The Silence of the Lambs
1991年 アメリカ
監督:ジョナサン・デミ
出演:ジョディ・フォスター、アンソニー・ホプキンス、スコット・グレン、テッド・レヴィン

◼️あらすじ

FBI実習生のクラリスは上司クロフォードからの命により、獄中の殺人犯ハンニバル・レクターにインタビューを行うことに。
その目的はバッファロー・ビルと称される連続殺人犯の手がかりを掴むことであった。



◼️感想

僕は25年間ずっと勘違いをしていたのかもしれません。

それは本作の「羊」が意味するものについてです。

ジョディ・フォスター演じる若くて美人なFBI研修生クラリスが、レクター博士に自身の幼少期のトラウマを打ち明ける場面がありますよね。

クラリスのトラウマというのは彼女が10歳の頃に最愛の父親を亡くしたことです。母親は早くに他界していたため、孤児となったクラリスは牧場を営む叔父に預けられます。

で、そこで毎夜になると屠殺される仔羊たちの鳴き声が彼女の心を痛め、ある夜に仔羊を抱いて家出をした、という話です。

僕が本作を初めて観たのは中学生くらいの時ですが、この仔羊の話に違和感を持ちました。なんか、えらくオブラートに包んだような話だなぁ、と。

そこで当時の僕はこのように解釈をしました。
仔羊というのはクラリス自身のこと。実はクラリスは叔父から性的虐待を受けており、そのことを仔羊の屠殺に置き換えて(オブラートに包んで)話しているのでは、と。

後に知りましたが、この「クラリスのトラウマ=性的虐待」説を唱える人は一定数いたようです。おうおう、やっぱりそーなのか。


そして、僕がこの説を唱えるのにはいくつか理由があります。

・クラリスにはオトコの気配がない
行く先々で男の視線を集め、誘いの言葉をかけられるクラリス。彼女はそれらを上手くかわす術を身につけているし、仕事人間なせいか親しい間柄の男性の気配は全く感じさせません。

男を寄せ付けず、どこか心の底には男性不信があるような言動には「何らかの過去」があるのでは勘ぐってしまいます。

・幼少期の回想場面がない
安い映画だったら、仔羊を抱き抱えて逃げる回想場面を挿入すると思いますが、本作はそれが全く無いんですね。クラリスの口頭での情報のみなので、観客は想像を巡らすしかありません。

もし回想場面があったら、観客は確かな視覚情報として仔羊の件を把握できたと思いますが、そうではない不確かな情報ゆえに想像が膨らんでしまうのです。

・事件が解決したら羊が鳴き止む?
「バッファロー・ビルによる婦女連続殺人事件を解決したら、羊は鳴き止むか?(君のトラウマは解消されるか?)」とクラリスに問うレクター博士。

それってつまり、男からの暴力に苦しむ女性たちを救うことが過去の自分を救うことに繋がる、という意味だと思うんですよね。だとしたらクラリスもそれに類した被害に遭っていたことを想起させます。

「クラリスのトラウマが解消される」 = 「羊たちが鳴き止む」 = 「羊たちの沈黙」なのですね。


だがしかーし!

改めて本作を観てみると、クラリスのトラウマに関してこんな会話がありました。

レクター「叔父から性的虐待を?」

クラリス「いいえ。彼はまともな男よ」

即座に否定!以前の僕はこの部分をすっかり見落としてたんですね。クラリスがあまりにキッパリ否定したので、僕の解釈は風前の灯に。勘違いと言うか、思い込みが強すぎたのか…。

まぁ、そもそも「預けられた先で性的虐待」という発想がやや短絡的であるのと、仮にそうだとしてもクラリスの心の傷を広げるかのように「性的虐待だろ」と言うのはセカンドレイプに等しいと言われても仕方ありません。

