人は人と繋がって人になるんだ。
こんばんわー!!
(こんばんわー!!)
はい、どうも326-9ですよ。
あれっすよ。
初日の対バン紹介しよかなってね。
これだいたいギリギリにならなやらんくて、「あぁ、ヤバい、間に合えへん。」ってなるパターンなんすよ、毎回。
326-9は学習しました。
早め早めにやってしまいます。
まずはー。
どん!
EDDY編。
来ましたねー。
1発目にして、もうそれはそれは濃いエピソード満載のバンド。
もうね、どう表現すればいいのやらですが、もう自分の中では他に引き合いに出せない「大親友」ってやつですよ。
彼らと出会ったのはですねー、なんと2003年。
約12年前っすよ。
ってかそんな前なんや、えぐいな。
当時高校1年生やった326-9は前のベースのタケに誘われて、ハイスタのコピーバンドを始めてライブハウスで初めてライブをしました。
ちなみにその時のメンバー編成はピンボーカル、ツインギター、ベース、ドラムの5人組、わかりやすく言えばF.I.Bみたいな、ライシネみたいな、そんな編成のバンドのギターの1人としてライブハウスデビューしたワケであります。
もうそれはそれはワケわからんくらい楽しくて。
マジで世界の主役が自分かと錯覚するくらいヒーローっぷりで。(実際どうやったかわからんけど。)
もうなんの根拠もない自信に満ち溢れたワケですよ。
たった1本、しかもハイスタのコピーやっただけやのに。(笑)
そしてその次の月くらいにやった2本目のライブ。
これまた死ぬほど楽しくて。
「いいなー、バンドってヤバいなー。ってかおれらかっけーなー。」とか余韻に浸っていたところ、次の出番のバンドが演奏を始めました。
早い話がそれが「EDDY」です。
ちなみに当時EDDYもコピーバンドでした。(でも名前は当時から「EDDY」でした。)
BLINK-182とかGOOD CHARLOTTEとかをサラッとコピーする彼らはすごく輝いてて。
さっきまで自分を満たしていた自信が徐々に崩れ始めたとき。
「えー、次はハイスタのコピーです!!」
そう言って演奏しはじめた「Dear My Friend」。
ついさっきおれらがライブでやった曲。
ここで326-9は確信します。
「あれ?このバンドのほうがおれらよりかっこええんやけど。」
ほんまにマジで右も左も知らん頃やったんで、全然納得いけへんかったんすよ。
おれらは5人、ギターに専念してるし歌に専念してるし、なんやったらギター2人おるのに、ギター弾きながら歌ってるやつのほうがかっこいいってどういうこと?
ってか5人と3人で喧嘩して負けるってどういうこと?
そして326-9はすぐに決断します。
「おれあのバンドに勝ちたいから3ピースのバンドやるわ。解散。」
ええ、マジで解散しました。(笑)
EDDYってバンドよりかっこよくなるにはまず同じ土俵に立たなければと。(笑)
これがおれの3ピースバンド、及びギターボーカル人生の始まりです。
実はEDDYがいなかったらボーカルしてないかもしんないんすよね。(笑)
で、新しく3ピースのバンド組んで、面識ないEDDYに「おたくらのせいで解散しちゃって新しいバンドになっちゃったんすよねー。よろしくっすー。」なんて挨拶までしにいって。
なんかそこから急激に仲良くなって現在に至るワケです。
EDDYは当時からずっと自分の前を走るバンドでした。
自分が堺から飛び出せずフラフラやってるときにEDDYは早々と心斎橋でライブをやり始めてたり。
レコーディングして音源を作ってみたり、Tシャツを作ってみたり。
たぶんまだ当時は年上のあいつらにちゃんと「~くん」って呼んでたし、敬語使ってたし、憧れてた部分もあったんやろなぁ。(笑)
※ちなみにおれは、「年上で呼び捨て、タメ口を使っていいのはごえくとなおみちだけ」と自分の中のルールを決めています。
あ、ジャガーくんにもタメ口やわ。(笑)
で。
色々時が経ちまして。
326-9はDown the Rabbit-Holeになりまして。
EDDYは前のドラムが脱退して、ソバくんが加入して。
2009年にEDDYは「over...」というミニアルバムをリリースすることになります。
正直当時の空気的にもがっつり「満を持してEDDYがリリースする」って空気やったと思うんすけど、この作品がその期待のはるか上をぽんっといく名盤なんですよねー。
いまでもよく聴きます。
我々はこのリリースツアーの初日に呼ばれました。
他にHEY-SMITH,THE SKIPPERS,Baby smoker,SKALL HEADZ,Neo slashとイケイケドンドンの中に突っ込まれまして。
当時の「こいつらだれ?」感はいまでも忘れれんっす。(笑)
でも呼んでくれてマジで嬉しかったんすよ。
