長門有希の憂鬱
ハルヒの憂鬱は子供の頃、父親に野球を観に家族でつれてってもらったことからはじまります。
そこで、5万人の観衆に飲み込まれ、自分がいかにちっぽけな存在なのか知るわけです。
小学生のハルヒにはその5万人が日本中の人間が集まったように感じたわけです。
しかし、その球場で飲み込まれた5万人すらも日本の全人口に比べたらわずか二千分の一でしかないことに気付き愕然とするわけです。
それまで、家族や学校や友だちに囲まれ何の不自由も不満もなかったハルヒでしたが、自分の生活はそんなちっぽけな幸せに包まれていて、日本のどこかでは、自分のこんな平凡よりも、もっと面白くて、不思議に満ち溢れた世界を送ってるハルヒが望んで止まない世界を楽しんでるやつがいるんだと感じてしまうわけです。
なぜ自分のまわりはこんな平凡ばかりなんだと思っちゃうんですね……。どうしてそんなことを思ってしまったのかは、子供だったから? フロイト先生かユング先生に聞かなきゃわからないですけどねw
小学校6年生の時、それに気付いてしまうんですね、ハルヒは……なんで、自分のまわりにはそんな面白いことや不思議が溢れてないんだと……そこから、ハルヒの憂鬱がはじまるわけです。
中学になってその想いはもう強迫観念のごとくハルヒを苛みます。深夜学校に忍び込んで、校庭中にわけのわからないサインを白線で描いてみたり、屋上でUFOを呼んで見たり、告白されたクラスの男子全員と付き合って、全員振ってみたりwそんなこんなで高校生になっても、その面白いことや不思議なことを追い求める気持ちはいっそう強まり、クラス初の自己紹介でこういい放つんです。
「ただの人間には興味ありません! この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのとこに来なさい。以上」
これですw この言葉こそがハルヒ症候群のなにものでもありませんw
だいたい小学校卒業するとそんなUFOだの、オバケだの、超能力だの、宇宙人、だのは信じなくなるんです。
サンタクロースを信じなくなるという意味と同義でそんなのもから大体は卒業するんですが、卒業できないものもわずかながら存在します。それがハルヒなんですね、本当はそんなものいないと充分わかっているのに、分かりたくないってやつw それがハルヒを憂鬱にさせるわけです。
で、長門です。涼宮ハルヒの観察者としての立場が長門のレゾンデトールなわけですから、長門がオーバーフローしたり、内部的にバグを起こしたりするのは当たり前なんですねw
なにしろ神を相手にしてるんですからねw
これからも、涼宮ハルヒの観察者でいる限り、長門有希の憂鬱は続くわけですねw