Eyes Wide Shut
1999年 アメリカ、イギリス
監督:スタンリー・キューブリック
出演:トム・クルーズ、ニコール・キッドマン、シドニー・ポラック、トッド・フィールド

◼️あらすじ

奥さんが浮気願望を旦那に告白。
ショックを受けた旦那は浮気返しを目論む。



◼️感想

思ってたんと違う!!

高校2年生の夏、年齢詐称をして大人料金を払って本作を鑑賞した時の僕の心の叫びです。

大好きなキューブリックの遺作にして、セクシャルな内容であるということで、「どんなに挑発的でアンモラルな映画なんだろう」と期待に胸パンパンで観に行ったのですが…。

あのキューブリックが撮るのだからと、性のタブーに挑むような尖った映画を期待していたのですよ。ところがフタを開けてみると、トムクル演じる旦那が浮気に失敗するだけの話だったのです。


トムクルとキッドマンの金持ち夫婦が些細なことから口論に。奥さんは過去の浮気願望を旦那に告白。
バカな旦那は「ヨッシャ、オレも浮気したる!」と夜の街へ繰り出す。
ことごとく失敗。
それどころか悪徳組織に脅迫される有様。
奥さんに懺悔。

なにこのショボい話?

欲求不満のまま不完全燃焼に終わるのはトムクルだけでなく、観客も同じなのです。

中盤の乱行パーティーの場面こそ「キターッ!」という感はあったものの、やはり絶頂の前に寸止め。

権力者がトムクルに対して「全裸になれ」と命令する展開で、「これでトムクルがフルチンになったら、この映画は大傑作だなぁ」とワクワクしたのですが、鶴の一声でトムクルは事なきを得るのでした…。

トムクルのフルチン(トムフル)見せんのかい!

つまり、期待でムラムラさせといて、全然イカせてくれない映画なんですね。

「イカせてよ!」というトムクルと観客を嘲笑うかのようにのらりくらりとした展開の挙句、夫婦円満の秘訣で締めくくるという。「本当にキューブリックはこんな映画を撮りたかったの?」と不可解であること極まりない作品でした。


実際に本作を「解せぬ」と感じた人は多かったようで、作品の不可解を補完するような都市伝説レベルの解釈・憶測が多く存在します。

例えば…

・キューブリックではなく、トムクル、キッドマンが作品をコントロールした結果、全然違う内容になってしまった。
(と、キューブリック自身が友人に打ち明けたというエピソードもあるらしい)

・キューブリックは観客のゲスい好奇心に冷や水を浴びせるために、わざとイカせない映画を撮った。彼は観客を、そしてハリウッドを馬鹿にしていたのだ。

・夢オチ説。浮気返しは旦那の無意識の願望が現れた夢である。夢だから、イクことができない。

・乱行パーティーは世界的に有名な秘密結社の実態を暴いたものである。そのため、公開前にキューブリックは秘密結社によって「消された」。

どうですか、皆さん。

僕はどの説もしっくり来ません。

結局のところ、本作はただ意味深なそぶりを見せているだけのような気がします。

当時もどの評論を読んでも納得が行かなかったので、田舎の高校二年生は本作の原作小説も読んでみました。


驚くべきことに、物語の展開は映画とほとんど同じで、且つ何を描きたいのかよくわからない空虚な感じまで似通っていたのです。

ふむふむ…。ほとんど脚色しなかったということはキューブリックはガチで「旦那の浮気失敗」を描きたかったのか…?としか思えなくなってきました。


まぁ、男としてはトムクル演じる旦那の気持ちは分かるんですよ。勢いで「今夜はオンナ遊びすっぞ!」と意気揚々と繁華街に繰り出しても、現場の空気にビビってしまいニの足を踏むという経験は皆あるはずです。

でも、その観点で言うと、大スターを起用して160分もの長尺をかけて描くような内容じゃなくね?ということになってしまいます。

じゃあ、やっぱり何か他の意味やメッセージがあるの?と勘繰りたくなるという、観客を延々と煙に撒き続ける一本です。

でもその煙は今後もずっと晴れることはないでしょうね。あまり深入りしないほうがいいかもです。

僕の評価:4点/10




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The Exorcist : Director’s Cut
2000年(オリジナルは1973年)アメリカ
監督:ウィリアム・フリードキン
出演:エレン・バースティン、マックス・フォン・シドー、リンダ・ブレア、ジェイソン・ミラー

