中書島 → 伏見桃山
踏切数・・・8ヶ所
両駅間は わずか900メートルですが・・
伏見区の中心部を斜めに縦断しているので・・
踏切銀座と言われる程 踏切が多く存在しています。
各踏切とも 人や車の通行量が かなり多く
通行を促する為の警戒ブザーが鳴りっ放しです。
集中監視しているんでしょうね・・!
また ○○図子という踏切があります。 Wikiで調べました。
※ 図子(ずし)とは・・
京都に作られた路地は 多くが袋小路で
内部者のみが利用していた。
この路地を貫通させ 通り抜けられるようにし・・
外部者でも利用できるようにしたものを・・
図子(又は辻子)と呼ぶ・・。 とあります。
N34°55′38.926″ E135°45′44.726″
付近の地名が 柿木浜町 踏切名の由来でしょうか・・?
この写真でわかると思いますが・・
踏切内の傾斜がきつく 見通しの悪い踏切です。
北側はすぐ宇治川派流に架かる蓬莱橋。
南側はすぐ宇治線へのポイント(渡り線)があります。
この区間では比較的交通量が少ない踏切です。
N34°55′41.271″ E135°45′45.596″
宇治川派流からは 少し北側にあります。
昔・・ 柿ノ木浜という船着場があったのでしょうか・・?
現在は 観光船(十石船)が運行されています。
N34°55′42.514″ E135°45′47.071″
南北に通る 新町通と交差する踏切です。
柿ノ木浜北踏切とは隣り合っています。 写真左奥は伏見南浜小学校・・。
N34°55′43.893″ E135°45′49.935″
名称の由来はわかりません。
非常に狭い踏切です。
東側・・ 写真奥方向の道は 一段と細くなっていますね・・!
N34°55′45.905″ E135°45′50.803″
南北に通る 両替町通と鋭角に交差する踏切です。
江戸幕府が開かれると すぐこの地に銀貨鋳造所 「伏見銀座」 が設置され
後年 両替商が多く軒を連ねるようになり 現在に続く町名にもなりました。
N34°55′46.767″ E135°45′51.357″
東西に通る 立石通と交差する踏切です。
踏切の西南(この写真では右手前)に以前・・
伏見の名水 「立石の井戸」 がありました。
酒造会社が樽で運んで 酒造りに利用していたそうです。
終戦後 湧水量が減り始め・・
昭和30年代には 使われなくなったそうです。
N34°55′50.533″ E135°45′51.358″
幅の狭い踏切です。 名称の由来は不明・・。
い ろ は に ほ へ と ・・何か関係があるのでしょうか・・?
写真奥方向に 近鉄京都線の高架躯体が見えます。
N34°55′54.348″ E135°45′52.113″
踏切西側に 大阪町という地名があり名称の由来か・・?
踏切幅の割には 非常に交通量の多い踏切です。
踏切ぎりぎりまで 伏見桃山駅のホームが延びています。
この踏切がネックとなり 伏見桃山駅のホーム延長ができず・・
現在 7両編成分の有効長しかありません。
8両編成も優等列車も停車できません。
中書島~伏見桃山~丹波橋の区間を高架化する・・
という構想があるらしいのですが・・
現状を見ると・・ 実現は限りなく不可能でしょう・・。








