昨晩(日曜日夜)のバンコクは大雨。バンコクでは44ヵ所で洪水となりました。内、42ヵ所では月曜日の朝までに水は引いたものの、ラチャダー・ラップラオ交差点とポンペット市場周辺では本日午前中まで水は引かず支障をきたした模様です。
バンコクにしばらく住むと、スコールの洪水には皆慣れっこになってしまいます。猛烈なスコールのあと雨水が排水するまで1~2時間かかるのです。要するに、日本と比べて排水設備が未整備なのと、降雨が一時的且つ強烈なのです。特に雨季終盤の9月、10月は大雨に見舞われます。
バンコク都庁によれば、バンコクの下水道は60ミリ程度の降雨までは問題は生じないが、昨晩は100ミリを超える大雨だったのが洪水の原因とのこと。
もともと、タイの位置するインドシナは中国とインドの間の山間部の土砂を数個の大河が運搬・堆積してでできた土地で、バンコクは、昔は「東洋のベニス」と呼ばれるほど、水上交通が盛んな都市でした。まさに「水の都」。
歴史を振り返ると、16~17世紀にかけて、タイのアユタヤはチャオプラヤー川とその支流に囲まれ、国際貿易港として繁栄しました。当時はアユタヤ朝の時代です。アユタヤ朝は、カンボジアのアンコール帝国を衰退に追いやり(たぶん今の日本と違って規制も少なかったのでしょう)大繁栄し、現在のタイ王国の基礎を形作ります。外国人を受け入れ、日本人村も出来、有名な山田長政も活躍しました。日本人村の対岸にはポルトガル人村もあったようです。
その後、アユタヤ朝がビルマに倒された後、現王朝の初代王ラーマ1世(チュラーローク将軍)は、1782年に首都をトンブリーからバンコクに移したのがそもそもバンコクの始まりです。トンブリーからバンコクに遷都したのはビルマの圧力を避けるため。当時のバンコクはただの湿地だったそうです。
そもそも、インドシナは「堆積でできた土地」なのです。標高も低いです。今も、チャオプラヤー(タイ)、メコン(ベトナム)、イラワジ(ミャンマー)などのインドシナの大河は中国とインドの間の土砂を綿々と海へ運び続けています。
タイに住んでみて思うのは、「インドシナ」というのは名前だけじゃなくて土地としても文化的にも「インドシナ」なのだなあ、ということです。ちょとまとまりがなくなってきたのでこの辺で止めておきます。
(追記)
日本は衆院選挙で民主が歴史的大勝ですね。いまの不景気の責任を自民が取らされた形です。しかし、民主は日本を良い方向に導いていけるのでしょうか。でも日本って、与党が変わっても官僚は変わらないんですよね。米国やタイはすべてが入れ替わります。いずれにしても、政治家には「孫の世代」のことを考えた政治を行って欲しいものです。