やはりまだ道路状況に不安があり、牡鹿半島へは幹線道路を使った。
その移動途中で明日からまた多忙な安喰さんとハラジュン氏に、

お疲れ様でした。
そして有難うございました。
本当にお世話になりました。
また是非宜しくお願いします。

の別れを告げ、我々はそのまま石巻周辺へと走るが、その様子は前回の4月の状況と大きく異なる。

前回の様子。総帥の動画。

相変わらず右端がチョチョギレるのでしゃんとした動画を見るにはこちらから。



今回、特に目立ったのは街に流されてきた車、瓦礫、泥などが綺麗に片付けられていた事。





あの膨大な量の撤去作業は生半可な労力ではなかっただろう。

計らずもこの支援物資輸送行と入れ違いに帰ってきた、高校の同級生でマイミクなマジロー君の8週間に渡る泥掃除ボランティアや、そのマジロー君の被災地キャンプの途中で偶然出くわした、これまた同じクラスで3年間僕の右隣の席だったエージュロー君の活躍(何をしたかは全然聞いてないけど)の成果を見た気がして、あまり賢くなくて御ギョーギも宜しくない我が母校であったが、なんだか実に誇らしく思えた。


相変わらず渡るのが怖かった、石ノ森萬画館前の橋。






石巻ではそんな思いを抱いた道中であったが、辿り着いた牡鹿半島の状況は志津川町に近いものがあった。

瓦礫に人の手は入っているのだが、あまり撤去はされていない。

路面のひび割れや路肩の決壊が多い半島の外周路を走り、一見しただけではその先に集落があるとは分からないへと曲がり、どんどん下りて行くと、小さな漁港と民家が何軒かあり、その一軒が避難所であった。







戸を開けると、その奥ではおそらく夕食であったろう雰囲気が漂っていたが、事情を話しそこで再び物資を下ろす。
積み荷が少なくなってきたので、雨降る中ではあったが荷を出して欲しいものを選んでもらう。





そして再び数キロ程海沿いの道を走り、避難所となっている「めぐろ旅館」へ。





大きな避難所はここが最後。
大量の物資を下ろす。





必要としている所へ必要としている物を渡して行き、すべてが綺麗に収まると言う事は稀である。
被災地とは言え、4トン車一杯の様々な荷物を配りきるの言うのは想像以上に難しく、何を配り何を残すかと言う判断は事前情報が少しだけある他は、ほぼカンに頼ることになる。

しかし、そのカンというか、我が拙い予想の中では
「とても良い子なのは分かっているのだけど、嫁ぎ先を選ぶ恐れ有り」
と思っていた物が先方に喜ばれすべて引き取られていった様を見て、やはり縁の神は存在するのだと嬉しくなった。


陽が暮れかけたが、さらにチエちゃんの案内で一軒の民家へ。
家屋には波にあたられたダメージが見えたが、そこに住む方達はとても明るく力強かった。





気がつけばトラックには予約済みの物資を残すのみとなる。

石巻の街中で予約済み物資を、現在避難所生活をしているチエちゃんの知り合いに渡して終了!





今回、支援頂いた物資が膨大な量となり、とても嬉しい気持ちと共に正直プレッシャーも大きかった。
沢山の物資と共に、大切な「思い」もヤマのように預かったからだ。

それらが皆、「ありがとう」と笑顔、時に泪と共に受け取られていった。
先述もしたけれど、「思い」を預かった全員にその空気を伝えるのは適わぬかもしれないが、考えれてみればこういう心のやり取りは当然この場だけでは無いのだから、この際どこの誰が何をどうしてどうなった、という事では無く、

”どうやら思えば伝わるようです”と記すことにする。

以上、書き出しがサイコーに遅かった上に、長々と引っ張りまくったこの支援物資輸送行レポートをこれにて終了させて頂きます。

順序が逆になったけど、この活動を行っている MOTOR CYCLE FORCE のサイトです。

また再び支援物資のご提供を募りますので、また皆さんの”思い”をまた託して頂ければと思います。



実を言えば、この遠征話には続きがあってここで終わるべきではないのだが、この流れでほぼドンガラ状態となった4トン車の帰り道の行状を書いて良いものか否か、目下思案中である。