イヤなもんはイヤ。 | うちゅうのはしっこ。―the edge of the space― with love 東方神起




私が、どうしたいのかは

私が、何を選ぶのかは

私が、決めていい。






「私はイヤ」
以上、終わり。






そこで相手に何て言われようと

そこで相手の態度がどうだろうと

それは相手のもので

私には関係ない。




そこで相手に何て言われようと

そこで相手の態度がどうだろうと

相手の顔色を伺って

相手のご機嫌を伺って

私の「イヤ」を

なかったことにしなくていい。






「私はイヤ」って言って

何か言われて返すなら

「イヤなもんはイヤ」
以上、終わり。






そこで相手に分かって貰おうと説明しなくてもいいし

分かって貰わなくてもいいし

私が、私のイヤなことをやめるのに

誰かの許可なんて要らない。

私のことを決めるのは私。

私のことを決められるのは私だけ。






ちっちゃい頃にウッカリ握りしめた

何かがきっかけで

ずっと
「イヤ」って言ってこなかったから

「イヤ」って口に出して言ってこなかったから

「イヤ」って言えないし

自分の「イヤ」を

ついウッカリ見過ごしてしまう。





違うな…見過ごすんじゃなくて

そこに確かにあった「イヤ」なのに

せっかく「イヤ」って口にまで出しても

相手に理解して貰えなかったら

相手に納得して貰えなかったら

不安から

相手に合わせて

私の「イヤ」をなかったことにする癖があるな。






相手の意見を受け入れて

自分を納得させて

やりたくないことやめるのやめて

イヤなこと自分にやらせてた。




私がやりたくないことやめるのに

誰かの許可なんて要らないのに

私がやりたくないことやめるなら

「イヤ」って言って断るだけでいいのに




何かを断るときとか

断るための

「イヤ」って言うための

もっともらしい理由を探してたな

もっともらしい理由が無いと断れないと思ってたな

誰かに分かって貰うための

誰かに納得して貰うための

理由なんていらないし

自分の価値を明け渡す必要なんてないよね。







ずっと「イヤ」って言ってこなかった

その小さな我慢が

長年、私の中に積み重なって

収まりきらなくなって

噴火しちゃうのね🌋








私は、私が「イヤ」って言ったら

私は、私が「やりたくない」って言ったら


「へー、そうなんだね」

「わかったよ」って

私の「イヤ」を

私の「やりたくない」を

尊重してくれるような人と一緒に居たい。






私は、私が「イヤ」って言ったら

私は、私が「やりたくない」って言ったら


「なんで?」

「どうして?」

「イヤって言うのはおかしいよ」

なんて言う人とは

愉快じゃないし

心地よくないから一緒に居られない。






私も

「なんで?」

「どうして?」

「イヤって言うのはおかしいよ」

って言われたら

「へー、あなたはそう思うんだねー」

「でも私はこうだよー」

で、いいね。










あー…
例のお母さんの包丁事件も…
(結末はハッピーエンドなんでご心配なく)
(詳しくは何れ時間あるとき書くからね)


私は
「お母さんイヤだ」

「お母さんやめて」

そう言えばよかったのかな…

そう言いたかったのかな…


ずっと
あの時の自分の感情が思い出せないんだけど

私は
「お母さんが可哀想」って思ってたな…


まあ、それはまた別の話で書くとして…






ぜったい書かないパターンの言い方ですよね。
寝たら忘れるしな。








もっともっと自分を大切にしよ


もっともっと「イヤ」をちゃんと言おう


もっともっと小さな我慢をやむよう


人の意見に

自分の価値を明け渡したりしない。

 


 

 


 




何かを断るとき
もっともらしい理由を探す。

もっともらしい理由が無いと断れない。






そんなこと思ってたなんて~
あゆみんさんの今日の大きな気づきだわ💡