現在、高校生。反抗期真っ只中。ほぼ会話なし、正直、寂しいですショボーン

 

小学校に入学以来、ほとんど手がかからない子でした。周りの評価がとにかく高くて、親の私から見ても危なっかしいところが全くない子だったので、ほぼほぼ放任でした。

 

小学3年生までは習い事はゼロ。毎日、友達と鬼ごっこのようなことやゲームをして、夕食間際ギリギリまで遊んでいました。

 

小学4年生になる前くらい、新聞の折り込みチラシ(まだその時は新聞とってたんだ!)に、塾の合格実績やら入塾テストの案内やらが入っていて、何の考えもなく上の子に聞いてみました。

 

私「進学塾のチラシが入ってたけど、入塾テスト受けてみる?」

上の子「え、受けていいの?受けてみたい!」

私「びっくりびっくり

 

この会話はよく覚えてます。意外や意外、受けていいの?と来ました。受けたらダメなんて言ったことないし、そもそも、塾の話題をしたのが初めてだったと(私の記憶では)思うのですがえー

 

入塾テストは確か算数と国語の2科目で、算数は1問の間違い、国語は6割とか7割とかだった気が。一番下のクラスからのスタートになりますと言われて、本人気落ちしてるかな?と気になりながらも、どうする?と尋ねたら「今日から行きたいビックリマークビックリマーク」と即答でした。

 

そうか、君は塾に行きたかったんだね、私は知らなかったよ。学校のクラスの友達も大勢通っていたみたいだし、そうだったんだね。中学受験なんて、当時の私の頭には全くなかったんだよ、ごめんよ。

 

そこから3年間は塾まみれ。たぶん受けられるオプション講座は3年間すべて受講したと思います。自宅から自転車で通える距離だったので、雨の日以外は、ほぼ毎日のように自転車通塾自転車。5年生になると自習室から帰ってくるのが夜9時過ぎくらいだったかな、そこからおにぎり食べてお風呂に入って30分くらい勉強して寝る、それの繰り返し。ちなみに、朝はテストの日以外は勉強していませんでした、テストの日だけは早めに起きて必死に詰め込んでたね。

 

5年生に上がった時には一番上のクラスにいたし、塾内の模試では成績優秀者の常連だったけど、5年生の6月~10月くらいが成績のMAXでした。あとは徐々に下降気味ダウン、本人には「わからないとこ塾で聞けなかったら、私に聞いてもいいからねメモ」と伝えていましたが、社会の問題(1問1答形式)出して本と来たくらいで、それ以外は何も聞いてこなかったな。。塾の面談でも、本人から質問に来たことは1回もないと聞いていたのでガーン、今になって思うのだけど、私からもう少し手を差し伸べてあげた方が良かったのかなと、、少し後悔してます。ちなみに、この質問できない・質問したくない病(?)は、中学も高校も現在進行でずっと続いてます。今の本人いわく「聞いたら負けグラサン」とか訳の分からないことを宣います。聞かぬは一生の恥だよ!何でも聞きまくれるのは君たちの特権だよ!損するの自分だからね!と何百回と伝えてきても、まったく響きません。ただ単に分からない自分をさらけ出すのが恥ずかしいだけのことだろうと、こちらは勝手に分析していますがえー。何気にプライド高杉君だしね、君はニヤリ

 

6年生はほぼ無風、てか、私の記憶があまりない。成績も5年生時よりは明らかに下なのだけど、それでも何とか上位に誤魔化しながらも食らいついている感じはしました(てか、今更ながらだけど、質問に来て欲しかったなショボーン。私から積極的に声掛けしなかったのが、やっぱり後悔ショボーンもっと構ってあげれば良かったなショボーン)。一生懸命さは家中に伝わっていたよ。ゲームや漫画はあったけど外で友達と遊ぶことは皆無、土曜も日曜も祝日も勉強オンリーで旅行やお出かけなんかもなかったな。受験直前の年末年始も塾があって上の子は勉強漬け、ん?あれ?私は何をしていたんだガーン?(紅白見ながらのほほんか!?)、ホント記憶が抜け落ちてますね。鮮明に覚えているのは、君と2人で、第1志望の中学校に距離的に一番近いお寺に初詣に行ったこと。君は、1分とか2分とか長い時間、物凄く真剣にお願いしてたね。今思うとなおさらだけど、ほとんど自力でよく頑張った。うん、小学6年生の君、本当によく頑張ったよ。

 

 

楽させてもらえたのは上の子だけ。ここからそう遠くない未来に、私の時間と精神は、悉く真ん中の子(&下の子)に削られていくのです。今になってよくわかったよ、上の子に感謝だビックリマーク