◼️あらすじ

イラクにて悪魔との対決を予感するメリン神父。
一方、米国のジョージタウンでは女優の娘リーガンに異常な言動が見られるようになる。



◼️感想

これがまた前回の記事の『ラストエンペラー』と同様に「感想が書きにくい映画」でしてねぇ…。しばらく感想を書くのを放置していました。

だってもう世間的な評価が確立されていて、名作中の名作ですから。僕の下世話な観点が付け入る隙は無いように思えたのです。

本作を観たのは中学生の時以来なので、25年ぶりくらいです。ディレクターズカット版は初見でした。

久しぶりに再見しまして、ホラーと言うよりも、信仰心をめぐる葛藤ドラマとして非常に見応えがありましたね。

↑たぶんこれが一般的な評価と同じ。


中学生の時も「暗くてザラついた人間ドラマにかなり重点が置かれているな〜」と思ったものの、主人公が誰なのかがよく分からない、という疑問があった為、誰のドラマを軸として観れば良いのかという感じでした。

マックス・フォン・シドー(老けメイク)演じるメリン神父は最初と最後しか出てこないし、まさかリーガン(リンダ・ブレア)が主人公なわけ無いし…。刑事が主人公?ないない。

じゃ、消去法でリーガンの母親であるクリス(エレン・バースティン)か、または地味なカラス神父(ジェイソン・ミラー)なのかな、と。

確かに本作は全編を通して、下記の2つのドラマが同時並行で描かれています。

A. 娘の豹変と殺人の容疑に動揺し、憔悴する母親のドラマ
B. 職務と信仰に迷いを抱く神父のドラマ

で、作品のテーマ「信仰心を巡る葛藤」を考えると、メインは圧倒的に後者。主人公はカラス神父ですね。

前者の母親のドラマのほうが一般的には感情移入しやすいんだけど、作り手の意図を考えると、カラス神父の視点で物語を読むのが意図に忠実な見方だと考えます。

よりハッキリ言うと、信仰心を失いかけていたカラス神父が信仰心を取り戻すまで、という物語なんですなぁ。


独身で孤独なカラス神父は年老いた母親の面倒が見きれないため、彼女を半ば強引に入院させます。しかし入院先は荒んだ精神病棟のような場所で、母親はカラス神父に対する恨み節を口にし、のちに他界します。

結果的に母親に酷い最期をもたらしてしまった自身の判断を責めるカラス神父。信仰心が一体何の助けになるのかと、自身の職務に対する気持ちが揺らぎます。

彼はそんなタイミングで悪魔祓いを依頼されます。当初は辞退する構えも、母親を救えなかった代わりに、悪魔に憑かれた少女を救おうと決意を固めます。

が、人間の弱い心につけ込む悪魔はカラス神父に対して母親の話を持ち出すなど心理攻撃を加えてきます。

※リーガンが取り憑かれたのも家庭環境などの要因で心が弱い状態であったため、とされています。

で、カラス神父は強大な悪魔の存在に打ち勝つために信仰心を取り戻す、という訳です。

人間は弱い。だから悪魔につけ込まれる。そうならないためには強い信仰心が必要だ、と。


当時の最先端の医療科学では全く歯が立たなかった悪魔に対して、最後には古風な信仰心が打ち勝つというのが面白いですね。

首が回転するとか、十字架を膣に突き刺すとか、そういう表面上の強烈な描写ばかりが語られがちですが、実は葛藤ドラマとしても骨太である、というのは僕が書くまでもなく一般的な評価なのかなと思います。

僕の評価:8点/10




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The Last Emperor 
1987年 アメリカ、イタリア、中国、イギリス、フランス
監督:ベルナルド・ベルトリッチ
出演:ジョン・ローン、ピーター・オトゥール、ジョアン・チェン、坂本龍一

◼️あらすじ

第二次大戦終結後の中国。収容所に送られてきた多くの戦犯の1人はかつての皇帝、溥儀。
2歳にして清朝の皇帝として即位し、戦犯となるまでの溥儀の半生は、時代と世界情勢に翻弄された数奇なものであった。



◼️感想

スッゲ〜面白かったんですが、感想が書きにくい映画ですね。

観賞後、感想が書けないまま2ヶ月以上が経過しました。

僕は映画の感想を書く時は、できるだけ僕個人の視点や解釈で書くように努めているのですが、本作の場合はそれが難しかったのです。

本作はその完成度の高さゆえ、または世間の評価や解釈が一般的に確立されているがゆえに、僕個人の視点や解釈が入る余地(隙)が無いのかもしれません。


そのせいか、下記のような普通の感想しか出てきません。

① 溥儀の人生そのものが数奇でドラマチック
② その人生の中の対比を強調する物語構成
③ 世界遺産、紫禁城(故宮)での大規模ロケが圧巻
④ ヴィットリオ・ストラーロの撮影が色彩豊か
⑤ 坂本龍一の音楽がこの上なくエモーショナル

