久しぶりの更新で表題は若干変わったみたいだがなんのことは無い、前回の続きである。


さてナベリンがまだ山梨を走り回っている頃、僕は池袋のナベリン宅の駐車場に愛車であり倉庫であり、隠れ蓑とも言えるマンギョンボンゴ号を泊め、さらには奥サマのコメットさんに車で竹芝埠頭まで送っていただいていた。

埠頭で三宅島エンデューロの早入りスタッフ、通称”島流し組”と落ち合い、100リッターのザックを背負いつつ、ライディングギアでそれを上回る大きさになってしまったキャスターを転がし時に抱えながら乗船。

海から望む日本国の高額電力が育んだ眩いばかりの夜景もそこそこに、そそくさとレストランへ行き、打ち合わせという名のビール。





これから二週間ちょい、東京から南南西に180キロ、人口約2700人の島生活である。

三宅島は最高気温が30℃を超える日が年間約9日、最低気温が0℃を下回る日が1日弱(ならない年もあるということだ)、と気候に大変恵まれた島で、なるほどそういえば去年初めての三宅島でも、季節のわりにうら暖かく陽光降り注ぐ中で火山ヒルクライムをした記憶がある。

昨年のヒルクライム試走時の画像。




翌朝、船はまだ暗い阿古港に着岸。

風と波の状況でその日によって着岸港が変わるのがこの島の日常だが、阿古港は本来の定着港である。



三宅島マップpdf

この阿古という地区はいわば三宅島の中心的な場所で、学校、郵便局、セブンイレブン(と勝手に呼んでいた食料雑貨店)は有るし、パチンコ店、それになんと島に稀なる信号まである。




宿は港から歩いて行けるところに在り、エッサエッサごろごろごろと荷物と共になだれ込みチェックインすると、我々の寝床は大きな母屋を突っ切った、どこかただ普通の民家的”はなれ”にあるらしいと分かった。

フロントからやたらめった遠いそのはなれに入ってみると、中もやはり普通の民家のような造りで、そこに「島内最大規模」というホテルの雰囲気は微塵もない。

そこで憤りではなくむしろ安堵を感じてしまった僕は、本日の出動までひと寝入り。

そして目覚めると軒先では野良猫が寝入ろうとしていた。





会場に着くとエンデューロコース造り黄金の3点セットであるバギー、発電機、アンカードリルが待っていた。

それぞれ色もメーカーも新しさも、昔さんざんコキ使い、コキ使われたそれとは全く異なるが、
十年の月日、700キロという距離を隔ててみても、やはり自分はこのセットの呪縛から抜け出せないのだった。





杭打ちの合間合間に土山造形職人翁からスロープ形状の指示を請われるが、毎度毎度

「こんなもんスかねー。」

とまるで主体性とヤル気に欠ける返答でその場をやり過ごす。
だってこれ単なる通り道だからなー。





今年もマーシャルバイクは56号。
去年の三宅島もこのバイクを貸して頂いた。タイヤも同じ…?





晩飯の味噌汁にはカメノテが普通に入っている。




今日一日ネボケてたから忘れてたけど、島にきたんだよ。