「10年後に一緒に暮らそう。」
なんて言っていた。
鬼は1年先の話で笑えるのに、10年となると呆れてしまうのか、大笑いしちゃうのかどっちかなぁ、なんてぼんやり思った。
希望を見つけたような表情を目の前に、そんなにつらいの?私はどこまでこの気持ちにこたえる空気をだしてあげればいいのだろう?でも、そうでもしないと死んでしまうかもしれないと割と真剣に心配していた。

 きっと、一番下の子の義務教育が終了するのが10年後だったからこういう見積もりをしたのだろう。加えて、自分のキャリア、収入を見越していろんな面で迷惑をかけずに実現可能と判断できたのが10年後と予測したのね。その他さまざまな要素を用いて算出したのだろう。仕事で身に着けたスキルを用いれば、用いなくとも、こんなことは瞬時に見積れる。

 確かに心が惹かれた部分があった。ひょっとすると私がそもそも間違った生き方を選択してきたのかもって。こういう思いこそ、私が求めていたことだったのかもしれないって。読んだ本の話をする時の、好きな音楽の話をする時の時間は文句なしに楽しかった。初めて車に乗せてもらった時、いつもの歩きのスピードからは信じられないほど早く景色が流れ、その中に2人でいることがとても嬉しかった。それに、今の私のキャリアができたのもこの頃に交わした会話からモチベートされたものが少なくない。

 けど、その考えがぐるっと私の中で一周した直後には必ず、きっと私の動きは、ご主人がいなかったら生きていけないような専業主婦のように制限された中での期待として定義されていたのだろうと、一瞬にして私を正気にさせていた。

 私はあまり幸せでないことが求められていたのだと思う。だから私は結構努力をして不幸であるふりをしていた。時には暴力におびえているような演技さえして。そうすることでどうにか元気づけられないかって思っていた。間違いなのはわかっていたし、そんなことはしたくなかった。でも、その頃は幸せな素直な私でいることになぜか後ろめたさを感じていた。だって、死んでしまうって本気で心配していたのだから。弱り切っていたんだ、キベシゲユキさんは。

 もう10年が過ぎる。今はちゃんと笑顔でいるのかな。自分が望んでいる価値を家族からもらえるようになった? 収入やポジションだけでなく、家族の笑顔で自分が満足できるような時間を過ごせているの? って、あ、もうそろそろ10年じゃんって気が付いた時にふと思った。 

 傷を癒してあげられても、傷のなめ合いはできなかった。でも、今でもAbove the cloudsを聞くとただただ幸せでいたかったはずのあなたを思い出す。笑顔の。
ねえ、いつになったら誘ってくれるのかしら?シンディローパー。もう10年が経ってしまうのよ。