初見はまったくの偶然。

何かおもしろい漫才を観たい、ということで検索していたYouTubeの動画だった。

「Dr.ハインリッヒ」

Dr.にしてもハインリッヒにしても、硬質な男性的なイメージの言葉なのに、画面に二人の女性が写っているのに関心が湧く。

動画再生。

ジャケットもシャツもパンツも黒のお揃いで、見た目はキャリアって感じ。

向かって左が黒髪のショートヘア、右が茶髪のロングヘアだ。

ショートヘアが道を歩いていたとき、みょうがが首輪と紐を付けられて歩いていたという常識外の体験談を彼女が始める。

これに対して茶髪のロングヘアは、復唱し、聞き返し、驚き、あきれ、そして時には納得し、彼女の話に乗っかっていく。話がどんどん膨らんでいって、たとえば「自由」とか「1997年」とか、およそ「みょうが」とは連想ができない言葉がショートヘアから飛び出してくる。そして、「みょうが」と関係ないところでロングヘアがオチをつける。

 

Dr.ハインリッヒ。

ショートヘアの幸(みゆき)さんとロングヘアの彩(あや)さんとの漫才コンビである。

そして、ウィキペディアを調べるまで気づかなかったのは、彼女たちが双子だということである。

それほど彼女たちの漫才には、双子を話題にしたネタは無かったのだ。

 

幸さんが語る体験談は非日常的で、「そんなこと、あるわけないだろ」と観ているこちらが突っ込みたくなるが、でも彼女たちの漫才は、奇妙に心に残る言葉が散りばめられている。

たとえば、幸さんがみょうがの飼い主の人から聴いた「この子は何も失っていないのに、何かを取り戻そうとしているのよ」という言葉が印象深い。

こういう言葉は、哲学的な問いに発展しやすく、ともすればお笑いという場面では難しすぎて敬遠されるところだが、彼女たちの漫才では「こいつの内面的なことがどうのこうのは、まだちょっと早すぎんねん。」と上手に回避し、すかさず「感銘を受けましたわ!」と叫ぶ幸さんの場面転換の妙に、私は衝撃を受けた。

シュールな世界の底に落ち込みそうな観客を、リアリズムの世界に引き戻した幸さんの(おそらくは計算した)叫びであった。

 

このように幸さんの口から、どういう世界が繰り出されるのか? それは彼女たちの漫才のエンジンに当たるが、それを漫才ならしめているのは、彩さんだ。なぜなら、彼女の幸さんへのリアクションがなければ、幸さんの超現実的な世界に観客は入り込むのが難しいだろうからだ。

復唱、オウム返し、聞き返し、驚き、あきれ、納得・・・彩さんのしゃべりには、幸さんの繰り出す世界と観客との橋渡しとして、その場の空気に最も適した間を提供しているように思う。

幸さんの現実離れした世界に観客と一緒に驚く彩さんに、観客自身も笑い、そして幸さんの世界に入っていく。

そして、いつしか幸さんの世界に入った観客は、彩さんの反応(ツッコミ役の彩さんゆえに「反作用」とも言える)のうまさに一本取られてしまうのである。

 

私はテレビでDr.ハインリッヒを観たことがなくて、今まで知らなかったが、観てみたら、その独特な世界と言葉が後に尾を引く印象深い漫才師であった。

 

彼女たちの漫才の世界は、独特ではあっても、異常ではない。誰かを貶めたり、傷つけたりすることは決してない。

戦争やパンデミックで、人の命がたやすく消えてしまうこの時代。現実のこの世界の方がよほど異常である。そんな時代、観客たちはどんな漫才を聴きたがるだろうか? その一つの答えがDr.ハインリッヒの漫才であると思う。

絶対に他人を笑わない、 貶めない、傷つけない。現実でない世界だが、どこかに絵画的な美しさと文学的な詩情を感じさせる漫才。それがDr.ハインリッヒの漫才である。

「ええやん」― 彩さんの幸さんに対するお決まりのリアクションの一つである。この端的な言葉の裏には、幸さんが表現する多様な世界を受容できる観客がいることを私は知った。そしてこれからも関心をもって彼女たちを観ていくうちに、ますます彼女たちも活躍の場を広げていくことを願っている。

 

 

 

最後にYouTubeより、Dr.ハインリッヒの漫才を二つリンクしておく。一つはこのブログの題材となった「みょうが」。もう一つは、私の好きな作品「トンネルを抜けると」である。