やし、「こいつらだれ?」を跳ね返すライブは出来た覚えがあるんすけど。
でも、同時にね。
クッソほど悔しかったのも覚えてます。
これはいまでもそう思ってるんですが、ウチにこのオファーをくれたのはEDDYではなくごえくとなおみちなんすよね、おれの中では。
これはソバくんがどう、とかいう話じゃなくて、「Down the Rabbit-Hole」ではなく「1番古い付き合いのみつるがやってるバンド」に対するオファーやったと思ってます。
だってどー考えてもおれらがここに食い込んでるの、おかしいもん。(笑)
でもこの日まざまざと見せられました。
「これがおれがやってこなくて、こいつらがやってきたことか。」、と。
マジでこの日を境に変わりました。
それからもEDDYとはちょろちょろ対バンして、相変わらずよく遊んで。
あ、初めて一緒にツアーに行ったりもしたな。
高崎、熊谷、宇都宮、千葉。
この4日間クッソほど楽しかった。
そりゃ自分の唯一無二の親友とそんだけ一緒におれるんやから楽しいに決まってるわな。
で、2011年。
EDDYは「アステリズム」という初のフルアルバムをリリースします。
再び我々はこのツアーの初日に呼ばれました。
このオファー、はっきり覚えてます。
なんと他でもないソバくんから電話がかかってきました。
「出演してくれへん?」、と。
メンバーになんの相談もなく、その場でオッケーしました。
ほんまに嬉しかった。
ようやく「EDDY」から「Down the Rabbit-Hole」に初めて来たオファーやと感じました。
ぶっちゃけすげー泣きました。
そのあと、ウチのメンバーが全員脱退して、おれが1人になったときも誰よりも気にしてくれたのはやっぱりEDDYでした。
誰にも相談できなかった「もうこの3人のDtRHは長くはないと思う。」をなおみちにだけは言いました。
その時もEDDYの機材車の中で睡眠時間を削って朝まで話を聞いてくれました。
絶対に忘れない。
前に踏み出せないおれにワンマンと京都大作戦のステージを見せて、夢を持たせてくれた。
前にも書いたことあると思うけど、たぶんあの時のEDDYのライブがなかったらもしかしたら投げ出してたかもしれへんっす。
絶対に忘れない。
いよいよメンバーが決まって、ぐっちゃぐちゃなスタジオ録りのCDも「聴かせてやー!」って聴いてくれたり、アー写を撮ったら「見せてやー!」と見てくれたり。
いま考えてみれば、なんのこっちゃわからん音源に、見てどーなんねんのアー写、やったと思うんすけど、それでもどんなに小さいことでもずっと興味を示してくれた。
絶対に忘れない。
今回レーベル所属が決まったときも、やっぱりEDDYは「1番おまえらしいトコ選んだなー!」って言ってくれた。
絶対に忘れない。
すれ違いざまにソバくんが誰にも見えへんように「おめでとう。」って肩叩いてくれた。
絶対に忘れない。
自分らがCDをリリースするってことに夢憧れたのは何年も前からで、もちろん初日をやりたいってのも何年も前からで。
たくさん経て、たくさん得て、たくさん失ってく中で、「もしCD出したら初日はこんなメンツがええなー。」なんて流動的なもんなんすよ。
引っ付いたり、離れたり、いつのまにかいなくなってたり。
でもおれの想像してた初日にEDDYがいなかった瞬間なんてものの1度もありません。
絶対に必要なバンドです。
おれの人生にね。
今回誘ったときになおみちから「もう泣きそう。」ってすぐに返ってきて、アホちゃうかと思ったけど、とりあえず一回泣いたっす。(笑)
おれの人生でラッキーやったことは、誰よりも最初に仲良くなったヤツらが、最高のバンドをしてて、最高の音楽を作ってて、最高のライブができることです。
これは紛れもなく「ラッキー」です。
いや、ほんまに2016年4月30日のEDDYのライブ、マジでえげつないと思うんで覚悟してください。
おれは全然覚悟できてませんけど。(笑)
だって絶対ヤバいやんー。(笑)
おりゃー、後は今度飲みながら話したるわ!!
書き出したら止まらんからな!!
これけっこーしんどいしな!!
次回はオレスカバンド編。
震えて待て!!
ほなのー!!!
Mitsuru Kobayashi
Down the Rabbit Hole pre.
「MAD TEA PARTY chapter.9 -"Rabbit Killer TOUR"1st.day-」
2016/4/30(土)
at/中百舌鳥club massive
adv/door ¥2000/¥2500
open/start 18:00/18:30
-act-
Down the Rabbit-Hole
EDDY
ORESKABAND
Day tripper
(こんばんわー!!)
