馬渕公開模試は全6回。塾外生(外部生)は無料スター

 

受験者数は、6年生のときで1800~2100人。

 

6年生のときの全6回の成績(偏差値)は下記のとおり。

 

 

【 算数 】

63.3 → **** → 58.6 → 63.3 → 64.1 → 63.8

【 国語 】

57.3 → **** → 51.5 → 55.0 → 62.7 → 58.3

【 理科 】

69.2 → **** → 61.4 → 67.1 → 63.6 → 64.2

【 3科 】

65.2 → **** → 58.4 → 64.2 → 65.4 → 64.3

※ 第2回は受験せず

 

【 社会 】※ 第4~6回のみ受験

 **** → **** → **** → 58.663.9 → 61.7

【 4科 】

 **** → **** → **** → 64.367.0 → 65.1

 

 

ん、記憶と違うぞ、記憶よりやや低めですねダウン。算数なんて限界いっぱいいっぱいでした、いつ下抜けるんだろう?みたいなショボーン。馬脚をあらわしてしまう前に、早く受験が終わって欲しいと夏以降はいつも思っていましたお願い。得意なはずの理科は、馬渕教室では上値があまり取れませんでした、読み間違えというか問題に入る前にコケてましたね。本人の中で理科だけは、浜の理科は好きだけど馬渕の理科は嫌い、みたいのがあったようです。苦手なはずの国語は、馬渕教室でもこんなもんで、浜学園だとさらに下振れていました。

 

思い出しました。夏休み前の第3回(6月)が過去ワーストだったんです。同じ時期の浜学園の6月公開テストも、過去ワーストでした。このとき私は本人に「次の浜7月公開と馬渕第4回公開(9月)は本気で勝負にいきなさい。決められている科目がないから、次も決められないとこのままダラダラいっちゃうよ。流れが悪い方にいかないように、ここが一番の踏ん張りどころだと思って、必死さを出しなさい」みたいなことを、事あるごとに(ほぼ毎日のように)、くどくどとしつこく伝えていたと思います。「やってきたことを無駄にしない、やってきたことを信じなさい」「できないことをやりなさいとは言ってない、やれるはずのことをやってきなさい」は私の口癖でした。

 

真ん中の子は理解力も勉強姿勢も怪しかったので、先行逃げ切りの過保護体制で勝負しました。数字を扱う算数と理科において、知らない問題を早めに潰していこうと無理をしてペースを上げていました。もう1回受験をやることになっても、真ん中の子なら、同じ勉強の進め方で挑むと思います。そろそろ気になってくるのが下の子です、下の子は真ん中の子を間近に見てきて、中学受験したいと思うのかなはてなマーク。私の本音としてはどちらでも構わないなので、過保護体制なんて敷かずに本人の意向を待ちたいと思います。

 

つづく