前回の記事を投稿した2日後に、こんなお知らせが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログはジャンルの設定をしていないのですが、

時々こういうハッシュタグの通知がくるのは嬉しいですね。

僕にとって、ブログが近すぎず遠からずな存在だと認識できるというか。

ジャンル設定だと近すぎちゃうんですよ。

(あくまで個人的に)

ハッシュタグランキングは僕にとって程よい距離感。

 

まあ、文章とは関係のないハッシュタグでしたが。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Non*さんの企画で、とても素敵な写真を撮るブログに出会い

それから度々訪問しては、

自分には撮れない世界を堪能させてもらっています。

それなのに、この企画に追随するという発想に至らなかった。

 

何人もの方がぶんぶんさんの「ひと月遅れ」につながっているのを

今回もNon*さんのブログで知り、そういうのいいなあ、と。

 

ぶんぶんさんの「ひと月遅れ」から更にひと月近く遅れて、

今さら感が溢れていますが参加させていただきます。

 

 

写真は4月に行った横浜のハードロックカフェと

地元の札幌にある「森彦」というお店です。

 

 

 

 

 

そして文章は「春隣」の5話、これがラストです。

相変わらず長いので、心してお読みください。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春隣 5話

 

 

 

 

§

 



残りのコーヒーを飲み終えて、僕は店を出た。
客席はいつの間にか多くが埋まっていて、人のいないテーブルは数えるほどしか残っていなかった。
夕刻を迎えた商店街には長い影ができていて、
その上には琥珀色の空が、どこか誇らしげに町を見下ろしていた。
やはり日が少しずつ長くなっている。

週末の長閑な遊歩道を足早に過ぎ行く人がいて、その姿はひどく孤独に見えた。
靴音を硬く響かせ、顔を斜め下に向けたまま、地面に怒りをぶつけるような表情で。

道端の植え込みに咲いた小さな花にも目を留めなかった。
それはまだ十分とはいえないけれど、所々で群れをなすようにして黄色の花弁を健気に広げようとしていた。

 

 

 



 

 

 

 

マキを失ってからの僕は、それまでに経験がないほど孤独だった。
仕事をしても映画を観ても、どこへ出かけても孤独の深淵が常に付きまとった。

僕は眉間にしわを寄せ、斜め下を向いたままで歩いていた。
足早に、靴音を響かせながら。

誰かに関心を持つことが、人に歩み寄ることが怖かった。

僕は、本当の本気で人を愛せなかった自分を嫌悪していた。
あの時、答えを解くことができなかった自分を許せないでいた。

自分が誰かに向ける、ほんの小さな愛情も厚意も、全てが虚飾なのではないかと疑った。

そんな思いに囚われてしまった。

僕にできた瑕疵(かし)は、恋に破れたが為についた傷の範疇を超えていた。

もっと深く、もっと鋭く、僕の核心を大きく毀損した。
だけどその苦さを、その痛みをどこかへ(なす)り付けてみても、
それはただ自分の元へ帰ってくるだけだった。


札幌に長い冬がきて、孤独は殊更に際立った。
僕はその冬を苦痛に打ち(ひし)がれるだけの日々として過ごした。
新雪の銀世界は僕に逃げ場などないと告げる。
喪失を知ること、孤独を知ることは、時間の経過につれてなおも痛みを増幅した。
冷たい吹雪が容赦なく僕の傷口を(えぐ)った。
それに抗う力もなかった。
そうやって僕は、色のない季節と同化していた。









僕は冬という季節を自分の中に住まわせていた。
綺麗なものは何一つなくて、冬が与える暗さや寒さばかりを取り込んでいた。
それらは次々と乱雑に積み重なっていき、もはや足の踏み場もなかった。

年末が近づき、僕の誕生日を知らせるメールがいくつか届いた。

食事に誘ってくれた友人がいて、しかし彼に会う自信さえ失くしていた僕は一人でいることを選んだ。

そして(かじか)んだ孤独を確かめるように、冬が作った氷の鏡で自分を映し続けた。
延々と、飽きもせずに。

年が明け、降り続ける雪とともに二月がやってきても、他にすべき事の一切がなかった。

 

 

