アジアからみた日本 | ホーチミン市(旧サイゴン)在住・証券アナリストのタイ株、ベトナム株、日本株ブログ

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ホーチミン市(旧サイゴン)在住の証券アナリスト・竹内浩一が、ベトナムを中心に世界の金融市場を見渡すブログです。

 勤労感謝の日(23日)に下の様なニュースをみました。それについて感じたことを少し書きます。

「恩返ししたい」派遣村の元村民が炊き出し(11月23日16時45分配信 産経新聞)

「東京・日比谷公園の「年越し派遣村」で支援を受けた元村民らのボランティアチームが23日、「勤労に感謝できない日」と銘打ち、東京・芝公園で炊き出しを行った。ホームレスら約500人に豚汁やふかしイモなどを配布。主催した元村民の多くは現在も生活保護で暮らしており、「派遣村でお世話になった恩返しがしたい」との思いから、この日の炊き出しを企画した。
 代表を務める元村民の男性(48)は、千葉県内の運送会社で契約社員としてトラック運転手をしていたが、約2年前に積み荷の下敷きになって右足を骨折。直後に解雇され、間もなくアパートも追い出された。ネットカフェなどを転々としていたが、今年1月2日にニュースで派遣村を知り、助けを求めた。
 男性は派遣村のボランティアに同行してもらい、生活保護を申請。千葉県内にアパートを借りることもできた。足や腰などに痛みが残るため働くことはできないが、「同じように苦しんでいる人を助けたい」との思いから、元村民らとチームを作った。昼間は公園などを歩ることもできた。足や腰などに痛みが残るため働くことはできないが、「同じように苦しんでいる人を助けたい」との思いから、元村民らとチームを作った。昼間は公園などを歩いこともできた。足や腰などに痛みが残るため働くことはできないが、「同じように苦しんでいる人を助けたい」との思いから、元村民らとチームを作った。昼間は公園などを歩いてホームレスに話しかけ、働けない人に対して生活保護申請のアドバイスなどを行っている。
 この日の炊き出しもボランティアチームで企画。企業の労働組合の協力を得て500人分の食事を用意したほか、11月30日に政府が試験的にスタートさせる「ワンストップサービス」の説明会も行った。
 男性は「派遣村で多くの人に支えてもらい、何とか生活ができるようになった。困っている人の相談に乗り、少しでも手助けができれば」と話している」

 素晴らしい話で「勤労感謝の日にぴったり」の話題ですね。

 今から数年前になりますが、ペナン島(マレーシア)で年老いたインド系のサムロー運転手と話したことを思い出しました。年老いて痩せこけたサムロー(三輪自転車タクシー)運転手の彼は日本からペナン島へ観光に来る女性をベタ褒めしていました。どうベタ褒めしていたかというと、「私はインド系で貧乏な年寄りのサムロー運転手だ。ペナン人も欧米人もみんな自分のことを馬鹿にした態度をする。でも日本の女性だけは決して自分を馬鹿にした態度をしようとない。日本人は良い」と言っていました。観光客には欧米人も多いのですが、「日本人(特に女性)の育ちの良さ、礼儀正しさは世界一」なのだと思いました。

 私が見る限りでも日本人旅行者(もちろんバックパッカーも含む)はアジアでその真面目さと素朴さで群を抜いています。アジアを旅行する日本人バックパッカーのブログなどを読むと「ついさっき知り合ったばかりの現地人と平気で一緒に飲みに行って、酔わされてカメラを盗まれたり」しています。人を疑うことを知らない「育ちの良さ」を今の「若い世代の日本人」は持っています。「若い世代の日本人」は「平和な社会」で育った「育ちの良いボンボン・お嬢」なのです。

 サブプライムで米国金融がこけて米国の需要は「劇的」に落ち込みました。サブプライム前のような米国人の需要が回復するには米国不動産価格・株式価格が元に戻ることが必要です。でも・・1990年の日本のバブル崩壊後をみても明らかなようにそれは決して元には戻らないでしょう。つまり、米国の需要はもう二度と元には戻らないと思います。「ハンプティダンプティー」・・「帰らざる河」を越えてしまったのです。

 中国のような大きな人口を抱えている国は、「輸出(外需)」から「内需」に切り替えようと躍起になっています。世界から顰蹙を買った「バイ・チャイナ(中国製製品購買運動)」がそれです。しかし、顰蹙を買ったといっても、米国も同様なことをやっていますから米国にはパトスがありません。ちなみに8500万人の人口を抱えるベトナムも「バイ・ベトナム」でベトナム製品の購入をベトナム人に呼びかけています。

 こうした世界の保護主義化はグローバル経済にとっては良いことではありませんが、一方で、日本政府は事態に対して何の策も持ってないように思えます。日本の若者人口はどんどん減少しているので内需拡大も限界ですよね。

 日本人の給料は上昇せず、ボーナスは減少する。生活設計は狂ってローン破産、ローン地獄に陥る人間が続出する。リストラや失業が当たり前になる。街中に失業者が溢れ、絶望的な閉塞感と停滞感でいっぱいになる。それでも、明治維新や戦後のような劇的な構造改革は日本にはできないでしょう。ジム・ロジャースがインタビューで答えたような、かつて米国や欧州各国がやったような「移民受け入れ」の意思決定すら日本人にはできない状況です。

 もし、この状態が「仮に」イギリスやイランや米国で起こったとしたら「暴動」が起こると思います。1970年代後半、イギリスの若者の間では、「パンク」が流行し、「バンダリズム(公共物破壊行為)」が横行しました。

 今の若者世代で日本社会の現状について、旧世代に対して怒っている人はいないのでしょうか。恩返ししたい人ばかりなのでしょうか。

 歴史的経験からいうと、日本人はある「臨界点(critical mass)」を超えると劇的(一方通行に)に化学変化します。しかし、既に育ちが良くなりすぎてしまった日本人が「臨界点」に達したときには既に、「日本は今の日本ではなくなっている」ような予感がします。そして今の日本ではなくなった日本では、暴動が横行するかもしれません。「今の日本ではない日本」が何か?それはわかりません。中国の一省になった日本か。中国と共存共栄している日本か。外国人が人口の多数派を占めている日本か。それはわかりません。いずれにしても、いまの政治家は「明日の票」のことを自分の死後の日本(「子供・孫世代」)のことよりも気にしている現状には頭痛がしてきます。なんという「近眼」なのだろうか・・・

 それにしても、「どうして若者は怒らない?」のかは私には「不思議」です。どんどん若い世代の財産が食い潰されているのにもかかわらず、日本に「暴動」が起こる気配はありません。日本の若い世代は、「育ちが良くなった、代償(the price)として、「種としての野生の本能」を忘れてしまったのかもしれないと今は疑っています。 

(ちょっと「若い世代」のことを皮肉りすぎたので、バランスを取っておきます。)

 それにしても、村山元首相・故橋本元首相など(米国による)戦後日本教育改革の影響を強く受けた世代が表舞台からそろそろ消えかかっているのはとても良いことのように思われます。べーっだ!

 今、日本は史上空前の円高(87円台前半)です。もしかしたら「ここ数年」が「最後の円高」なのかもしれないとなんとなく感じています。その後は「緩くて長い」円安トレンドが続くかもしれないですね。相場格言「What comes up must go down.」のように。