皆さん、こんばんわ。
昨日はミュージカルを観に行ってきました。ミュージカルは、好きな人もいれば、すごく苦手という人もいる特殊な舞台だと思うのです。わたしは昨日、初めて気づいたことがいくつかありました。わたしは、俄然ファンタジーみたいな話が好きで、全てが物理世界に起こること、みたいな話の場合には、ある一定のメッセージがないと響かないんだと気づきました。価値観というのか、生きる美学、みたいなものが、すこぶる偏っているというか、狭いとわかりました。
会場は大盛り上がりで、そこで何か違和感を感じている自分の心の内はすぐにはわからなかったので、帰りの道々気づいていって、今日妹に話してみて「え、、そんなこと考えてる人ほんといないから」と言われて、大盛り上がりする大多数の人たちが一般的な感覚なんだと言われて、心電図、ならぬ頭電図というのがあったら、ぴーーー、という感じで頭が真っ白になりました。でも、その後に気づいたのです。そもそもどんなストーリーなのか知った上で、好きそうだから観る、ということをして多くの人が観にきていたら、そりゃ楽しんでる人が大多数だな、と。
歌というのは、裸の気持ちが乗っていると、何よりも響く手段だと思うのです。だから、ミュージカルが苦手な人って、気づきが起こることへの防衛で無意識に感情移入できなくさせられていて、つまらない、と感じたり、感動してる人をダサい、恥ずかしいと思ってみたり、色々しちゃうくらい、観る側の胸に歌で入り込んできて、気づきや浄化を起こす物だと思うのです。作り手にはメッセージがあるわけだから、それが響く人にとってはすごい浄化が起きるし、思いもしない気づきを与えてくれて、本当に面白いと思いました。
結局、昨日のお話のメッセージがわたしには物足りなかったのです。で、それについて妹と話している中で、そっか、本当にこの世界にはそれだけできたらいいって人たちがいるんだね、と、やーーーーー本当にわたしには信じられない着地で、羽化したセミばりに、何かを脱ぎ捨てた気がしました。この世界に、他人、がいるって、すごいことです。鏡になって自分に気づかせてくれるし、多様性たるや。いなかったら、世界は成立しないから。それと同時に、本当に主人公である必要があって、流されてる場合じゃないと思ったのでした。
善悪、ってあるとは思うのです。でも、それよりも重要なのは情熱です。
善悪はあります。でも、情熱だとわたしは思うのです。他人というのか世間というのか、それに流されないというのは「他人のために何かやる」時代は終わったということです。マーケティングで、ニーズに応える、これが基本と習うと思うのです。でも、これって、稼ぐ、今日生き延びるための生活に使うお金のためのことだとわたしは思います。歓びで生きていきたい人は、今生き延びるための最低限のお金は作って、時間も倹約して、自分がしたいことに全時間投入することだと思うのです。他人のニーズを満たすのは、稼ぐため。生き延びるため。なんのために生きているのかって、歓び、したいことするため、だと思うのです。したいことをするのにお金が必要で、お金を自分で作る必要があるなら、倹約して自分が叶えたいものそこに全財産投入できてこそ歓び溢れる人生だと思うのです。
他人のニーズを満たすことは、役に立ったという点で、満たされるけれど、これって、人によっては歓びではなく不安を埋めてるだけだと思うのです。「役に立ったから、私存在しててもいいよね」って。「誰かの役に立つように、なんて思えていませんけど、やらずにはいられないのです!」ってことが、その人にしかない創造性で、それが生まれてきた歓びをもたらしてくれるとわたしは思うのです。こんな、ミツバチみたいに右習えじゃなきゃ叩かれる時代、どんな生き方がかっこいいか、って価値観の問題なんですが。かっこよくある必要もないですが。そして、創造性を発揮するこのポイントが、家族の食事作りかもしれないし、小説を書くことかもしれないし、通勤スタイルかもしれないし、内容は人それぞれですけれど。自分の情熱で自分で勝手に決めるそこです。
