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第八章    《キキョウ(37才)》 -邂逅-



 毎晩必ずアイハからの連絡が届く。

 あれからもう半年が経った。

 たくさんの話し合いの末、
 アイハは日本のインターナショナルスクールに通うことになった。

 彼は昼間、
 父の仕事の下に付き大工見習いとなり、
 夜は日本語学校に通っている。


 私は……
 私はここに残っている。


 彼とアイハとここで暮らす決意は出来ていた。


 ただ、
 彼とアイハと父と日本で暮らす覚悟は出来ていなかった。

 それは彼がまた不安定になった時に家族でここへ戻るよりは、

 まずは彼のやりたい生活をさせてみてそれから判断してみたらどうだろうという、

 博士からの提案を私が受け入れた形にはなっているけれども、

 本当は違う。


 私は父にトラウマを抱えているのだ。

 私は父が発達障害か軽度の知的障害者だと思っている。

 父は子育てが出来なかった。

 今で言う
 “ネグレスト”

 いわゆる育児放棄をしていた。


 父はいつも多くを喋らなかった。

 父はいつも仕事で居なかった。

 私は、
 今でこそそうは思わないけれど、
 日本を出るまで一人で生きてきたと思っていた。


 私が生まれてすぐに母が亡くなってから、
 父の背中に背負われ、
 父の職場の事務所に預けられ育てられたそうだ。


 物心がついた時には雑然とした現場の簡易事務所の回りで遊んで過ごしていた。


 小学校へ入ると、
 私は周りの子達が普通だと思うことを知らないことだらけだということに気が付いた。

 いつも同じ服ばかり着ていた私は、クラスの子からも距離を置かれていた。

 自分が汚いなんてわからなかった。


 髪をとくことも知らず、
 いつもボサボサで、
 そのうちストレスの影響かあちこちに円形脱毛が出来ていった。


 段々と身体が痒くなっていき、
 いつもどこかを掻いていた。

 そのせいで、
 顔や頭や身体の皮膚を掻き壊してしまい、火傷の跡のような顔や身体をしていた。


 私は
 いつもいつも
 痒かった。

 いつもいつも
 頭の中にまで虫が這いずり回るように痒くて、
 耐えられない日々を過ごした。

 父には病院へ連れていってはもらえず、いつも市販の塗り薬を塗られていた。

 それがとてもベタベタする薬で、
 服や髪にも張り付いてきて
 余計私を不快にさせた。


 代わる代わる来る父の知人らしき人達が衣服の用意をしてくれたり、
 髪を切ってくれたり、
 また父に私についてのことを意見したりしてくれていたが、

 誰の話も父は聞いていない様子だった。