豊川と云ったら豊川稲荷 
 
嘉吉元年(1441年)、東海義易によって創建。室町時代末期 今川義元伽藍を整備した。 現存する諸堂は江戸時代末期から近代の再建である。

稲荷信仰

前述のとおり、豊川稲荷の「稲荷」とは荼枳尼天のことである。妙厳寺では「だ枳尼真天」と表記する(「だ」は口偏に「託」の旁)。荼枳尼天はインドの古代民間信仰に由来する女神であるが、日本では狐信仰と習合し、稲荷神と同一視されるに至った。
鎌倉時代の禅僧寒巌義尹(豊川稲荷では法祖として尊崇)が入し、文永4年(1267年)、日本へ船で帰国の途上、荼枳尼天の加護を受けたのがきっかけとなり、この神を護法神として尊崇するようになった。後に寒巌の6代目の法孫にあたる東海義易が妙厳寺を創建するに際し、寒巌自作の荼枳尼天像を鎮守として祀ったという。豊川稲荷で配布している御影を見ると、荼枳尼天は白狐の背に乗り、稲束をかついだ女神である。
その後、開基の今川義元織田信長豊臣秀吉九鬼嘉隆徳川家康などからの帰依を受けたほか、江戸時代になると、大岡忠相渡辺崋山からの信仰を受け、更には商売繁盛の神として庶民からも信仰されるようになった。また、皇族においては有栖川家等も帰依し、「豊川閣」の篇額を寄進したことから、豊川閣とも呼ばれるようになった。
稲荷神社としては京都の伏見稲荷大社を総本山としているが、豊川稲荷は神社ではなく寺であり、上述したように、信仰対象は「稲荷」と通称されてはいるものの、稲荷神そのものではなく、荼枳尼天である。
また、俗説であるが、平八狐を祀っているともいわれている。 by Wikipedia
 
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