そう思ったとしても、声を大にして言うことではない、という暗黙のメッセージがあるような気がしないでもありません。そこまでが本作の計算の範囲内だとしたら凄いです。


あと、本作についてどうしても触れておきたい点がもう1つあります。

それは登場人物たちの「視線」です。

本作の中でクラリスは行く先々で男たちからジロジロと視線を浴びます。

これは①当時のFBIには女性捜査官が少なかった。②美人だから男の目を引く。という2つの理由からです。

より端的に言えば、クラリスは日常的に男たちから【視姦】されているんですね。

その事を強調する為か、本作の撮影においては、クラリスと会話をする男たちがカメラ目線になるようなアングルを多用しています。



これはつまりクラリス自身が感じている「男の視線」を観客にも同様に体験させるという狙いかと思います。視姦される居心地の悪さや嫌悪感を観客は無意識に感じるはずです。

ついでに言うと、クライマックスでバッファロー・ビルは暗視装置を使ってクラリスを弄ぶように「視姦」しますね。

では、男どもに視姦されるクラリスはと言うと、完全に目を背けているか、微妙に目線をカメラから外していることが多いのです。男たちの視線を受け流す術を身につけていることが伺えます。

ところがですよ。そんなクラリスが男と互いに真っ直ぐ見つめ合う場面が2つほどあるのです。これは明らかに重要な意味を持っていると考えられます。

1つはレクター博士との初対面の際に身分証を見せる場面。「もっと近くで見せて」というレクターを警戒しつつも、目を逸らさずに真っ直ぐ向き合うクラリス。



レクター博士がクラリスを気に入ったのは、この互いの目が合う瞬間だったんじゃないかなぁと。目を逸らさずに真っ直ぐ歩み寄ってくるクラリスにスレていない誠実さを感じたのかもしれません。

もう1つもクラリスとレクターの会話です。クラリスが仔羊の話の詳細を語る場面です。こちらの方が見つめ合う時間が長く、弱い自分を曝け出す覚悟がクラリスに見てとれます。



ですから、クラリスの話に嘘偽りは無いでしょうし、仮に仔羊の話が性的虐待の例え話なのだとしても、レクターにはその真意を汲み取れるほど、互いの心が通じている場面のように感じます。

レクターのカメラ目線にもクラリスに対する視姦の意味合いは強いのですが、クラリスの対応が他の男たちに対するものと違うのは何故でしょうか?彼が異常な殺人鬼だから?それだけではなさそうですよねぇ。という2人の関係性についての意図的な余白が本作にはあります。


果たして幼少期に性的虐待があったのかどうかはクラリスとレクターの2人しか知り得ないのかもしれません。観客はやきもきしながら想像を巡らすしかありません。完全に2人だけの世界。そんな気がします。

僕の評価:9点/10



↑タイ版ポスターがいい感じだったので載せました。

The Beyond
1981年 イタリア
監督:ルチオ・フルチ
出演:カトリオーナ・マッコール、デヴィッド・ウォーベック、サラ・ケラー

◼️あらすじ

ライザは50年もの長きに渡って閉鎖していたホテルを相続した。歴史的な趣のあるホテルとして改修し再開を試みるも、関係者たちが続々と不可解な死を遂げていく。
やがてこのホテルは現世と地獄の門と繋がっている場所であることが判明する。


↑白眼注意な予告編

◼️感想

本作のグロ描写は素晴らしいです。

何がそんなに素晴らしいかと言うと、【顔面破壊】に特化していることが素晴らしいのです。

本作は『オーメン』のように関係者が続々と命を落としていく展開なのですが、そんな中でも顔面および頭部を著しく損傷して死に至った人が9割です。

・硫酸をかけられた顔がドロドロになる×2

・銃弾により頭部の半分が吹き飛ぶ

・杭が頭部を貫通

・手で顔面を圧迫され眼球が飛び出す

・ガラスの破片が顔面に突き刺さる

・タランチュラに顔面を喰いちぎられる(え?)

・飼い犬に首や顔面を喰いちぎられる


なぜそんなに顔面破壊にこだわるのでしょーか?

