最近、ちょっと気になってたること。
スピリチュアルな世界、
精神世界を勉強する者として、感じること。
というか、求められていることって
善であることなんですよね。
幸せであること。
みたいな。
で、思うわけですよ。
それってどうなんだろうな、と。
こういう世界を勉強する人って、
よくありたい、幸せでありたい!
って人が多いじゃないですか。
そのこと自体は、すごくすばらしいし、
善であることのパワー、
幸せであることのパワーってのも、
実際にやってみて、実感してるんです。
でも、なんだろう。
皆、必要以上にネガティブを避けてる気がする。
私の気のせいですか?
不幸なのはそんなに悪いことなのだろうか。
うーん。
確かに不幸は辛いし、しんどいし、疲れるし。
回りも不幸にするし。
それをいかに幸せに転換できるか、というのも、理解できるんだけど、
不幸も含めて、幸せも、どちらも必要やと思うんですよ、最近は。
まあ私、去年、鬱で、本気で死のうかと悩んでた時期もあります。
でもあの頃は、それをチョイスしていた。
まあプラスに戻ろうとしても、戻れなかったけれど、
落ち込みたかったから、落ち込んでた。
そのことの心地よさってあるんですよね。
共感してくれる人いるのかな(笑)
これは俺の独断と偏見に満ちた意見ですが、
人は自由です。
でも魂は、自由ではありません。
純粋な魂のままでは、+にも-にもなりえない。
0なのです。
0に固定なのです。
幸せもなければ、不幸もない。
悲しみもなければ、喜びもない。
それが、生まれてきてない、ってこと。
人は生まれることで、始めて自由になれる。
楽しむことも、悲しむことも、
幸せになることも、不幸になることも。
なんだって、選択できる。
それこそが、自由である。
と、思うんですよ。
どれだけすごい正のエネルギーだろうと、
どれだけすごい負のエネルギーだろうと、
中心にあるのは0です。
始まりと終わり。
それらはすべて、一つのもの(0)が姿を変えたものに過ぎません。
幸せも、不幸も、
実は姿を変えただけの、同じものである・・・
という気がします。
やっぱり間違ってるのかなー。
でも、そんな気がするのです。なんとなく。
このことは、今年の始め、
まだ私が鬱だった頃に、
「何故人は生まれてきたのか」
「何故人は苦しむのか」
ということをノートに書いて、
辿り着いた結論です。
この結論を得て、
鬱は快方に向かいました。
幸せになったほうがいいんだろうな、
というのも理解できるんですよ・・・
愛や希望や感謝、そしてそれらの頂点である幸せ。
そのエネルギーのすごさは知ってるし、
そのエネルギーを利用することで望む人生手に入れられることも、
その方法も知ってます。
ただこの理論だと、幸せになったほうがいいことの理由が説明できないんです(笑)
ねえ?
何故人は幸せになるべきなんでしょうか?
という、ながーいながーい、
ひとりごと
でした。