「作品」ってひとことで言うけれど、それって一体なんなのでしょうか。
あまりにも曖昧な言葉なので、人それぞれ抱くイメージが異なると思うのですが、
おれは、「作者のタマシイ」みたいなモノだと思うのです。


1つの作品ができるまでには、それなりの時間がかかります。
詰めれば詰めるほど、たくさんの時間がかかります。

でも、四六時中、作品の前にいる訳にはいかないから、その間、製作以外にも、いろいろなコトをしますよね。

ご飯を食べたり、お風呂に入ったり。
気分転換に散歩をしたり、昼寝をしたり、映画を観たり。
突然親戚が遊びに来たり、駅のホームで恋に落ちたり、野良猫を拾ってきたりもするかもしれません。

そして、その都度、いろいろ考えたりしますよね。
お風呂に入りながら「あぁ、今日のみそ汁はおしいかった」とか、
散歩で見た夕焼けが綺麗だった、とか、
野良猫拾っちゃったけどどうしよう、とかとかとか。

それらはアタマのどこかに蓄積されて、自然と作品に影響を与えてきます。
だから、言い換えれば、いろいろなコトをしながら、考えながら、製作をしているんですね。


製作中だっていろいろなコトを考え、それが作品に反映されます。


朝スケッチをしていて、楽しい気分で目覚めた時は元気な筆致になって、モチーフに対してポジティブな気分で望めます。
寝不足の日はけっこうどうでもいい感じ。好きなヒトができたり、深い悩みなんかがある時は集中力があっちにこっちに飛び交います。

色やカタチ、動きや音の好みだってにじみ出て来てしまいます。


で。


そういった好みや思考や気分は、その人のこれまで経てきた人生の中でカタチ造られてれてきたものです。


だから、「作品」というのは作者の人生の軌跡といってもいいと思うのです。


そして、作者はその「軌跡」を1枚のイラストや、4分の曲、120分の映像などに、凝縮させます。



「作品とはもう1人のジブンだ」とはよく言ったもので、例えばゴッホの絵を観た時、ボクらが観ているのはキャンバスに絵具で描かれた絵ではなくて、ゴッホの人生で、作品に対するゴッホのエネルギーなんです。

その、「とある人」の人生を前にして、圧倒的なエネルギーを感じた時、ボクらは感動するのだと思うのです。


ちょっとカルト的な話ではあるけれど、
文に起こすと理屈っぽいけれど、
おれはこのアイデアを閃いた時、すごくジブンの中でしっくりきて、以来ずっと気に入ってます。