はい、どうも326-9ですよ。
あれっすよ。
初日の対バン紹介しよかなってね。
これだいたいギリギリにならなやらんくて、「あぁ、ヤバい、間に合えへん。」ってなるパターンなんすよ、毎回。
326-9は学習しました。
早め早めにやってしまいます。
まずはー。
どん!
EDDY編。
来ましたねー。
1発目にして、もうそれはそれは濃いエピソード満載のバンド。
もうね、どう表現すればいいのやらですが、もう自分の中では他に引き合いに出せない「大親友」ってやつですよ。
彼らと出会ったのはですねー、なんと2003年。
約12年前っすよ。
ってかそんな前なんや、えぐいな。
当時高校1年生やった326-9は前のベースのタケに誘われて、ハイスタのコピーバンドを始めてライブハウスで初めてライブをしました。
ちなみにその時のメンバー編成はピンボーカル、ツインギター、ベース、ドラムの5人組、わかりやすく言えばF.I.Bみたいな、ライシネみたいな、そんな編成のバンドのギターの1人としてライブハウスデビューしたワケであります。
もうそれはそれはワケわからんくらい楽しくて。
マジで世界の主役が自分かと錯覚するくらいヒーローっぷりで。(実際どうやったかわからんけど。)
もうなんの根拠もない自信に満ち溢れたワケですよ。
たった1本、しかもハイスタのコピーやっただけやのに。(笑)
そしてその次の月くらいにやった2本目のライブ。
これまた死ぬほど楽しくて。
「いいなー、バンドってヤバいなー。ってかおれらかっけーなー。」とか余韻に浸っていたところ、次の出番のバンドが演奏を始めました。
早い話がそれが「EDDY」です。
ちなみに当時EDDYもコピーバンドでした。(でも名前は当時から「EDDY」でした。)
BLINK-182とかGOOD CHARLOTTEとかをサラッとコピーする彼らはすごく輝いてて。
さっきまで自分を満たしていた自信が徐々に崩れ始めたとき。
「えー、次はハイスタのコピーです!!」
そう言って演奏しはじめた「Dear My Friend」。
ついさっきおれらがライブでやった曲。
ここで326-9は確信します。
「あれ?このバンドのほうがおれらよりかっこええんやけど。」
ほんまにマジで右も左も知らん頃やったんで、全然納得いけへんかったんすよ。
おれらは5人、ギターに専念してるし歌に専念してるし、なんやったらギター2人おるのに、ギター弾きながら歌ってるやつのほうがかっこいいってどういうこと?
ってか5人と3人で喧嘩して負けるってどういうこと?
そして326-9はすぐに決断します。
「おれあのバンドに勝ちたいから3ピースのバンドやるわ。解散。」
ええ、マジで解散しました。(笑)
EDDYってバンドよりかっこよくなるにはまず同じ土俵に立たなければと。(笑)
これがおれの3ピースバンド、及びギターボーカル人生の始まりです。
実はEDDYがいなかったらボーカルしてないかもしんないんすよね。(笑)
で、新しく3ピースのバンド組んで、面識ないEDDYに「おたくらのせいで解散しちゃって新しいバンドになっちゃったんすよねー。よろしくっすー。」なんて挨拶までしにいって。
なんかそこから急激に仲良くなって現在に至るワケです。
EDDYは当時からずっと自分の前を走るバンドでした。
自分が堺から飛び出せずフラフラやってるときにEDDYは早々と心斎橋でライブをやり始めてたり。
レコーディングして音源を作ってみたり、Tシャツを作ってみたり。
たぶんまだ当時は年上のあいつらにちゃんと「~くん」って呼んでたし、敬語使ってたし、憧れてた部分もあったんやろなぁ。(笑)
※ちなみにおれは、「年上で呼び捨て、タメ口を使っていいのはごえくとなおみちだけ」と自分の中のルールを決めています。
あ、ジャガーくんにもタメ口やわ。(笑)
で。
色々時が経ちまして。
326-9はDown the Rabbit-Holeになりまして。
EDDYは前のドラムが脱退して、ソバくんが加入して。
2009年にEDDYは「over...」というミニアルバムをリリースすることになります。
正直当時の空気的にもがっつり「満を持してEDDYがリリースする」って空気やったと思うんすけど、この作品がその期待のはるか上をぽんっといく名盤なんですよねー。
いまでもよく聴きます。
我々はこのリリースツアーの初日に呼ばれました。
他にHEY-SMITH,THE SKIPPERS,Baby smoker,SKALL HEADZ,Neo slashとイケイケドンドンの中に突っ込まれまして。
当時の「こいつらだれ?」感はいまでも忘れれんっす。(笑)
でも呼んでくれてマジで嬉しかったんすよ。
