カタギにお仕事の毎日がふた月近くなる。

ふと我に帰り、周りを見渡してみると山の彩は精一杯に溢れ咲き、すっかり遠くへ行ってしまったお陽様は、その餞別にと、僕の足下にながいながい影法師をくっつけてくれていた。

そんな現実に少し面食らいながら、実に数ヶ月ぶりのバイクに跨って、娘の居る農業高校の学園祭へと出掛けた。


準備をしていた時は、いささか大げさに思えた程の厚着も、走り出してみればなかなか心地よいし、齢30年程になるXL号もすこぶる機嫌が良くって、単純性の僕にはまるで全てのもの、目に映るはずのない空気までもが輝いているように見えた。




僕がずっと前から抜け道として使っていたこの道。
この人知れぬ裏道にあるお気に入りの景色は、後に自分の娘が行くことになった農高畜産科の牧草地であった。




着いてみれば既に学園祭は終わりを迎えようとしており、焦燥感を引き連れながらあくせくするのが苦手な僕は、むしろ安堵しつつぐるり見渡してみると、そこには野菜や小花の鉢をぶら下げて歩く父兄や作業着の生徒達がウロついていて、ナンだか農協のイベントのようだ。




その中でも、目を引いたのは生徒における女子率の高さで、きっときっと日本の農業風景も明るくなってゆくだろうと確信。



さらに歩いていくと、母がテントの下で娘となにやら話し込んでいるのが見えた。


母は僕の娘が農業高校へ行くと聞いたとき、とても楽しそうであった。

そういえば僕が中学生の時、進学には工業高校の自動車科が面白そうだと思案していた際にも、それを知るや僕をよそにさっさと単身工高へ出向き、校内観察をして回って帰ってくるなり、
「アンタ。あの学校、ナンか知らんけど楽しそうなものがいっぱい有ってすごくおもしろそうだッたよ。」
なんて、本当に楽しそうにいうのだった。

で、実際そこへ入学してみれば、僕の所属した自動車科の薄汚れた工場の前には、走ることを忘れて久しいポンコツ車達がうずたかく積み上げられており、あたりには車やバイクの部品が転がりミッションオイル臭が絶え間なく漂っている有様で、つまりそれはクルマの解体屋さんそのものずばりな様相だったのだが、幼き頃から今に至るまで解体屋さんに憧れを持つ僕には、それが本当に居心地良く、母は我が感覚をかなり高度に把握していたのだな、と驚いたものだ。


で、突然農高に行くと言い出したムスメに面食らった、わが子の感覚をまるで理解していない僕は、終わる寸前の学園祭で特に何かを見るわけでも買うわけでも食べるわけでも無かったが、しかしなんか知らん満足感を腹に、その場を去った。






道中、最近の傾向であろう、僕と同世代のライダーが乗るビッグバイクに度々出会う。

普段、仕事に勤しむ大人たちが休日、快適に遠くへ行けてしまう自由の翼を謳歌するのはいいことだなあ、と素直に思う。

かく言う自分も大きな単車に乗っていた時期があったが、元々が仕事を勤しんでないからか、自分の居場所がアスファルトの上にはなかったからか、結局はその使い方が分からず、今もっぱらお出かけをする時には、かなり前に手に入れ、あるとき何となく直してからじわじわ好きになっているXL号なのである。

直した当時の動画。物好きな人はダブルクリック↓




で、そのヨレヨレな僕的自由の翼はその歳やスペックの割に、本当に色んな所に連れて行ってくれるので、晩秋の静謐で明るい空気に誘われるがまま、ついつい寄り道をしてしまう。















家に辿りつき、暗くなって大阪ののりまき夫妻がバイクに乗ってやって来た。

その朝、突然「今日遊びに行っていい?」と連絡が有ったのだ。

いつもの如く、やあやあまいどまいどわははげらげらやっほーと酒を酌み交わし、夜12時を少し過ぎた時点で、その日が我が誕生日であることを告げ、強制的に乾杯の相槌などを貰おうと企んでいたら、いつの間にか姿を消していたのりちゃんが外からろうそくの灯るケーキを手に入ってきた。





毎年、誕生日には常日頃、「独りで過ごすことが好きである、」と孤独を謳歌している筈の自分の中に、実は沢山の人が宿っているのだと思い知らされる。


本当にありがとうございますm(__)m