前回の記事の続きです。
間が空きすぎて何を書けばいいやら…笑
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私は友達とケンカすることが怖くてたまりません。だから友達といる時は、なるべく友達に合わせて常にケンカしないようにしていました。中学から女子校でしたが、女子は一度ケンカすると縁が切れ、仲直りができないことを知っているからです。小学生までは「ごめんね。」の一言で前よりももっと仲良くできたのにね…。
「まぁいいや。」と心の中で思い、みんなの意見に合わせた方が楽。「いいよいいよ〜」といつも言っていていたはず。100%同調していたら友達がいなくなることは避けれたかもしれません。
常に合わせていた訳ではなかったのです。自分の思いを伝えたい時は「ママが〜こう言ってた。」あくまでも自分の意見じゃないよ。という感じで私は伝えていたそうです。
あの日、友達が今まで私に対しての鬱憤が爆発した日に「私の意見は無いのか?」と言われました。
“私はみんなの意見に合わせていると思っていたから本当にそんなつもりはなかった”と傷つきました。
色々我慢してる方だなと思っていました。
その場を荒らさないように、話してたつもりなのになぁ。
同調するなら全部同調するべきだったらのでしょうか。中途半端に同調したら、時に相手はイラッとするのも当然のことか…。
なかなか友達ができなかった私は嫌われないように、本当のことはなるべく伝えず、怒らせないように、傷つけないようにの友達の目を気にした結果、通っている大学名を隠し、あまり乗り気でないことも「いいじゃん!いいじゃん!」と言い自分ではない人格を演じていたのです。
友達はブランド好きで大学名で人を判断する子でした。(本人はその気がないらしいけど)もしも私が今の大学に通っていると知ったら、高校生の時と同じように私のことを見てくれる気がせず、言い出せませんでした。「言わなきゃいい。バレなきゃいい。本当の自分を隠せば認めてくれる。」承認欲求に振り回され、友達に流されながら生活していました。再受験に至ったのもその影響が大きいです。
もし再受験で合格していたらおそらく今はルンルンで大学生活を送っていたと思います。
けれど落ちてしまった今、結局通っていた大学で頑張ることにしました。
私は何がしたかったんだろう?
みんなと同じ自分が通っている大学に自信を持って大学生活を送りたかっただけです。もう何回このブログに書いたことが。
今通っている大学は本当は勉強したかった分野が学べる大学だったのに、受かった時は泣くほど嬉しかったのに大学名だけで「私は認められないんだ。自信を持ったらダメなんだ。みんなより下なんだ。」と、この呪縛からようやく解き放たれたは訳ではありませんが、大学に通えるようになりました。
ずっと友達だったと思っていた人がいなくなってしまったこと、自分から信頼を失ってしまったことは本当にショックでした。
去年は自分がやりたいことは考えず、どうしたら友達に認められるのか、母校の先生に認められるのか、両親に私が通っている大学を嬉しく思ってくれるのかで頭がいっぱいでした。
そして遂に、周りのために演じる自分と本当の自分のギャップに自分自身に限界がきました。
私らしさがどんどん消えていく…
残るのは何事も中途半端なワガママな自分だけ。
自分の個性を活かせないのか。私のいいところはあるのだろうか。
周りの人が消えていくのが怖いです。
今はもう人と関わるのが辛いです。
自分の意見を主張しなかったために、友達の気持ちも汲み取れなくなりました。その結果すれ違いが起きました。
自分の軸を持たずに、流されてばかりいると、自分だけではなく周りの人まで巻き込んで迷惑をかけてしまいました。
バイトや友達と遊ぶ時には、1人で全部やるわけじゃないので協調性が必要です。
5分前行動してもいいんじゃない?
毎回滑り込みで入ってら誰にも迷惑がかかっていないとは言い切れません。バイトの人は店長や先輩、年齢もバラバラです。
でも一緒にバイトするんだから、協力し合わないと。私がそういうバイトを選んだからには。
「自分が言ったことを否定されたくないからって、自分の意見じゃないよ。」というように伝えるクセをまずは辞めようと思います。
このことを教えてくれた母に感謝です。
ありがとう。
そろそろコンタクト買おう。乱視用です☺︎