歴史的に名を残す名作はそういうものかもしれませんね。隙が無いのです。

上記のように本作は非常に見どころが多い傑作というのは誰しもが思うところですが、僕は特に②の物語構成が素晴らしいなと思いました。

ベルトリッチ監督が本作でやりたかったことは「対比」。この1点に尽きるんじゃないかなぁと考えます。

「もしも人生というものが複雑怪奇なものであるとするなら、自分のこれまでの人生はまったくそれにかなったものだった」
- 溥儀 1946年の東京裁判にて

溥儀ほど人生の上昇下降、コントラストの激しい人も稀有でしょうね。2歳で皇帝に即位して、最後は平凡な庭師として人生を終えた人ですから。その間にも「雇われ皇帝」として満洲国の執権に祭り上げられ、その後は戦犯として収容所で臭い飯を食わされています。

「皇帝」であった時期と「罪人・平民」であった時期の落差の激し〜い対比。これこそが本作の肝ですね。


で、この対比を表現する為に、「皇帝」期と「罪人・平民」期を同時並行で描く物語構成になっています。人生のハイとロウを行ったり来たりすることで、対比が強調されているのです。

例えば下記のシーンが対比として分かりやすかったです。

・皇帝期には「あなたは皇帝です。何でもお望み通りに」と言われたのが、罪人期では「お前は罪人だ。裁かれる身だ」と言われます。これらは明らかな対になっています。

・皇帝期には西洋文明の象徴である自転車に憧れていた溥儀が、平民期では他の労働者たちに紛れて自転車に乗っている(乗り物はそれしか無い)という状況対比の皮肉。

・かつては自身が居住していた紫禁城が観光地と化し、溥儀自身も入場料を払って(ここがすごい!)訪れる。皇帝の権力の象徴と、形骸化した観光地の対比。

いやぁ、凄いですねぇ。
人生の儚さ、無常感を強く感じます。


「対比」のほかにもう1点あるなら、「セリフの反復」でしょうか。

本作では同じセリフが繰り返し使われています。同じ言葉なのですが、状況や意味合い、受ける印象が変化したりします。

最も印象的なのは ” Open the door...! “ですね。
劇中で3回使われていると思いますが、うち2回は溥儀のセリフです。扉の内側にいる溥儀が「門を開けよ」と命令するも聞き届けられないというシーンです。

清朝から満洲国へと状況が変わっても溥儀自身は実権のないお飾り人形であることを表現していますね。

皇帝なのに、常に城の内側でしか生活できない、門の1つも開けられない、という無力感を繰り返し描くことで強調がなされています。

あと「私は皇帝だ」「それを証明して」というセリフも反復されていますね。1回目は皇帝の権力を表す何気ないシーンでしたが、2回目は最後のシーンなのでそれまで描かれてきた内容を考えると心にグサリと刺さるセリフになっています。

これも完全に対比を含めた反復の効果でしょうね。

ただ、その直後の「少年とコオロギ」の要素はこれまた対比と反復なのですが、ちょっとやり過ぎ感がありました。最後に救いを入れたかったのか、結果としてファンタジー感が出て浮いてしまったような印象です。惜しいなぁ〜。

「少年とコオロギ」は削って、溥儀が入場料払って人気の無い紫禁城に入って、そこから唐突なスピーカーの電子音と共に現代のツアー団体が押し寄せてくる、という流れの方が良かった気がします。

感想が書きにくいと言いながらも、一応は書けました笑。本作の対比と反復に関しては誰しもが観ていてハッとする要素ではないでしょーか。

僕の評価:9点/10


↑この本、なかなか面白かったです。思春期の溥儀が宦官たちと同性愛を繰り広げたエピソード、溥儀の男性としての不能、と下世話な内容で。映画では描かれなかった部分を補完する意味でも良いかと。


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Cape Fear
1962年 アメリカ
監督:J・リー・トンプソン
出演:グレゴリー・ペック、ロバート・ミッチャム、ロリ・マーティン

◼️あらすじ

弁護士のボーデンのもとにケイディーという男がフラリと現れる。
かつてボーデンの証言により、ケイディーは暴行罪で8年間の刑務所暮らしをしていたのだ。晴れて出所したケイディーは積年の恨みを晴らすべくボーデンとその妻子をつけ狙う。



◼️感想

映画史上最高の悪役を10人選べ。

と言われたら、僕は本作のマックス・ケイディー(ロバート・ミッチャム)を確実に入れると思います。

本作は言わばストーカーの先駆けのような内容で、ネチネチとまとわりついてくるケイディーの存在はいま観てもなお恐ろしいです。それほど本作でのミッチャムが放つ存在感は際立ったものがあります。

いや、もっと率直に言えば彼のハダカが凄いのです!


