん?だから、君達、100ページの資料とかをざっくりまとめて1ページのわかりやすいダイジェストにしてくれないかな?」と言ったかどうかは知らないけれど、そんな感じでダイジェストを活用していたらしい。まぁ、ダイジェストを作らせる優秀な部下がいる人は、そういう知識の得方もありますよ。基本的にダイジェストを作る時間の方が、普通に読む時間よりかかるけれど。でもその過程でよくよく考えて、理解してアウトプットするという意味では、いい知識の得方ではあると思うけれど。
で、速読も、ダイジェストもなかなかいい方法ではあるんだけれども、なかなか癖があって、「とにかく広く浅く学びたい!」っていう僕の欲求にマッチしない。
で、そこでひらめいたのが「目次をよく読みましょう!」という速い読み方の方法。つまり、ザックリ言えば目次っていうのは、本のダイジェストみたいなものだから、こういうところを読むと、結構内容が理解できたりするよね、って方法。確かにきちんと構成を考えて書かれた実用本は、目次が骨太でいい。はず。ただし、目次を読むのもなかなか疲れる。かつ、目次だけ読んでもちんぷんかんぷんなことも多い。
って、ところで、「じゃあ、本の題名だけ、読めばいいんじゃね?」というのが、発見というか、もしかしたら、何かの本で読んだかもしれん内容だけれども、今回のこの文章のメインテーマってことになる。このアイデアを実践するには、大きな本屋の気になる分野の書棚を真剣に読むことが必要になる。本屋は基本的に売れる本とか、ある程度人気のある本しか並んでいない。ということは、その本にはある程度、信用があるってこと。かつ、めちゃくちゃ信頼の置ける内容の本は、広くみなさんに読まれることになる。で、皆さんに読まれるような本のテーマ、アイデアというのは、凡庸な作家や著者が、さも自分のアイデアですよ、みたいな感じで自分の本に書いたり、権威付けのために引用をしたりする。そして、それがオリジナルだと思い込んだ皆さんによって、その本もまた、その分野の本棚に陳列されることになる。つまり、「強力な真実やアイデアは本屋の棚に幾度も出てくる」ということになる。つまり、一見分野は同じでも、中身は無秩序に並べられているような感覚を受ける本屋の棚も、俯瞰することによって、「強調されているテーマ」というのが浮き上がってくる。タイトルからその本の内容を想像し、次の本も想像し、次の本も想像し、…というのを繰り返すことによって、その分野の全体像を描ける。かつ、本屋さんというのは、店員さんとかが別に全部の本を詳しく知っている専門家じゃないので、「売れてる本を並べる」というかなり客観的な指標を基準に選んでいるので、少なくともマイナーなアイデアを軸に展開された、特定の本に偏ることも少ない。
で、何度もタイトルを眺めているうちに、全体像が見えてきて、その各本のタイトルが、全体像から見てどこの位置にいるのかってことがわかってきて、ピンポイントで読みたい本がわかるはずだ。必ずわかる。そして、その本のじっくり読み込めば、かなり効率的な読書になるはずだ。
つまり、本屋に言って、気になる分野の本棚をタイトルだけ見て内容を想像して、気になる本を何冊か読めばいい、ってこと。というか、やってる人は、普通にやってそうな気がする。というか、自分もなんとなくやっていたが、かなり意識的にやった方がいい、ってことが今回わかった。気になったらすぐに読み込んでしまいたくなる衝動を抑えて、三往復くらいタイトルだけで、分野の全体像を想像するって作業がかなり有効な気がする。そんな気がする。




