ぶらぶらツーリングで、『岡崎城』へ。入場料200円。
岡崎城↓
家康公産湯の井戸↓
岡崎東照宮 龍城神社↓
家康公遺訓碑↓
徳川家康公銅像↓
PCX150↓
岡崎城 歴史・沿革
岡崎城↓




家康公産湯の井戸↓

岡崎東照宮 龍城神社↓


家康公遺訓碑↓


徳川家康公銅像↓

PCX150↓

岡崎城 歴史・沿革
- 1452年(享徳元年)または1455年(康正元年) 龍頭山の砦として三河国守護仁木氏の守護代西郷氏が築城。
- 1531年(享禄4年) 松平清康(徳川家康の祖父)が城主となり、城郭を整備して勢力を広げたが家臣の謀反により命を落とす(森山崩れ)。
- 1542年(天文11年) 城内で竹千代(後の徳川家康)が生まれる。当時、櫓や門の屋根も茅葺で、当地は石の産地ながら石垣などもなく、ただ堀を掘ったその土をかきあげて、芝を植えただけの土塁がめぐっていた。
- 1549年(天文18年) 松平広忠が家臣の謀反によって殺害されると、岡崎城は今川家の支城として城代が置かれた。
- 1560年(永禄3年) 桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると松平元康(後に家康、徳川へ改姓)は岡崎城を取り戻し、今川家から独立する。
- 1570年(元亀元年) 徳川家康は本拠を浜松城に移し、岡崎城は子の松平信康が入った。しかし、信康は謀反の疑いをかけられて自刃。以後、重臣の石川数正、本多重次らが城代を務めた。
- 1590年(天正18年) 家康が関東に移封となると、豊臣家臣・田中吉政が入る。家康に対する抑えの拠点の一つとして、吉政は城を拡張し、強固な石垣や城壁などを用いた近世城郭に整備した。また、城下町の整備も積極的に行い、岡崎の郊外を通っていた東海道を岡崎城下町の中心を通るように変更し、「岡崎の二十七曲がり」といわれるクランク状の道に整備され、現在の岡崎城の原型を造った。
- 1602年(慶長7年) 徳川氏譜代の重臣である本多康重が上野国白井より5万石で入城。以降、徳川政権下では家康誕生の城として重要視され、譜代大名が歴代の城主を務めている。
- 1617年(元和3年) 3重の天守が完成する。
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