やし、「こいつらだれ?」を跳ね返すライブは出来た覚えがあるんすけど。
でも、同時にね。
クッソほど悔しかったのも覚えてます。
これはいまでもそう思ってるんですが、ウチにこのオファーをくれたのはEDDYではなくごえくとなおみちなんすよね、おれの中では。
これはソバくんがどう、とかいう話じゃなくて、「Down the Rabbit-Hole」ではなく「1番古い付き合いのみつるがやってるバンド」に対するオファーやったと思ってます。
だってどー考えてもおれらがここに食い込んでるの、おかしいもん。(笑)
でもこの日まざまざと見せられました。
「これがおれがやってこなくて、こいつらがやってきたことか。」、と。
マジでこの日を境に変わりました。
それからもEDDYとはちょろちょろ対バンして、相変わらずよく遊んで。
あ、初めて一緒にツアーに行ったりもしたな。
高崎、熊谷、宇都宮、千葉。
この4日間クッソほど楽しかった。
そりゃ自分の唯一無二の親友とそんだけ一緒におれるんやから楽しいに決まってるわな。
で、2011年。
EDDYは「アステリズム」という初のフルアルバムをリリースします。
再び我々はこのツアーの初日に呼ばれました。
このオファー、はっきり覚えてます。
なんと他でもないソバくんから電話がかかってきました。
「出演してくれへん?」、と。
メンバーになんの相談もなく、その場でオッケーしました。
ほんまに嬉しかった。
ようやく「EDDY」から「Down the Rabbit-Hole」に初めて来たオファーやと感じました。
ぶっちゃけすげー泣きました。
そのあと、ウチのメンバーが全員脱退して、おれが1人になったときも誰よりも気にしてくれたのはやっぱりEDDYでした。
誰にも相談できなかった「もうこの3人のDtRHは長くはないと思う。」をなおみちにだけは言いました。
その時もEDDYの機材車の中で睡眠時間を削って朝まで話を聞いてくれました。
絶対に忘れない。
前に踏み出せないおれにワンマンと京都大作戦のステージを見せて、夢を持たせてくれた。
前にも書いたことあると思うけど、たぶんあの時のEDDYのライブがなかったらもしかしたら投げ出してたかもしれへんっす。
絶対に忘れない。
いよいよメンバーが決まって、ぐっちゃぐちゃなスタジオ録りのCDも「聴かせてやー!」って聴いてくれたり、アー写を撮ったら「見せてやー!」と見てくれたり。
いま考えてみれば、なんのこっちゃわからん音源に、見てどーなんねんのアー写、やったと思うんすけど、それでもどんなに小さいことでもずっと興味を示してくれた。
絶対に忘れない。
今回レーベル所属が決まったときも、やっぱりEDDYは「1番おまえらしいトコ選んだなー!」って言ってくれた。
絶対に忘れない。
すれ違いざまにソバくんが誰にも見えへんように「おめでとう。」って肩叩いてくれた。
絶対に忘れない。
自分らがCDをリリースするってことに夢憧れたのは何年も前からで、もちろん初日をやりたいってのも何年も前からで。
たくさん経て、たくさん得て、たくさん失ってく中で、「もしCD出したら初日はこんなメンツがええなー。」なんて流動的なもんなんすよ。
引っ付いたり、離れたり、いつのまにかいなくなってたり。
でもおれの想像してた初日にEDDYがいなかった瞬間なんてものの1度もありません。
絶対に必要なバンドです。
おれの人生にね。
今回誘ったときになおみちから「もう泣きそう。」ってすぐに返ってきて、アホちゃうかと思ったけど、とりあえず一回泣いたっす。(笑)
おれの人生でラッキーやったことは、誰よりも最初に仲良くなったヤツらが、最高のバンドをしてて、最高の音楽を作ってて、最高のライブができることです。
これは紛れもなく「ラッキー」です。
いや、ほんまに2016年4月30日のEDDYのライブ、マジでえげつないと思うんで覚悟してください。
おれは全然覚悟できてませんけど。(笑)
だって絶対ヤバいやんー。(笑)
おりゃー、後は今度飲みながら話したるわ!!
書き出したら止まらんからな!!
これけっこーしんどいしな!!
次回はオレスカバンド編。
震えて待て!!
ほなのー!!!
Mitsuru Kobayashi
Down the Rabbit Hole pre.
「MAD TEA PARTY chapter.9 -"Rabbit Killer TOUR"1st.day-」
2016/4/30(土)
at/中百舌鳥club massive
adv/door ¥2000/¥2500
open/start 18:00/18:30
-act-
Down the Rabbit-Hole
EDDY
ORESKABAND
Day tripper