このレースの4着馬ヤエノムテキが亡くなった。
怪物オグリキャップに果敢に挑むもレベルの違いを見せ付けられた一戦であった。
オグリキャップはクラシック登録をしていなかったので皐月賞には出走できなかった。
その皐月賞を勝ったのは9番人気のヤエノムテキであった。
皐月賞
後のダービー馬サクラチヨノオーを差しきった脚はオグリキャップと戦ったことで生まれた豪脚だったかもしれない。
一躍主役となったヤエノムテキ。
ど派手な流星とハイソックスを履いたような真っ白な4本脚のビジュアルもあり大人気に。
ダービーは2番人気で4着。
今では考えられないが夏場も走り続け京都新聞杯を1番人気で制したが菊花賞1番人気に支持されるもいいところなく10着と大敗。
その後も重賞を走り続け鳴尾記念、産経大阪杯を制した。
5歳の宝塚記念1番人気で7着となり低迷期に入る。
勝ちきれないレースが続いたまま6歳の天皇賞秋を迎えたのであった。
しかしここでヤエノムテキはオグリキャップに借りを返した。
皐月賞を勝った得意の東京2000Mで再び豪脚を魅せたのだ。
天皇賞秋
オグリキャップは絶好調になかったがオグリキャップを破ったことでヤエノムテキ自身の価値を高めることに成功した…
はずだった、有馬記念を迎えるまでは。
ヤエノムテキとオグリキャップともに引退レースとなった有馬記念。
ヤエノムテキは本場場入場後に放馬し力を出し切れないまま終わってしまった。
一方オグリキャップは見事優勝し有終の美を飾った。
10万人の「オグリコール」の中ヤエノムテキは静かに競走生活を終えたのであった。
シンジゲートが組まれるも産駒の活躍もないまま種牡馬生活も終え、有志による「ヤエノムテキの会」が結成され日高スタリオンステーションで功労馬として余生を送っていた。
度重なる病状を悪化させ5時間に及ぶ手術にも耐えた。
しかし30歳の誕生日を迎える前に天に召された。
合掌。
◎ アズマシャトル
○ステファノス
▲ラングレー
穴マイネルフロスト