上の子の中学受験は4年生から。全部を塾にお任せした。本人は1日も休むことなく通塾していたので、楽しいというかはまってはいたのだと思う。私は端から眺めていただけキョロキョロ

 

真ん中の子は、塾には行かなかった。本人が少しでも塾に行ってみたいという素振りを出してくれていたらまた違ったのかもしれないけど、結局、家で勉強することになった。私視点でも、真ん中の子は勉強が得意であるようには見えなかったので(少なくとも当時は汗まあ、今でもだけど汗)、塾に行かせるのには躊躇があった。

 

本人の勉強意欲(向上心)が乏しくて、親から見てもできる感・やれる感が薄い子を塾に入れる勇気が、結局は、私になかった。時間の無駄にならないか?何もわかってないのにわかった感を出して座ってるだけにならないか?、、、色々と考えた結果、自分の視界の範囲内に置いて(全てを見える化してキョロキョロ)勉強を進めることにした。

 

塾に行かなかったことによる明らかなメリットが1つだけあった。それは、塾までの往復の移動時間が不要なこと。これは大きかったと思う。準備や身支度が要らないのはとにかく楽音譜。私もお弁当の準備しなくていいし、塾からの配布物に目を通さなくていいしね口笛。それ以外は、特にないかも。やりたいことをやりたいときにできるのも確かに楽だったけど、私の監視下に置くために家で勉強をさせたわけで、自由度が高くなったりするのは、そもそもそういうものなのだから、メリットではないよね。

 

真ん中の子は、上の子よりも早めに、3年生の5月から中学受験のための勉強を開始した。

 

3年生の5~7月は、算数だけに時間を割いた。和差算・つるかめ算(消去算)・方陣算・年齢算(倍数算)・植木算・時計算・日暦算などの基本問題を、ネット上で無料提供されていたものを印刷して、私が解説した。この3ヵ月は、算数だけだったし、基本的なことしか触れなかったので、後々感じるほどには真ん中の子の「できない」を実感することはなかったと思う。

 

3年生の8月からは、算数は、浜学園の『小4 算数 復習テスト Vクラス』を使用しました(テキストは不使用)。問題を解かせて、ほぼ全滅で、解説して、もう1度解かせて、次の回に進んで、またほぼ全滅で、また解説して、またもう1度解かせて、、の繰り返し。これを翌年の2月までやってもらった。うんうん、日暦算のとこは今でも記憶に残ってるよひらめき電球。「今日が4月12日金曜日で、今日から習い事を月水金にやって、30回目の習い事の日は何月何日?」みたいな問題なんだけど、6年生になってもなかなか答えが合わなかったねガーン。そう言えば、当時、中学受験を終えていた上の子は、真ん中の子が日暦算で苦戦してるのを見て、得意なやつニヤリ暗算でいけるニヤリとドヤ顔で豪語して、見事に間違えてた(笑)(言い間違えだから!と言い訳してたけどえー)。なんか、こういう、数えるだけの問題も真ん中の子は不得手で、必要以上に時間を取られました。

 

3年生の8月からは、理科も始めた。こちらも浜学園の『4年生 サイエンス 理科』を使用しました(テキストのみ使用)。算数に比べたら全然スムーズにこなせた。翌年の2月にはきちんと終えられたと思う。本人の中では、好きな科目も得意な科目もずっと理科で、浜学園の公開テストで一番安定してたのも一番跳ねてたのも理科だったけど、第1志望の受験では、理科が一番悪かったガーン。合格者平均点には届かず、受験者平均点とあまり変わらない点数でした。「得意=高得点」にならなかったことは、本人の為になったし勉強になったと思う。たとえ苦手でも逃げずに取り組んだ算数に助けてもらえたのだから、安易に逃げ出さないことの大切を実感してくれたのでは。

 

真ん中の子は、できない(できなさそう)が故に、1年前倒して算数と理科に取り組ませました。3年で4年を、4年で5年を、5年で6年を、といった感じで。6年になったときに総復習や実戦問題に時間を充てられるよう、無理してでも駆け足でやってもらいました。できない子(できなさそうな子)ほど前倒しが良いとの私の考えに、受験が終わった後ですが、本人が賛同してくれたのは嬉しかった。「1年早くやってなかったらヤバかった。自分は理解とか慣れるとかが遅いから、早め早めにが良かった。普通にやってたら、過去問とか、絶対に間に合わなかったよ!」と言ってくれたことに、私は救われました。思わず涙が出た。真ん中の子の人生を左右するようなことを、私が勝手に決めて、私が勝手に実行してきた。喜怒哀楽のうち、圧倒的に「怒」が占めた毎日、それが3年以上も続いた。本人も息苦しかったと思う。もう、あなたに、ありがとうしかないよ、本当にありがとう。

 

つづく