オホーツク海に出た。
海沿いのダートを乗り継いで南下する。




町はオホーツク海にへばり付くようにして有り、
たどり着くなりバイク屋を探した。

ブレーキレバーを手に入れる以外ここに居る理由は無い。
一刻も早く用を足し、当初の旅程に戻る事ばかり考えていた。

バイク屋は直ぐに見つかったがレバーは無かった。
「ウチには無いけどここへ行って聞いてみたら?」
と教えてもらった場所へ行くと、そこにはオフロードバイクがずらり並んでるので、

「こんな北の果てにすごいショップが有ったもんだ…」

と喜びいさんで中に入り店員を見つけ
「XLRのブレーキレバーありませんか?」
との問いに、不思議なチェックのパンツを履いた太っちょの店員さんは
「皆林道に走りに行ってるから今はないなあ」
と不思議な返事をし、
「お泊りですか?」
とさらに不思議な問いかけを僕にした。

そこがえさしYOUというライダーハウスで、そのような宿の存在もその時初めて知った。

拍子抜けした僕はその日の移動を諦め、そこに泊めてもらう事にした。

「一日ぐらいはのんびりしてもいいか。」
と言う心境であった。



翌日、林道に誘われた。
「中途半端だけど日中ここで遊んで夕方出発すればいいや。」

まだ17才の自分は、我が性分を何も理解しておらず、実際には目一杯遊んだその夕方の出発など有ろう筈も無かった。



外食はお金が掛かるので「自炊隊」を結成。



その夏、既に就職が内定していた。
担任から会社への書類提出日を聞き出し、バイクが壊れた事にして帰る日程を最大限に延ばそうと、学校に電話を掛けると、担任は僕の現況に驚くと同時に体を心配した。

「体はヘーキですが、バイクがダメです」
「北の果てに居るから部品入らないし、いつ直るもんだか…」
「でね、先生。あの、そうアレ、そういえば書類提出いつでしたっけ?」
「はあ9月3日…」
「はい…。はあ…なるべく早く帰れるように頑張ります…。体はダイジョウブです。」

という電話をした翌日。
雨の林道を走っていて倒木に足を強打し、足首が倍に膨れあがった。

翌々日。僕はダメになった体で全くヘーキなバイクに跨り、左手でシフトチェンジをしながらフェリー埠頭目指して南下した。



↓腫れた足首。
ピースしているのは僕に保険証を貸してくれたシェフ。
後ろで宿のオーナー佳子姉さんが、いくら洗っても綺麗にならない僕の靴下を掲げて記念撮影。
結局2週間のうち、えさしYOUに10日滞在した。
太っちょの店員さん(スタッフのメタル氏)が履いていた不思議なチェックのパンツはライダーハウスで500円で売っていたもので、連泊者のユル着として活躍。
僕も買った。


枝幸で過ごした10日間は、幼い高校生にとって表現に余る程心躍る日々で、帰ってきてからそれを上手く伝えることが出来ず、両親などにはため息交じりの苦笑いを浮かべて
「まあ楽しかったよ。」
などと言うものだから、誤解されても仕方なかった。

登校すると、脚を引きずった僕に級友が駈け寄って来て根掘り葉掘り尋ねられたりしたが、担任が始業式の日に皆の前で僕の行状を、それはとても痛快な出来事がありました、と言う感じで話していたらしい。

就職活動の終わったさして張りのない日々は、北の出来事を着実に現実離れした記憶として遠のかせて行った。

一緒に遊んだ仲間への気持ちは日が経つに連れ逆に強くなったが、僕には次々と現像されてくる写真達を見て二度と訪れる筈の無いあの時間を想うしか術が無かった。

そうなのである。

日本各地から集まり、偶然が成したあの仲間達とはもう二度と出会うことはないだろう、とその時の僕は本当に思いこんでいたのだ。

しかし秋の訪れと共に、仲間が一人また一人と南下し、その度に仲間は集まった。

その関係は以後20年以上に渡って続いている。

そしてこの7月。
宿のオーナー、佳子姉さんのある誕生日に合わせ、再び全国からライダー達が枝幸に集まった。
それはライダーハウスの仲間達の間で当時から約束事としてずっと抱いていたもので、20年を超えた月日を経て実現したのである。