例えばゾンビ映画の場合。ゾンビは頭部を破壊しないと死なないという設定ゆえに、顔面破壊が多く登場するのは分かります。が、本作には顔面破壊の設定も理由も必然もありません。

特定の狭い要素に特化するような極端な映画はたまにありますが、顔面破壊に特化した映画なぞ前代未聞だと思います。

ルチオ・フルチ監督と言えば『サンゲリア』が有名だと思いますが、あれも尖った木片が眼に突き刺さるという印象的な顔面破壊シーンがありましたね。


あのシーンをさらに増強させて10倍のボリュームでお届けするのが、本作という感じです。

きっと『サンゲリア』の顔面破壊シーンが評判になったのか、または作り手がその道(?)に目覚めたのか、だと思います。


てな感じで、グロ描写こそが肝である本作は案の定と言うか、物語はまぁー適当ですね。お弁当に例えると、グロ描写がお弁当の中身で、物語はそれらを仕切ったり収納したりする箱に過ぎません。

それを踏まえて観れば、大いに楽しめる顔面破壊ショーです。

グロいとは言っても、時代を感じさせる手作り感溢れるものなので、リアルなグロさではなく、フィクションとして適度な距離感で楽しめるのもイイですね。


あなたはどの顔面破壊シーンがお好きですか?

僕が好きなのは2回目の硫酸のシーンですね。硫酸と体液と血液がドロドロに溶け合ったものが生き物のようにジワ〜ッと動くのが最高でした。

都合よく置いてあった硫酸が流れて顔面にジョボジョボジョボ…


皮膚がジュワジュワ溶けて…


色んなモノが混じった液体がじんわりと床に広がっていく…


じわじわじわじわ…
意思を持った生き物のように。

思わずウットリするようなグロ描写です。

もう、こんな調子で顔面破壊の話題だけでも十分に間が持つ映画なんです。

白眼の美女とか、ゾンビ軍団とか、あちらの世界とか、魅力的な要素は他にも色々とあるのですが、偏執的な顔面破壊へのコダワリこそが本作を唯一無二の境地に押し上げているのは間違いありません。

僕の評価:8点/10







にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

Dolls
1987年 アメリカ
監督:スチュアート・ゴードン
出演:イアン・パトリック・ウィリアムズ、キャロリン・パーディ=ゴードン、キャリー・ロレイン

◼️あらすじ

父母と幼い娘の3人家族は旅行中のアクシデントにより、近くにあった屋敷に急遽泊まることに。
その古びた屋敷は老夫婦が住んでおり、無数の人形に囲まれた奇妙な空間だった。
夜になると屋敷の宿泊者が1人また1人と姿を消していく…。



◼️感想

監督が『ZOMBIO/死霊のしたたり』のスチュアート・ゴードンとのことで、期待に胸を膨らませての鑑賞。


本作『ドールズ』は人形が物理的に人間を殺傷するという点で、『チャイルド・プレイ』(1988)の原型となったような映画ですね。

西洋人形たちが連携プレイで人間を鈍器で殴ったり、ノコで脚を切ったりというホラー映画です。


ただ、個人的に興味深かったのは人形よりも人間の登場人物です。

主人公は幼い女の子、ジュディ。
彼女は子どもに無関心な父親と意地悪な継母と共に居心地の悪い生活をしていました。
彼女は父親と離婚した母親と一緒に暮らしたいのですが、なかなか願いが叶いません。

もう1人の主人公は同じく屋敷に泊まることになった男、ガブリエル。
彼は太った大きな身体とは裏腹に気が弱く、周りからバカにされていましたが、心は少年のように純朴な男でした。
ガブリエルは2人の不良娘の言いなりで金ヅル状態です。

そんな2人が屋敷の異変にいち早く気づき、力を合わせるのです。


勇敢な少女と臆病な大男。

すごく既視感のある組み合わせですね。

本作の話をザックリ要約すると、「意地悪な人々によって嫌がらせを受けていた心優しき2人が最後に幸せになる」というものです。

これって完全に童話のパターンですよね。
意地悪な人々は痛い目にあって(惨殺)、心優しい人々はいつまでも幸せに暮らしましたとさ、なんです。子ども向けの教訓の要素も感じます。

