こんばんは
平成23年12月28日
かあちゃんの母は93歳で永眠しました
お寺から
今年は13回忌です
と
連絡頂いていたのに
先へ先へ
と
引き伸ばし
結局
今日
命日を迎えてしまいました
13回忌の法要出来ず
申し訳なく
悲しい
母は
12人兄弟の末っ子として生まれ
田舎の名家で
苦労なく
大事にされて育ち
嫁いでからも
お手伝いさんや子守りの子がいて
本が好きで
のんびりと
読書三昧で
過ごしていたみたいだったけれど
昭和22年に
父が亡くなり
暫くして
婚家をでて
娘のかあちゃんを連れて
大阪に出て
40歳過ぎてから
生まれて初めて
働きはじめ
79歳まで
働き
母の姉や兄に
金銭的な援助を受けていたとは言え
大変大変苦労して
かあちゃんを育ててくれました
81歳で
軽い脳梗塞で倒れ
入院
退院後
丁度
平成11年
介護保険制度が始まったばかり
制度始まったばかりだったので
ケアマネージャーさんは
丁寧で
一生懸命だった
介護保険の適用を受け
5年間
ディサービスに
通いました
その後
転倒して
寝ったきりになり
9か月ほど
自宅介護
その後
要介護病院で
7年間
長い長~い寝たきり生活
本当に
辛い辛い寝たきり生活
かあちゃんは
当時
あまり事情が分からず
食事を食べなくなったので
胃に穴をあけて
食事を摂る方法
所謂
「胃瘻」というやつ
言われるままに
認めてしまい
後になって
分かったけれど
これは
「生命維持装置」だった
長い長~い辛い辛い
寝たきり状態
を
招いて仕舞った
かあちゃんは
その時
お仕事をしていたので
仕事終わりに
車で
病院に
運転中に
眠くなり
窓を開けて
眠けを払うべく
ほっぺを
叩きながら運転して
病院へ
夜の病院は
し~んとしていて
ヘルパーさんや看護師さんも
2~3人
入院当時は
母もまだ陽気で
良くおしゃべりをしていた
認知症が始まる前は
無口で
愛想もなく
かあちゃんは
少し
ばあちゃんが
苦手だった
しかし
認知症がはじまると
ビックリするほど
陽気で
元気に
良く喋るようになった
こんなに
変わるものか
と
思ったものだ
写真の頃は
まだ
鼻からチューブで
食事を
摂っていた
随分
苦労して
辛かったけれど
認知症が始まると
苦労から
解放されたように
明るくなったのは
救いだった
本来は
明るい人だったんだ
と
思った
可愛いおばあさんになった
でも
長い寝たきり生活は
やはり
だんだん厳しくなり
本当に
可哀そうで
辛かった
保存していた
ばあちゃんの写真を
捜していて
なかなか
見つからず
1時に
なってしまった
では
また
おやすみなさい