2016年ですね。
なんとか生き延びました(^_^)

まあ、今まで我が”生”を失いそうになったのは、全て自分の阿呆さ加減に因るものばかりなので、そのあたり本当に自分が生きてきた環境には感謝している次第であります。

ふらふらと生活している割りにはこの年末約束事というか、依頼仕事が何かと舞い込んできて慌しく過ごしている中、久しく伺い知らぬ家族の状況などを電話でカミさんに尋ねてみると(たまに尋ねてみないと、家族に色んな進展が有り過ぎてついていけない)、こちらの話はそこそこに、次女の中学校で伐採した木を引き取りに来て欲しいと言われた。

社会性に著しく乏しい僕は2度目の勤め先を辞め、所属も肩書きもないままに、おそらく十数年ぐらいふらふらとその日暮らしをしているけれど、そのふらふら生活を始めたあたりに生まれた次女も、気が付けばいつの間にか中学生になっていたわけで、さらに気が付けばカミさんはPTAの役員なんてものをしていて、気が付かなければなんてことは無いけど、気が付いてみると僕の周りは皆とても社会性を伴って進化しているのだと、それだけで関心してなんだか眠くなってしまった。

しかしそのまま寝てもいられないので中学校に行って見ると、思っていたよりはるかに極太の伐採木がごろんごろんと横たわっていた。





僕の300mmバーのチェーンソーでは一箇所とて切り離すだけで大仕事である。
休日の閑静な住宅街で混合2ストの音高々に轟かせ僕が動かせる長さに切って行く。

聞くとこれはニセアカシアという木らしいが、調べてみると重く耐久性が高い材として、かつては線路の枕木、木釘、木炭、船材、スキー板などに使われ、薪や炭に適しているとあった(Wikipediaより)。

渾身の力で車に積んでいて、ふと縦積みするというアイデアが浮かびやってみると、恐ろしいほど積めてしまい、車にも必死に頑張ってもらった。
後に自分の体重ぐらいかな、と思って一番重そうなやつを量ってみたら、120キロの体重計を振り切ってしまった。





後ろに大量の木を載せ、逆にフワフワになってしまった前輪上の助手席に、気が付けば高校生になってた長女を載せて帰宅。

すっかりまっ暗になってしまった中で、僕は再び渾身の力で積んできた木を片付け、家に入ると娘は薪ストーブの前で僕のギターをじゃかじゃかと弾いていた。




その日の晩御飯は、最近気に入っている鶏肉と野菜の水(無し)炊きを作った。
味塩コショーの味を濃い目に付けて、鶏肉と野菜を蒸し焼きにし、大根おろし(水気は切らない)とキザミ葱を大量に入れた取り皿に入れて食べる。




平和な年の暮れであった。