本家ブログ2020年10月4日投稿

(テキストP32)



前回から
国が乱れる「4つの重い病気」



偽(ギ)→嘘
私(シ)→私利私欲
放(ホウ)→勝手気まま
奢(シャ)→贅沢三昧



その中でも「私」をもう少し詳しく。



民主主義の名に便乗した
身勝手な一般大衆の要求
エゴの風潮


それがいかに危険な兆候であるかを
ギボンさんが『ローマ帝国衰亡史』で記述
かつて文明の中心世界であったアテネ人は


だんだん、わがままになり、


自由を欲する以上に
保証を欲するようになった


彼らは、いやが上にも快適な生活を欲して


あげくのはてに、その一切を喪失した


保証も、快適も、自由も全て。





では、さっそく藤堂先生の解説です。


栄えていたアテネ人は
最終的には働かなくなりました


贅沢になり、仕事は全部、他の者にさせて
自分達は遊んでいました


勤労をしなくなると
「与える側」ではなく「もらう側」へ


そんなの国が保証すべきだ!
それは国がお金を出すべきだ!


保証ばかり言い出すと…
それは、衰退の「兆し」ということです


↑ここは、覚えておきたいな。
と、思うポイントでした・・・






続いて
江戸時代・佐賀の鍋島藩の人が書いた葉隠(ハガクレ)の話を紹介して下さいました。


江戸中期、争いもなくなり
平安な時代となりました


そのお陰で、武士が遊ぶようになり
贅沢になっていき、日本は乱れました


その一方で文化は栄えたそうです


それでは、いかんなぁ〜と書かれたものが
武士道(武士の心得)について書かれた
「葉隠」だったそうです


先程のローマもですが、日本も同じようなことがあった訳で…


そう思うと、やっぱり、「歴史は証明していっている」ということなのでしょうね






そして、もう一つの事例
聖徳太子「十七条の憲法」


懐かしいですね
そして、この歳でようやく理解できた?!
そんな意味だったのね…


第一条
和を以って貴しと爲し〜
「やわらぎをもってたうとしとなし〜」


【訳文】
和を大切にし人といさかいをせぬようにせよ



当時、国が乱れていたら、聖徳太子も「和」という言葉を使っていなかったでしょう


くしくも、偶然にも
令和にも「和」が入っています


昭和は、戦争で国がダメになりましたけど…
国全体が一丸となって国作りをしようとした時代でもありました


平成は、西洋的なシステムも入ってきて
どうも個人個人がバラバラになりました


令和は、国が一丸となる「和」ではなく
部分部分がもう少し近く
家族がバラバラだったら見つめ直す
地域地域で見直す


そんな時代になるのではないかなぁ…と
半分、私の勝手な意見でもあるのですが


そんな意味合いが込められた
元号名ではないかなぁ、と、感じています


と、藤堂先生は補足されていました。





これは、一年前の講義です
私は動画を聞きなおして復習しています。



気づいた方いますか?
ドキッとしませんか?
コロナより、ずいぶん前の動画です…



歴史は証明する
すでに起こった未来



長くなりますので、省略しますが
本書の伊藤肇さんは1979年出版時点で
破壊的な大地震などが日本の救いとなるかもしれない…と書かれています。



歴史は、ただの試験勉強ではなかったのだと
ほんの少しですが垣間見た気がしました。









次回は
シンギュラーポイントのお話です