本日の血液検査

CRPは、15.72

白血球は、12.2

ヘモグロビンは、9.5

血小板は、6

BLASTは、36%


電話をしたのですが、

受話器の向こうから聞こえるのは、

「もしぃーもしぃーもしぃーもしぃー………」

というか細い小さな声だけです。


「母さん、母さん」

と叫んでも、答えは一緒でした。

昨日緩和ケアの主任先生は、

最後に、母へ

「一世一代のお茶会を開くことを目標に、

最後まで頑張りましょう」

励ましてくれました。


母は、きっと嬉しかったに違いありません。


緩和ケア行きはなくなったものの、

本日も、主任先生とチーフ看護師の方たちが、

声を掛けにきてくれたそうです。


ただ、肝心の母の具合は、

あっかするばかりです。

朝8時30分には、体温40℃を超えました。


病室に行けないときは、

必ず電話で話してきました。

しかし、この数日は、

コールしてもなかなか出てくれないことが増えました。

また本日は、本人が出られず、

看護中の看護師さんが代わりに、

出てくださり、代わってくれました。

しかし、その母の言葉は、

ひとつひとつの文字を積み上げるのが困難なほど、

意味が分かりません。

お話好きの母でした。

そんな母が、話せない。

ベクトルの幅が、広すぎますね。


別の看護師さんからも、

病状とアドヴァイスの電話などをいただきました。

本日は、

緩和ケア病棟の

主任先生とチーフ看護師さんとの面談がある日です。

とっても大切な日です。


しかし、

朝一で母に、電話すると、

38.6℃の高熱で、調子悪そうでした。

声も弱く。

「今から行くからね」と言ったものの、

通じていたか、分かりません。


実際、病室に着くと、

母の体調は見るからに悪そうでした。

本日の面談は、もう無理かもしれない。

そんなことが、頭をよぎりました。


ほぼ定刻に、

先生達が、病室に来てくれました。

先生から、まず質問がありました。

「ご自身の病気のことは、知っていますか?」


答えられるだろうか。

というか、

もともと耳も悪く、かつ会話が通じない今、

母が、質問を理解できるだろうか。

そんな心配をしていると、

母が、かぼそいながら、芯の通った声で、

「約10年前に血小板増多症という病気にかかりました。

その後、その病気になる人の10人に1人がなるかもしれないという

白血病になってしまいました。

そして、12月28日より入院することになりました。…………」

と、ゆっくりと正確に話しだすではないですか。

これは一体なんなんだろう。

軌跡と言われる一つかもしれない。

涙が溢れそうでした。


その後も先生の話を、理解しているように見えました。

「緩和病棟に行ったら、どのように過ごしてみたいですか?」

という質問には、

「私は、お茶を教えて参りました。

ですから、一緒に病気と闘う患者様達や、スタッフさん達、

 ご家族達にお茶を振る舞い、皆で愉しめたらと思っています」

と答えました。

そこに居た誰もが、目を輝かせてくれたように、

感じました。


更に、

「残りの人生をどんな風に過ごせたらとお考えですか?」

と聞かれました。

「生きている間に、何か人に役に立てることを(ボランティア)してみたいと思います」

何を言い出すんだろう。

身内を誉めることは、美徳ではありません。

しかし、この時ばかりは、母を称賛してあげたいと思いましたし、

これこそが、人間の原点なのではないかと改めて気付かされました。


さて、

その後もいろいろとお話をしました。

そして、結論です。

緩和ケア病棟への転室は、

ふさわしくないだろうとのことでした。


では、どうしたら良いのでしょうか?

病院からは、「急性期の~」と説明を受けています。


それを受け、

緩和ケア病棟の主任先生が、

「このような状態の患者さんを、

追い出すような病院はございません。

この病室で、引き続き治療していただきます。

なあ、○○先生(血液内科の主治医)!」

ときっぱりと言ってくださいました。


なんと心強い言葉でしょうか。

母と家族の心配が、一気に溶け落ちて行った気がします。

もちろん、

その裏には、母の状態が相当悪いということでもあります。