月9
後悔。
人は誰でも夢を見る。
昔描いた夢がそのまま眠りの中で夢に現る。
不思議なものでそれは時を感じさせない。いつも景色はあのときとよく似た景色だ。
これまた不思議なもので、何度その場面が訪れても、できないものはできない。
どれほど心に深く刻み付けていたつもりでも、いざまた同じ場面が来たとて同じなのだ。
このドラマはつらい。最終回かもはっきりしないような最終回をいまだに現実として受け止めざるを得ず、すでにどうやら「永遠の再放送」だけは決定しているらしいからだ。
また同じ場面に出くわしたとて、今度は想いのままにできるだろうか?
不甲斐ない自分も当時いて、自分がああじゃなければ結末は違ったのではないかとの懸念の傷が今も癒えることはない。
また、その傷の癒し方もまったく分からない状況だ。どうしたらいい。
本当にタイムマシンでその時期に向かい、ありありとその2度目の時期を迎えることができたら違うことをするのか。今度は違う決断ができるのか。
時を変えることは絶対に簡単ではない。本当に「台本」があってそれに基づくストーリーを送るようずっとずっと前から決まっていたのではないか。初めからそうなることは、決まっていた。
主人公があなたであるからつらいのだ。自分自身のドラマだと思うからフレームに収まりきらなくなる。
そのお話はとても魅力的なストーリーで、そのお話の一部を添える程度に自分がそこにいたと感じることは出来ないだろうか。今からでも遅くないのでは、ないか。
これから先、何度再放送が放映されようとも、同じ景色を同じように思い出すことがあっても。違う見方で観ることはできないだろうか、今だからこそしか出来ない見方が必ずあると思う。何回も観たそのドラマも、今だから感じ取れる何かが絶対ある。
いつまでも同じドラマを観ていたっていいではないか。何度みたっていい。
今も魅力的なストーリーで、登場人物も最高で、なんてドラマはそうそうあるものではないし。
最高視聴率はそのままにしておけばいい。そのままでいい。
あなたがそのドラマに出演しなくてはいけない運命だったのだ。
今もあなたの中に、その情景が生きてることだけでも素晴らしい。
思い出してほしい。
そのときの空は青く晴れて、いつにもまして心地よかったことを。
あなたの心も、とても優しかったことを。
すべてが好きでいたことを。
ありがとう。
直球勝負
答え。
答えは既に自分の中にある。ただ、それが何かはわからない。
自分の中にあるとは分かっているのに、確実に。
人は自由を希望の1つに挙げるらしい。だけれど「自由」とは本当は苦しいもので厳しいもので、人は希望と言いつつ避けている、いや避けざるを得ないほど難しいものなんではないだろうか。
「明日からは好きなことをしてもいいよ、いやなことは何もしなくていいよ、なんだってやりたいように生きていってもいいよ」
と言われても、自由を希望と掲げる人は1日や2日すれば結局もと居た世界に戻るのだ。
不安になるのだろう。本当はそんなんでまかり通るはずがないと思っているから、こんなんじゃ駄目になるだとかヘンテコな思考で何故か「もと居た場所」に戻るのである。
好きなように生きていいみたいな人生、方向性は究極的だ。
それ以下、それより嫌な生活はない人生ということであるから、つまりそれ以下の人生はない。逃げ道はない。
幸せを求めるのであれば、好きなことをベースに固めていくしかない。それが直球だ。
ただ直球であるならば逃げは無いのである、直球なら勝負しかない。
打たれたとしても言い訳にもなるしという事で「直球」を結局選択できないのであれば、もはやマウンドではない。降板・引退する事も充分本人は分かっているのだろう。
直球で勝負出来るマウンドを探さないことには何も始まらない。
ただ、そんなグラウンドはどこにもないらしいであることは事実らしいから難しいのだ。
変化球で今まではやってこれたが、それではやはり何も幸せではないし、勝負してる感も、やはりない。
打たれまくって挫折するのが怖くても、打たれまくるその方向で行く事でしか廻って来ない打席もあると残念ながら気付いてしまった。
ただそんな「打席」はどこにあるのかはわからないし、「直球」を投げ込めるマウンドも無い。ユニフォームも無い。
ただ、DHよりも魅力的な打席を見つけたし、ホップしまくるストレートの握り方も発見したから色々試してみたいという気持ちがあるのだけは救いである。
ただどうすればいいのかはわからない。
今は。
ありがとうございます。
来客者
速効性と大変化。
何かに突き動かされている姿勢である場合、やれどやれど中々進展は目に見えて表れない。
過去という足跡を見渡せば、ゆっくりと大きく変化してゆくさまがバッチリと感触として得られるものなのだが。
今という時象に至っては、やはり足跡ほどハッキリと見えるものではないようだ。
ここをなんとか見たい。感じ取りたい。
今現在を過去と同じカテゴリーに入れて、ハンデなしのそれぞれで全体を俯瞰して、それで物事を考えさせてほしい。
今日という日はどれほど重要たる1日だったのか、今月という単位はどれほどインパクトある日月だったのか、あるいは取るに足りないものであったのか。
「大きな変化」は爆撃機のようには来ない。また、そんなに直撃級の速さでは来ない。
そういったたぐいの感じ取れるレベルの変化であれば、それは後々になってみれば大した問題ではなかったのだと知るのがいつもの墜ちだ。
速攻的に効くものであればこちらも嬉しいのだが、そういったものは実際にあまりなく、あっても同様に即効に消え去り得る。
意識を変化し、行動を変化し、時間を知り得ることを甘んじなければ、
必ず「大きな変化」は訪れると考える。
そう信じて努力を惜しまぬ姿勢で日々をやり抜いてきたのだから、
せめて来た時ぐらいはノックしてほしい。
あまりに静かに来るものだから、
「来客」として認識することすら出来ず、困らぬように。
ありがとうございます。