なので、全体的には「ホラー要素の強い童話」という印象が強い映画でした。

個人的には、やはりデブで気弱なガブリエルに感情移入しちゃいましたね。人形を大事にする子どもがそのまま大人になったような…いや、大人になりきれてない人なんです。

幼いジュディに励まされるくらい情けないガブリエルが、徐々に擬似父性愛を発揮していく過程は応援せずにはいられません。


エログロだったゴードン監督の前作『死霊のしたたり』や『フロム・ビヨンド』と比べると内容的にはやや肩透かしを食いますが、「童話ホラー」というコンセプトなのだと思えばそこそこ楽しめます。

悪い奴らは殺(や)られて、めでたしめでたし。

僕の評価:6点/10


スチュアート・ゴードン監督作品のオススメはこちら↓


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

Amadeus : Director’s Cut
2002年(オリジナル版は1984年)アメリカ
監督:ミロス・フォアマン
出演:F・マーリー・エイブラハム、トム・ハルス、エリザベス・ベリッジ

◼️あらすじ

19世期。かつてウィーンの宮廷学長を務めていた老人、サリエリが自殺未遂を起こす。

搬送先の精神病院を訪れた神父にサリエリは告白する。「モーツァルトを殺したのは私だ」と。
サリエリの口から語られるのは天才作曲家モーツァルト、そして神に対する激しい憎悪であった。



◼️感想

そうか!この映画は
・サリエリ
・モーツァルト
・神
の「三角関係」の話だったのか!

と、今さらながら理解できました。

「優秀」な音楽家であるサリエリが「超・天才」モーツァルトの才能を妬む、という話だと思っていたのですが、違いましたね。

手が届かぬ圧倒的な才能を、自分ではなくモーツァルトに与えた神をサリエリは憎み、復讐を誓うという話でした。で、神への復讐として「神の子」であるモーツァルトを殺そう、と。

神への復讐ですかぁ…。何やら格調高い映画なんでしょうなぁ。

と、思われがちですが。
いや、むしろその逆で、本作はキャッチーでゲスくて誰でも楽しめる映画だと思います。ほぼブラックコメディです。


神童モーツァルトが実は超〜下品なゲス男であったことは今や定説ですが、本作でのトム・ハルス演じるモーツァルト像は強烈ですね。ウンコの話でキャッキャとはしゃぐ様子は精神年齢12歳かと。

この下品で幼稚な超天才というキャラクターが笑えるんですが、そんな彼に翻弄される周囲の人々の困惑模様でもかなり笑わせてくれます。

そんな中で一番困惑しちゃうのが主人公のサリエリです。ひとつ誤解されやすいのは、サリエリは凡人ではなく、優秀で才能豊かな人なんですよね。

凡人サリエリが天才モーツァルトに嫉妬した。
ではなく、
天才サリエリが超・天才モーツァルトに嫉妬した。
なんです。

後者の方が妬みの問題が根深いですよ。サリエリは宮廷学長としての地位を築いており、自尊心も強い分、そんな自分を凌駕する存在に強い対抗心を抱くのは当然です。ましてやそのモーツァルトから侮辱された日にゃ、はらわたが煮えくりかえるどころじゃあありません。


でも、サリエリの怒りがもっと根深いのは、彼が【生涯童貞】を神に誓ったからでもあります。

少年期のサリエリは音楽の道での成功を強く望むあまり、「女性とは一切交わりませんので、音楽の才能をお与え下さい」と神に祈願します(あーあ)。願いが届いたのか、サリエリの努力が実ったのか、結果として彼は音楽家として成功を収めたのです。

ところが、そんな「神に誓って童貞」サリエリが足元にも及ばぬ才能を、神はモーツァルトに与えた、と。しかもモーツァルトはチャラ男のヤリチンで、サリエリが密かに想いを寄せていた女性をいとも簡単にパクパクしてしまいます。

