撮影の時に知り合ってフェイスブックで繋がっているチェンマイの女子高生がいるのだけど、その子は日本語が好きで勉強していて、時たま日本語で理解できない事をチャットで聞いてきたりする。昨夜は夜9時くらいに“元気ですか?”と来たので、今は日本料理屋さんでアルバイトをしている時間だと知っていたから何気なく「しごとおわったのですか?」と送ったら、何で“の”が必要なのかと返された。彼女曰く「しごとおわったですか?」でいいのではないかと。
僕は子供の頃から勉強が大嫌いだったけど、読書量は他の人にはほとんど負けなかったので、意外と自然に日本語力が強かったという事をタイ語を勉強中に知った。なのでたいがいの日本語についての質問には答えられるのだけど、昨夜のは二転三転してしまった。
最初この“の”は単純な仕事が終わったのかという疑問と仕事が終わったからチャットしてきたの?という2つの疑問が内包されてるのだよと答えたのだ。何か食べてる人に対して、
「おいしいですか?」と「おいしいのですか?」では意味合いが少しが違うのと同じように説明した。
だけどよく考えてみたら、「しごとおわったの?」が主文で“ですか”はただ単に丁寧語じゃないかと。勉強が好きではなかったからその辺の学術的な正論はわかんないけど、最後のが正解ではないかと思う。
まぁ、こんな風に日本語はネイティブでないと自然と口から出てこないニュアンスが本当に多い言語だと思う。あれだけ嫌いで苦手だった英語だけど、外国語を勉強したら日本語の難しさを知って、相対的に英語って簡単だなと思うようになった。もしこのようにわかってから英語を一から教えてもらったら、さぞかしはかどったのではないかと思う。