例え僕が自失していようと、やり場のない憤りに悶えようと、痛みは必ずそこにあり続けた。

目覚めれば体を蝕み、終日に渡ってうごめき続け、寝床に入ってもなお止むことを知らない。

痛みの源泉が僕自身であるにも関わらず、僕が何を思おうと、何か行動をしていようといまいと所縁(ゆかり)がなかった。

それは途切れることのない川の流れに似ていた。

峻壁(しょうへき)を侵食し続ける、飽くなき波の繰り返しを想起させた。

痛みがまるで自然の不変的現象であるかのように作用していた。

あるいは、痛みが自然の現象へと回帰することで原動力を得ているかのようだった。

僕という個体が、痛みを媒介にして自然と繋がっている様を想像した。

 

 

 

 

 

 

 

 

そこでふと、痛みと自然、と思った。

それらは明らかに相違しているのに、僕の内側にある痛みは外側にある自然と同じく機能した。

川の流れのように体内を巡り、崖にぶつかる波のように僕を侵食し続けた。

自分の内側が外側と同じ働きをするというのは、内側が外側に影響されるというのとは違う。

僕はその二つを隔てている何かについて思った。

そして、内側と外側について思った。

痛みと自然が決して共鳴しあえない、ただ一つのことについて。

僕という個体が、自然の現象によって流されてしまわないことについて。

 

 

ある日、手にしてきた氷の鏡が薄くなっているのに気づいたとき、
僕は最後に見たマキの笑顔に、あの碑に何が記されていたのかを解りかけていた。

二月が終わりに差し掛かっていた。

風雪のシルエットが途切れ始め、零下の突き刺しは丸みを帯びる。

僕の中で住み続けた冬の、輪郭線が滲んでいた。
 

 

 

 

 

 

 

 

苦しみに抗うことさえ諦め、冬を俯いて過ごしてきた。
孤独であることを恨みながら、孤独でいる道を自ら選んできた。

痛みは自分への贖罪だった。だがそれは違った。

僕は大切な人を失ったけれど、その痛みは決して僕を見捨てなかった。
 

 

本当の本気で人を愛するための強さを手にするまで、
どれだけ時間がかかったとしても、痛みは決して僕を見捨てることがない。

そして僕の内側を巡り、僕の誤解を侵食し続ける。

痛みは僕の敵ではなかった。

敵ではなかった。
そしていつか僕が今までよりも確かな扉を見つけ、そこに手をかけたとき、
遂にその漆黒の殻は破れ、孵化していく美しさを見せる。
黒曜石にも似た欠片たちは輝きながら風に溶けだし、生を享けた追憶の雛鳥は僕の大切な部分を埋めるように浸透していく。

柔らかな疼きの名残を伴って。

扉の向こうに足を踏み入れる。すると、僕の中にある冬が移ろい始めたのが分かる。
色のない季節に遷移の兆しが訪れる。
レースのカーテンに零れる光。
命の匂いを纏う大地。
雪が残る小川のせせらぎには点々と緑が差し始め、薄浅葱の夕空には弦月が高い。
 

 

 

 

 

 

 


僕は休暇をとって旅行へ出ることにした。

知らない土地の、この季節を一人で見つめるために。

出発の朝、窓の外には薄い霧がかかっていた。

身支度を終え、ソファーに立て掛けたトランクのハンドルを伸ばす。

その手が一瞬止まる。

思い出深いソファーは、まだ僕の部屋に置かれたままだった。

 

 

 

「ねえねえ、禁煙貯金がたまったから来月旅行しよ?どこがいい?」

「……ちょっとこの映画が終わってから」

「お、なんだ人のこと無視すんのか?」

「あのさ、今いいとこなんだからさ。マキは観ないの?ほら、ここ座って」

「ねえ、わたしがビデオの邪魔してると思ってるんでしょ。そうなんでしょ?正解!」

 

 


胸が貫かれそうになる自分を、今なら許せる。

そんな自分に何か声をかけたくなった。

三月。札幌という都会に住みながらその部屋はとても静かで、穏やかだった。

僕は「大丈夫」と小さく囁き、それを自分の深いところまで染み渡らせた。

雛鳥のいるところまで。
大丈夫、というのがそれに相応しいのかどうかはわからない。
ただ、その言葉はきっと、この胸のよすがとなる。
 

僕は靴紐を結んで外へ出て、朝のひんやりとした空気に自らを晒した。

季節は春隣だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長い話に付き合って下さり、ありがとうございました。

そして「ひと月遅れ」と「2022私の春のとっておき」に関わりのある皆さま、

ぶんぶんさん、Non*さんに感謝いたします。