ペーター・ハントケ『子供の物語』の冒頭部。

・ときおり主語がder Erwachseneで語られる。子供はdas Kind。言葉の選び方が独特に思われる。造語もちらほらある。
・構文は難しくないけれど、後ろに形容詞句がずらずら並ぶのでやっかい。
・急に現在形になる箇所がある。イメージの喚起かと思ってそれっぽく訳してみる。



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大人になるということは、将来子供とともに生きることだと思っていた。その想像の中には、言葉を交わさず一緒に住むこと、ちらと目で確認し合うこと、座り込んでぼんやりすること、無造作な髪の毛の分け目、幸せの調和の中や外にいることなどが含まれていた。繰り返されるこのイメージに照らす光は、薄暗かった。雨が降り始めようというころ、人気のないざらざらした砂のまわりを芝で縁取られた裏庭。おぼろげに伝わる背後にある家。頭上には密に重なり合った葉の天井。高くそびえるたくさんの木々があちらこちらでざわめきあっている。子供のことを思うことは、他に抱いていた二つの将来への大きな期待と同じくらい彼にとって自明のことだった。運命と確信した、かの日から秘密の輪を成してこちらへ近づいてきた女性への期待、彼だけに人間として尊厳のある自由を与えてくれる職業への期待。ただし、この三つの憧憬が一つのイメージになることはなかったのだが。

望んでいた子供が生まれた日、大人は病院の近くにある公園に立っていた。新年のすっかり晴れ渡ったある日曜日の朝、サッカーゴールの近くの砂地にある水たまりはプレーで踏みならされぬかるみになっており、そこからもやが立ち上っていた。彼は病院で、遅刻したこと、もう子供が生まれていたことを知った(おそらく彼は誕生の現場の証人になることに恥じらいを感じていたのかもしれない)。廊下にいる彼のわきを通り過ぎて運ばれていった妻の口は、白く乾いていた。彼女は昨日の夜ほとんど誰も来ないこの緊急治療室で、こんなに高いストレッチャーの上に横になり、ひとりで待っていたのだ。彼が家に忘れ物を持っていくと、ビニル袋を持って扉のところに立つ男と、がらんとした部屋の真ん中にある高い台の上に横たわる女の間に、厚みのある平安の光景ができていた。部屋はかなり広い。彼らはいつもと違った距離で隔たっている。扉からベットまでの間には、むき出しのリノリウムの床がじいと鳴る白っぽいネオンの中で光っている。電気がぱちぱちと付くと、すでに女の顔は驚きも恐怖も浮かべず、入ってきた者の方に向いていた。その背後には、建物の半分に影の差した広い廊下と階段室が広がっている。真夜中をとうに過ぎた、一度きりの、何にも邪魔されることない、人気のない街の通りを漂い続ける平安の霞の中で。

仕切りガラスの向こうに子供が現れたとき、大人の目に映ったのは、赤ん坊ではなく完璧なひとりの人間だった(ただ、写真に写っているのは普通の赤ん坊の顔だ)。女の子だったことはすぐに彼の気に入った。しかしそうでなくても-これは後になって知ったのだが-、同様に嬉しかっただろう。ガラス越しに彼に差し出されたのは、「娘」ではなかった。ましてや「子孫」でもなく、子供だった。男は思った。実に結構。生まれてきてくれてよかった。子供という存在そのものが、特別な印なくしてまばゆい光を放ち、—罪なきものとは、魂の形をしている!—密やかなもののように外にいる大人に伝わってきたので、二人はその場ではやくも誓いによって結ばれあった。ホールには日の光が差し、彼らは小高い丘の上にいる。男が子供を目にした時に感じたのは責任感などではなく、守りたいという欲求、本能だった。両足でしかと立ち、急に自分が強くなったかのような感覚。