おはようございます。
もう十五年くらい前の話です。
飲食業から転身して、営業の仕事を始めて二年目だったかな。
統括支援という立場で、あるエリアを担当していました。
北海道は広いから、所属していた札幌の支店では丸々カバーができなくて
地方にはいくつか営業所を構えていました。
営業所といっても所長一人とか、せいぜい二~三人といった規模ですね。
僕が担当したエリアは営業所長が一人で回していたのです。
そのエリアの中に、悲別がありました。
とても陰鬱で、小さな小さな町です。
かつて近隣の炭鉱が賑わいを見せていた時代から、
慎ましく存在していた、集落のような所です。
悲しい別れと書いて、悲別。
こんな幸薄い地名を考えたのはある有名な脚本家で、
正式な地名ではないのですが、インパクトがあるので悲別でいきましょう。
人口は三千人余り、全国の市で最も住民が少なく賑わいもない。
おまけに道内でも特に積雪の多い地域。
古くて小さな集会所で、座布団もない床に座った高齢の女性たちが
内職のように無言でただミシンを動かしている、それが悲別です。
先に言っておくと、僕は悲別が嫌いではないのです。
まだ学生だった頃に、この一帯について書かれた本を読んだことがあり
炭鉱の閉山から、長く厳しい時を過ごしてきたのを知っていました。
主要産業が無くなり、多くの人が悲別を去った。
それでもそこに留まり、耐えながら生き続けてきた住民の方々に
尊敬にも似た思いを抱いていました。
ただ、悲別に入ると止めようもなく気持ちが落ちていくのです。
車で通るだけでも、辛いとしか言いようがない。
壊れかけた家屋、錆びついたシャッター、修繕しきれないアスファルト。
坂上で、雑草に覆われながら時が止まったように佇む煙筒。
まず、通りで人と出会うことがほとんどありません。
エリアの営業所長にして「あそこだけは空気が違う」と言わしめる悲別。
「受注どころか人がいないんだから、営業で回っても仕方がないよ」という助言もあり、
僕は次第に悲別へ入る機会から遠ざかっていきました。
次回に続きます。