キネシオロジーやヒプノセラピーをしてわたしが感じていることの一つというか、ここを理解してからセッションに来る方は少ないのですが、安心と歓びはわたしの中では全く別物です。歓びがわからない人は、安心を手に入れたらわかります。しかも安心は、1人で勝手に作れるものです。脳内、腸内、体内の環境を整えたらできることだから。でも、歓びはひとによっては他人がいないと体験できないものです。歓びには行動が必ず伴っていますし、身体があるから、の体験です。
この世界は完全に自分が生かされている上で成り立っていますが、せっかく今地上に立てているんだったら、自分だけの歓びのために毎日5時間、1時間、10分、自分のために時間を作って、時間を忘れて夢中になれることを絶対にしてあげて欲しいな、と思ったのでした。そして、この時間が長ければ長い程、ジョー・ディスペンザによると、脳の観点からクオンタムリープを引き起こすことが分かっているようです。でも、体験的にもすごく腑に落ちませんか?集中して好きなことやっていると、外の世界から扉がノックされたり、うわ!ってことが起きたりすることもありますよね。でも、それはおまけの話です。だって、それ自体がしたいことなんだから。
病気を治したかったりしたら、こういう脳の話を入れておくことは安心に繋がるからとても大切なことだと思います。でも安心を手に入れて自然体でいたら、ナチュラルに向かうべき方向に人生は向かっていると感じると思います。
何かを起こそう、と意図する。その前提には、自分という存在自体への感情的な否定があります。こうやって逆算していくと、願望実現の手順だとかいらないことに気付いてくると思います。自分という存在を否定していなければ、安心しているのなら、要らなかった、と。
だから「感謝、謝罪、共感、労い」ここからしか言葉を発しない!くらいの勢いで自分の思考、発言、態度を観察することおすすめします。一週間徹底的に観察、実践してもらったらそれ以前の感覚が不自然すぎて元には戻れないと思います。安心がどんどんどんどん広がります。
そして、倹約、お金と時間の管理、だとか昔のかっこいい人たちがしてたことを真似るのが、今の時代いいことなんじゃないかと思います。物が情報が溢れかえっているから。これって自分のために思考停止の真反対、左脳にとって、正確にタンパク質を作るのの次に花形の仕事なんじゃないかと今わたしは思っています。ミュージカルを観に行って、色々気づかせてもらえて本当に面白かったです。皆さんも、気になるミュージカルかを事前に調べてから観にいくことおすすめします。面白い体験になると思います。ミュージカルで泣ける時って、半分理解できていないのに涙が出るのが本当に面白いと思います。しかも、日常で数秒しか涙が出ない人間でも、音楽があるからか倍以上泣けるというすごい浄化の機会になります。毎日暑いですが、まだ湿が抜けないで体調イマイチの方だとかにはよりおすすめです。
では、連日暑い日が続いていますが、皆さんもミネラル摂って元気にお過ごしください。
今日も、お付き合い頂きありがとうございました
小栗 茜
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自分を大切にすると
自分の中に自分という最愛の存在を見つけます。
それまでは、
第一に大切にするのは、自分と子ども。
自分を絶対に愛している存在。
そこでの自然な在り方に気づくと
感謝で愛という元気がどんどん循環します。
そして気づきます
自分と私は別だということに。
そして
他者からどう思われるかが薄れていきます。
どんどん動きます。
どんどん自分に集中していきます。
どんどん願いが出てきます。
どんどん祈りも出てきます。
人生をどんどん自分色に。
人生がひらかれていきます。
そして周りを見渡すと、
魂の輝く人を見つけます。
全ての命を感じます。
ああ、自分でいられるってありがたい。
自分の好きを叶えてくれる
ありがとう!ありがとう、ありがとう!
大好き、大好き、大好き!
自分に対してそんな気持ちでいっぱいになります。
自分という奇跡、
今日も生かされています。
Relax & Joy