醸造所の見学を終えるとテイスティング
その前にガーギッチヒルズエステイトの展示があります。
マイク・ガーギッチ、孫娘と写真に写っているそうです。
マイク・ガーギッチは90歳を超えており、未だ現役。
マイク・ガーギッチはクロアチアの出身で、首都ザグレブ大学在学中に教授から「カリフォルニアはパラダイスだ」という言葉に感銘を受け当時ユーゴスラビアだった自国を離れアメリカに移りました。
当時革新的だったBeaulieu、Robert Mondavi Wineryなどを転々とし、ガーギッチ氏はナパのワイン界の陣頭に立っていたAndreTschlistcheffやRobert Mondaviと共にワイン作りに励みます。それらを経て1972年にChateau Montelena Wineryでワインメーカーとして入り、後にパリスの審判と覇者となるワインを作り上げます。
世界を驚かせたパリスの審判で白の王者となったシャトー・モンテレーナのシャルドネを仕立てたのがワイン・メーカーのマイク・ガーギッチ氏だったのです。
Grgich Hillsでは1976年の「パリスの審判」で白ワインのNo.1となった1973年のシャトー・モンテレーナがディスプレイーされています。
シャトー・モンテリーナ・ワイナリーにも1本ありますが最後の1本は英国のワイン愛好家が1万1325ドルで落札したとの事。
1976年、フランスのそうそうたるワインを破り当時無名だったカリフォルニア・ナパバレーのシャルドネが世界一に選ばれました。ワイン界に衝撃を与えたこのテイスティングはギリシャ神話に例えて『パリスの審判』と呼ばれます。
当の本人は自分が作ったワインが審査されていた事も知らず、パリからいきなり祝福の電報が来て一瞬困惑したんだとか。
それと同時にワイン界に大きな変化が訪れると感じたガーギッチ氏はパリスの審判の優勝を機に独立、Grgich Hills Wineryを設立しました。
生まれ故郷のクロアチアにもワイナリー(Vinarija Grgic) を建てたり、ジンファンデルぶどうの先祖はクロアチアのものと突き止めたりと、何かと祖国のワイン界を盛り上げているガーギッチ氏です。ナパのワイナリーでも誇らしげにヴィナリヤ・ガーギッチのボトルを飾ってあります。
パリスの審判を描いた映画。ボトルショックという映画があります。シャトー・モンテリーナが中心でマイク・ガーギッチは登場しませんが。
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