来週の予習、といっても説教題は決まっていて、自分が気になったところをいつものごとくたどっていく。
詩編/ 018編 002-025節
主よ、わが力よ、私はあなたを慕う。
主はわが岩、わが城、私を救う方/わが神、わが大岩、私はそこに逃れる。/わが盾、わが救いの角、わが砦。
ほむべき方、主に呼びかけると/私は敵から救われる。
死の縄が巻きつき/滅びの河が私を脅かす。
陰府の縄が取り囲み/死の罠が私を待ち受ける。
苦悩の中から主に呼びかけ/わが神に叫びを上げると/主はその宮から私の声を聞き/叫びは御前に至り、その耳に届く。
地はおののき、揺らぎ/山々の基は震え、おののいた。/主が怒ったからだ。
主の鼻から煙が噴き上がり/口から出た火が焼き尽くす。/そこから炭火が燃え上がった。
主は密雲を足元に従え/天を傾けて降り
ケルビムに乗って飛び/風の翼を広げて飛びかかる。
闇を周りに置いて隠れ場とし/雨雲と群雲を仮庵とする。
御前にある輝きを雲がよぎり/雹と炭火が続いた。
主が天に雷鳴をとどろかせ/いと高き方が声を上げると/雹と炭火が続く。
主は矢を放ってそれらを散らし/稲妻を増してかき乱した。
主よ、あなたの叱咤、あなたの怒りの息吹によって/水底が現れ、世界の基があらわになった。
主は高みから手を差し伸べて私をつかみ/大水から引き上げる。
力ある敵と私を憎む者から主は私を助け出す。/彼らが私より強かったからだ。
災いの日に彼らは攻めて来たが/主が私の支えになり
私を広い所に導き出した。/私を助け出し、喜びとしてくださる。
主は私の義にふさわしく報い/手の清らかさにふさわしく応じる。
私は主の道を守り/わが神に悪をなさなかった。
主の法はすべて私の前にあり/私は主の掟を遠ざけない。
私は主のもとで全き者であり/過ちから身を守った。
主はその目の前で私の義にふさわしく/手の清らかさにふさわしく応じた。
使徒言行録/ 17章 10-15節
きょうだいたちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した。二人はそこに到着すると、ユダヤ人の会堂に入った。ここのユダヤ人は、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日聖書を調べていた。そこで、そのうちの多くの人が信じ、ギリシア人の貴婦人や男たちも少なからず信仰に入った。ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、ベレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、そこへも押しかけて来て、群衆を扇動し騒がせた。それで、きょうだいたちは直ちにパウロを送り出して、海岸の地方へ行かせたが、シラスとテモテはベレアに残った。パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った。そして、できるだけ早く来るようにという、シラスとテモテに対するパウロの指示を受けて、帰って行った。
使徒言行録の「聖書」で引照を辿ってみたが、八方塞がりだったので、単語の引照ではなく「清らかな手」が気になった詩篇18編21、25節のCross Referencesを手繰り寄せてみた。
http://studybibletech.com/
詩編/ 024編 004節
汚れのない手と清い心を持つ人。/魂を空しいものに向けず/偽りの誓いをしない人。
コリントの信徒への手紙一/ 03章 08節
植える者と水を注ぐ者は一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受けます。
イザヤ書/ 62章 11節
見よ、主は地の果てまで布告された。/娘シオンに言え。/見よ、あなたの救いがやって来る。/見よ、その報いは主と共にあり/その報酬は御前にある。
詩編/ 058編 011節
正しき者はこの報復を見て喜び/悪しき者の血で足を洗う。
ヘブライ人への手紙/ 07章 26節
このように清く、悪も汚れもなく、罪人から離れ、もろもろの天よりも高くなった大祭司こそ、私たちにふさわしい方なのです。
イザヤ書/ 49章 04節
しかし、私は言った。/「私はいたずらに労苦し/意味もなく、空しく力を使い果たしました。/それでも、私の公正は主と共にあり/私の報酬は私の神と共にあります。」
マタイによる福音書/ 06章 04節
あなたの施しを隠すためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
箴言/ 11章 18節
悪しき者は偽りの働きをなし/正義の種を蒔く人は真実の報酬を得る。
詩編/ 007編 004節
わが神、主よ/もし、このようなことを私がしたなら/私の手に不正があり
詩編/ 007編 009節
主はもろもろの民の裁きに当たられる。/主よ、私の義と潔白にふさわしく/私を裁いてください。
詩編/ 026編 006節
主よ、私は両手を洗って無実を示し/あなたの祭壇を回ります
サムエル記上/ 24章 11節
今日、主が洞穴であなたを私の手に渡されたのを、ご自分の目で御覧になっています。あなたを殺せと言う者もいましたが、あなたをかばって、『私は自分の主君に手をかけることはしない。彼は主が油を注がれた方なのだ』と言い聞かせました。
イザヤ書/ 49章 04節
しかし、私は言った。/「私はいたずらに労苦し/意味もなく、空しく力を使い果たしました。/それでも、私の公正は主と共にあり/私の報酬は私の神と共にあります。」
ルツ記/ 02章 12節
主があなたのそうした行いに報いてくださるように。あなたがその翼のもとに逃れて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」
マタイによる福音書/ 10章 41-42節
預言者を預言者だということで受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者だということで受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。よく言っておく。私の弟子だということで、この小さな者の一人に、冷たい水を一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」
テサロニケの信徒への手紙二/ 01章 06-07節
実際、あなたがたを苦しめている者には苦しみをもって報い、苦しめられているあなたがたには、私たちと共に安らぎをもって報いてくださるのが、神には正しいことなのです。それは、主イエスが力ある天使たちと共に天から現れるときに実現します。
サムエル記上/ 26章 23節
主は人の正しい行いと忠実さに応じて、それぞれに報いてくださいます。今日、主はあなたを私の手に渡されましたが、主が油を注がれた者に手を下すことを、私は望みませんでした。
ヘブライ人への手紙/ 06章 16節
そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反論を終わらせる保証となります。
「手の清らかさ」を検索してみた。
サムエル記下/ 22章 21節
主は私の義にふさわしく報い/手の清らかさにふさわしく応じる。
テモテへの手紙一/ 02章 08-10節
だから、私が望むのは、男は怒らず争わず、どこででも清い手を上げて祈ることです。同じように、女は折り目正しく、控えめに慎み深く身を飾りなさい。髪を編んだり、金や真珠や高価な服で身を飾ったりするのではなく、むしろ、善い行いで身を飾るのが、神を敬うと公言する女にふさわしいことです。
そういえば最近清い手に触れた。触れられた。主のぎょいーーん!はなかったが、ふにゃにゃ~となった。