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量子論で本当の自分で生きる!

現代物理学の最先端である「量子論」の理論を実践すると現実は変わるのか?そして本当の自分の声を聞いていくと充実した人生になるのか?
これらの仮設を実験しながら検証した結果を綴っていきます。

親に怒られないよう生きるため、真面目でいい子になると決めた私は、「幼稚園のような所?」へ通うようになる。

 

なぜ幼稚園のような所?かというと、厳密にいうと幼稚園ではないようで、生真面目な母親は、幼稚園より厳しくお行儀のいい子を育てる「○○団」という所へ入れた。

 

ただでさえ人見知りで大人しいのに、先生も厳しく、ここでも制限のある環境だった。

 

幼稚園って普通、みんな「きゃ~きゃ~」いいながら、遊んでいるイメージがあるけど、周りの子ははしゃいで遊んでいるけど、私は仲間に入れず、常に壁の花で、遊んでいる子たちを眺めているだけだった。

 

そして料理を作ったり、掃除をしたり、自分のやりたいことは全然できなかった氣がする。

 

特にイヤだったのが、アパートに住んでいて、玄関の掃き掃除を、自分で作った三角巾とエプロンをつけて、新聞紙を濡らしてちぎって玄関にまき、埃をたてないように掃除しているのを、近所の子供に見られるのが恥ずかしくてイヤだった。

 

そして一番つらかったのは、「冷水まさつ」である。

 

極寒の冬にストーブもない部屋でパンツ一丁で、氷のような水に濡らした日本タオルを「冷水まさつの歌」を歌いながら、身体を摩擦するのである。

 

思い出した。今でもこの歌は覚えている。

「冷水まさつ~1・2・3・4、1・2・3

 真っ赤になるまで、1・2・3・4、1・2・3

 陽気な子供、元気な子供~」

 

真っ赤になるまで? 顔面蒼白だよ!

陽気な子供?    陰気な子供だよ!

元気な子供?    病弱だよ!

 

今思うと、いろんな突っ込みを入れたくなる歌だったな。

正直楽しい思い出はなく、悪口ばかりになってしまったが、一応、親が望むようなお行儀のいい子にはなった氣がする。

 

こうして私は家でも萎縮しながら暮らし、○○団でも友達ができず、安住の地はないのかと思われた。

 

いやあった。

私に唯一の安息日があった。

それは私の「おばあちゃん」が泊りにきた時である。

父親の母親が年に2~3回泊りに来てくれた。

9人兄弟の末っ子である父親は、かわいがられて育てられたので、母親には弱いらしくこの時ばかりは怒らなかった。

(かわいがられて育ったんだったら、何で自分の子供をかわいがってくれないんだ?)

 

そのため、この時ばかりは、お祭りではしゃぎまくったのを覚えている。

しかし、おばあちゃんが帰ったあとが地獄だった。

正座させられて、はしゃいだことを延々と怒られ、怒鳴られていた。

まさに後の祭り。

 

ただ、つらいことばかりではなく、父親とスキーに行っていた時は楽しかった。

特に父の会社の人たちと、ニセコへスキー旅行に行き、20人ぐらいでロッジに泊まるときは、同年代の子供も多く、そこでは遊べていたようで、楽しい思い出である。

 

こうして年に数回の安息日以外は制限のある日々を過ごしていたので、いつか自由になる日を夢みていたのかもしれない。