モテない童貞が抱く、ヤリチンのチャラ男への恨みたるや…なのです。

同時に「私の童貞の誓いは何だったのよ?ねぇ神様?」と。

本作はそんな男性諸氏にとっては重大な問題を孕んでいるため、基本的に男はサリエリ全面支持のスタンスになるはずです笑。

サリエリ率いるモテない男軍団が神の屋敷を焼き討ちにする画が目に浮かぶようです。


焼き討ちと言えば…なんとなくサリエリとモーツァルトの関係性って明智光秀と織田信長っぽいんですよね…。サリエリ光秀がモーツァルト信長に復讐する話、という見方をしても楽しめる映画だと思います。

モーツァルトの死も、本能寺の変も、どちらも謎の多い「事件」ですが、2人の間にいったい何があったのかと、覗き魔的な好奇心を刺激する話であることは共通していますね。

話が逸れましたが、「天才」サリエリのネチっこい復讐劇を、「凡人」である観客が追体験するというのがこの映画の基本だと思います。

ただ、それだけに、復讐を遂げたサリエリが僕たち凡人に対して発する最後の一言にはドキッとさせられます。それは最後をキュッと締める絶妙すぎる優しさとスパイスでした。抱きしめられたような、突き放されたような。

その後のエンドクレジットで流れるモーツァルトの穏やかな曲がまた何とも言えない気持ちにさせてくれます。何なんでしょうね、この不思議な余韻は。

一言で言うと、人間のどうしようもない(罪深い、汚い)部分を「娯楽」に落とし込んでくれた映画だと思います。いやぁ、傑作です。

余談ですが、モーツァルトの妻コンスタンツェを演じたエリザベス・ベリッジのおっぱいが拝めるのはディレクターズカット版のほうですよ!お間違えのなきよう。



僕の評価:9点/10





にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

↑「バイオSFX方式上映」って一体ナニ!?

The Return of the Living Dead
1985年 アメリカ
監督:ダン・オバノン
出演:クルー・ギャラガー、ジェームズ・カレン、ドン・カルファ、トム・マシューズ

◼️あらすじ

秘密裏にゾンビを保管する施設で「やらかし」が発生。死人を蘇生させる特殊ガスを職員が誤って浴びてしまったのだ。

火に油を注ぐようにやらかしが重なり、施設の隣の墓地の死体がゾンビ軍団として蘇生してしまう。



◼️感想

駄菓子のように愛されて続けている映画かなと思います。

僕が幼稚園だか小学校低学年だかの時に、同級生の男子がいきなり「バタリアンごっこ」を始めて滅茶苦茶怖かった記憶があります。当時は本作のことを知らなかったので、バタリアンというのはゾンビの一種で人間の脳みそを食べるらしいと、その同級生から聞かされ、心の底から恐れ慄いたものですねぇ。

そんな僕も今やすっかりアラフォーとなり、幼少期のトラウマを克服すべく、初めて本作を観た次第です、ハイ。

で、思ったのが、本作は小学生でも安心して観られるゾンビ映画だったということですね。意外にも人体損壊などの描写がほとんと無くて、グロは控えめだから観やすいんですよ。だから当時は子どもたちもテレビで観ていたのか〜と。

(多少のおっぱいは出てきますが)


もちろん今になって冷静に観ると、1本の映画としてはそれほど優れている出来でもないかなと思います。80年代特有のノー天気さゆえなのか、全体的にテンポや演出がノンビリしていると感じました。

ただ、もしも本作を幼少期に観ていたのなら、かなりの確率で「思い出の一本」になり得たんじゃないかなーと思います。

大人になっても「うまい棒」の美味さが忘れられないのと同じように、です。どんなに舌が肥えても、幼少期に食べた「うまい棒」は別格ですから。

男の子たちにとってはちょうどいい具合の嗜好品という意味では「うまい棒」と『バタリアン』は似ているのかもしれませんね。

僕の評価:6点/10




にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村