これまでの生い立ちを語る中で、父について色々書いてきた。
酒乱であり、暴れて大変なことばかり書いてきたが、本当にそうだったんだろうか?
悪い所が強烈なため目立つが、いい所もたくさんあったと思う。
まず真面目に働いていくれた。
お酒を飲まなければ、真面目な人だった。
そして家も早くに建てて、新しい家に住めた。
そのおかげで、子供3人も立派に育ち、今では3人の子供にさらに3人の子供が産まれ、9人の孫がみんな元気に育っている。
そして私にスポーツを教えてくれ、今でもスキーをしている。
そして何より、丈夫な身体で産まれてきて、5体満足で今も健康に暮らしている。
今想えば、父はなぜ、あれほどお酒を飲んで暴れていたのだろう?
仕事のストレスだったのだろうか?
たしかに私が小学生ぐらいまでは、出世していたようだったが、途中で新規事業の担当者になり、資格の勉強したりして大変そうだった。
その頃から、仕事がうまくいかなったのかもしれない。
その頃から徐々に体調を崩し始め、糖尿病が悪化していった。
それでも父は大変な仕事をガマンして続けてくれたおかげで、高校を卒業して就職できた。
結局、お酒をやめれば体調は戻ると医者に言われていたのに、お酒をやめられなかった。
そして51才でこの世を卒業した。
父が本当にやりたかったことは何だったんだろうか?
父は満足してこの世を去ったのだろうか?
今思えば、もともと父は農家の出身で、農家を良く手伝っていたようだった。
そして畑仕事も好きで、よく家庭菜園をやっており、野菜の品評会でも賞をもらっていた。
そういえば、小学生の時に、田舎に帰って農家をやりたいと言っていた時期があった。
私はうだつの上がらない小学生だったので、田舎に行けばヒーローになれるんじゃないかと、甘い考えをもっていたが、本当に農家をやっていたら、そんなことも言ってられず本当に大変だったと思う。
結局、父はそのまま仕事を続けることになり、家族を養ってくれた。
もしかしたら、父は本当は農家をやりたかったが、家族のためにガマンして仕事をしていたから、そのストレスをお酒で紛らわそうとしていたのかもしれない。
そう思うと申し訳ない気持ちと同時に感謝の念も湧いてきた。
量子論では過去も未来もなく全てが同時に存在しており、時間は流れていないという。
過去に感謝すると現実は変わっていくのだろうか?
そして私は父がもっと生きたいと思った今日を生きている。
その今日を抱きしめ、精一杯本当の自分で生きて、「生き切った」と満足してこの世を卒業したいと思う。