こんばんは。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は日本にとって特別な日のひとつです。

 

自然災害の多い日本。

 

これまでも災害により、たくさんの犠牲者を生んできましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それらの日付は毎年訪れるけれど、

 

何を思うか、何をするべきかは、日々を生きているぼくらに委ねられている。

 

 

 

 

だけど、自分自身を振り返ると

 

生活や仕事など、自分のことに精一杯で

 

歴史を大切にしていないことに気付かされます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歴史とは、つまり教訓であり

 

自分が学びを得て生きていることの証だと思うのです。

 

人間は忘れていく生き物。

 

だけど、残した歴史まで消えてしまうわけではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が見たもの、触れたもの、感じたもの。

 

それらが「自分史」という歴史の一部だとすれば、

 

痛みを伴う歴史もあるし、忘れてしまいたい歴史もあります。

 

 

 

 

 

 

それでも、歴史は消えない。

 

心の奥底に隠すことはできても、

 

それは砂に埋めているようなもので、風が吹けば露呈するでしょう。

 

覚悟を決めて、受け止めるしかないと思うのです。

 

その勇気と誠実さを、被災者の方々は教えてくれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7年前の今日、ぼくは仕事で盛岡にいました。

 

花巻に向かって国道4号線に入る直前、うねるような横揺れがあり

 

次に大きく上下に揺さぶられました。

 

頭を抱えて車から飛び降りましたが、何もできることがなかった。

 

停電して信号が消えて、大渋滞が起きるのをただ眺めているだけでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花巻に着いたのは17時半頃。

 

お客さんの店では、暗い中ろうそくを片手に

 

落下して壊れてしまった商品や割れた窓ガラスを片付けていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、北上のお客さんを訪ねました。

 

道路のあちこちが大きくひび割れしていて、

 

ぼくがこの後、一関のお客さんを訪ねるつもりだと言うと

 

必死で止めてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくが経験した7年前の今日でさえ、

 

ブログには書ききれません。

 

この歴史は、何かをぼくに訴え続けている。

 

つらいこともあったけれど、砂に埋めてしまうわけにはいかないのです。