分かりやすくするために比較論にしますが、本作のリメイクにあたるマーティン・スコセッシ監督の『ケープ・フィアー』(1992)では同じ役をロバート・デ・ニーロが演じています。

デ・ニーロのケイディーは鋼のようなムキムキの筋肉に全身を覆うタトゥーが特徴です。いかにも危険人物という風体で、デニーロお得意の役作りで見事にカラダを仕上げてきた感じです。


そう。「役作りしました」って感じなんですよね。
ケイディーという危険な役に、俳優が努力の末に合わせたという印象です。

では、ミッチャムが演じるケイディーのハダカをご覧ください。


全然タイプの違う筋肉のつき方をしています。分厚い胸板に、盛り上がった肩。全体的に重量感を感じさせるハダカです。

シックスパックみたいなコントラストの強い鑑賞用の筋肉ではありませんが、そのボリューム感のあるカラダには底知れぬパワーが潜んでいることを感じさせますね。

いかにも「筋トレしました」な筋肉ではなく、長年の肉体労働によって培われたようなカラダつきです。

これはミッチャムが元々はボクシング選手であり、炭鉱夫や排水溝夫などの肉体労働を経験していた結果のカラダなんですね。そして彼自身、家庭環境に恵まれず荒れた青春時代を過ごしたそうです。

ミッチャムが役に合わせたのではなく、彼が元々持ち合わせていた資質がケイディーという役を作り上げたという印象があります。

つまり、「役」ではなくて素で悪そうな雰囲気がその風体から見てとれるのがミッチャムのケイディーだと思います。

そこが妙にリアリティがあって本作を見事に怖い映画に仕立て上げています。リメイク版よりもこのオリジナル版の方が優れていると思う理由の1つですね。

男の筋肉は、時にセリフ以上に雄弁な表現となります。

あと本作はレイプ・ホラーとしての側面も強いですね。ケイディーがボーデンの妻子をつけ狙うのですが、明らかに性的な目的を匂わしています。

上半身裸のケイディーがボーデンの奥さんに迫り、彼女の身体に生卵を塗りたくる生卵プレイはインパクトありますね。


生卵が印象的な映画という点では『ロッキー』と双璧を成す一本でしょうか。

僕の評価:7点/10




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↑あらすじはこれさえ読めばオッケーな日本版ポスター。

No Escape
2015年 アメリカ
監督:ジョン・エリック・ドゥードル
出演:オーウェン・ウィルソン、レイク・ベル、ピアース・ブロスナン

◼️あらすじ

仕事のために東南アジア某国にやって来た米国人一家。
しかーし、到着翌日にクーデターが発生。
暴徒と化した反乱勢力による外国人狩りが始まる。



◼️感想

こりゃクーデターを題材にしたアトラクション映画だな、と思いました。
サメでもなく、恐竜でもなく、です。

そもそも劇場で映画を観ること自体がアトラクション性を含んでいることは、映画が誕生して以来の歴史が示す通りです。

その中でも映画の内容そのものにテーマパーク性があったり、乗り物っぽかったり、お化け屋敷のようである作品が「アトラクション映画」と呼ばれるようになっていったと、ボンヤリ認識しています。

3D体験アトラクションの『アバター』や宇宙サバイバルアトラクションの『ゼロ・グラビティ』、第一次大戦アトラクションの『1917 命をかけた伝令』なんかもそれらの一例ですね。



自然災害、危険生物、戦争・抗争、秘境など実に様々な題材がアトラクション映画で扱われてきた中で、遂にクーデターまでもアトラクションにしちゃいますか、というわけです。

大抵のアトラクション映画が「観る」ことよりも「体験する」ように作られているのと同様に、本作もまた観客がクーデターを疑似体験する映画なのです。

言葉も習慣も分からない異国の地(完全アウェー)にて、目的の見えない殺人集団が執拗に襲ってくる怖さを疑似体験する。

本作の狙いはこの一点のみに特化されていて潔いなと思いましたよ。その狙いの効果はある程度は発揮されていて、特に前半はなかなかの怖さでした。


本作に対して、アジア人への偏見じゃないかとか、米国人の視点でしか描かれていない、というような意見は的外れだなと感じますね。前述の通り、本作はアトラクションとしての機能性のみを追求している作品なので、現実世界との整合性とか、人種差別是正活動とかは敢えて度外視しているだけなのだと思います。

アトラクション映画と言えば、『ジョーズ』や『ハリー・ポッター』がそのままテーマパークのアトラクション化されたように、内容的に実際のアトラクションとも親和性が高いようです。

だから、USJの新作アトラクションが『クーデター』だとしても不思議ではありませんね。

いや、内容が少し過激だから、USJよりも富士急ハイランドっぽいかな?


ところで、東南アジア某国って、一体どこのことを言ってるの?と観る前から気になっていたのですが。

主人公一家が某国に向かう航空機の中で表示されていたフライトマップの行き先を見ると…


カンボジアじゃねーか!

はい、クーデターが起きたのは僕の居住国でございました。

実際にロケが行われたのはタイ北部のチェンマイとランパンらしいですけどね。

僕の評価:6点/10





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