豊川と云ったら豊川稲荷
稲荷信仰
前述のとおり、豊川稲荷の「稲荷」とは荼枳尼天のことである。妙厳寺では「だ枳尼真天」と表記する(「だ」は口偏に「託」の旁)。荼枳尼天はインドの古代民間信仰に由来する女神であるが、日本では狐信仰と習合し、稲荷神と同一視されるに至った。
鎌倉時代の禅僧寒巌義尹(豊川稲荷では法祖として尊崇)が入宋し、文永4年(1267年)、日本へ船で帰国の途上、荼枳尼天の加護を受けたのがきっかけとなり、この神を護法神として尊崇するようになった。後に寒巌の6代目の法孫にあたる東海義易が妙厳寺を創建するに際し、寒巌自作の荼枳尼天像を鎮守として祀ったという。豊川稲荷で配布している御影を見ると、荼枳尼天は白狐の背に乗り、稲束をかついだ女神である。
その後、開基の今川義元、織田信長や豊臣秀吉、九鬼嘉隆、徳川家康などからの帰依を受けたほか、江戸時代になると、大岡忠相や渡辺崋山からの信仰を受け、更には商売繁盛の神として庶民からも信仰されるようになった。また、皇族においては有栖川家等も帰依し、「豊川閣」の篇額を寄進したことから、豊川閣とも呼ばれるようになった。
また、俗説であるが、平八狐を祀っているともいわれている。 by Wikipedia

