次に『共依存(きょういぞん)』

 これは認知されるべき課題だと今僕は思う。

 『共に依存状態に陥る状況』のことを指している精神医学用語だ。

 ここからは僕の見解だが、『浸透』と言った方がわかりやすいだろうか。

 まず、人間というものは弱いもので、いつも「あんたがわるい あんたがわるい あんたがわるい あんたがわるい あんたがわるい…」と言われ続けると『あぁ、自分が悪いのかも知れないなぁ』というある種の洗脳のような状態に陥ってしまう。

 実際に精神病に関わる人達は支える側のはずが、その悲観的、排他的、個人攻撃的な考えに自己否定感を植え付けられることが多いらしい。
 僕自身、今でも自己否定感に苛まされる時がある。

 『病気になったのはおまえのせいだ』と重箱の角をつつくように、過去のありとあらゆる出来事を、四六時中罵詈雑言と暴力で責め立てられる。

 それに対して君には『耐える』ことしか出来なかった。相手は『精神病』という大義を盾にそれらを振りかざしてくるからだ。

 そうなると段々『病気だから仕方ない』というある種の諦めにも似た感情が産まれ、矢次早に来る人格否定との狭間に立たされるようになる。

 愛した人から浴びせられる人格否定の嵐だ。他人ならまだしも、一番そばにいたい人から浴びせられるのだ。

 堪ったものではない。

 そうやって自己肯定感を叩き潰された支える側の人はある種の『洗脳状態』に陥るのだと思う。

 次に境界性人格(パーソナリティ)障害を持っていた妻は極端な罵倒と謝罪を繰り返した。

 蓄積されていく自己否定感と謝罪による両極端な心の移り変わりにより『会話』が成立しなくなる。

 しかし、『会話』が成立する時も数多くあるのだ。

 この『両極端な心の移り変わり』と『会話の成立、不成立の不確定さ』が普段の生活で綾なすように折り重なる。

 例えば会社の社長の言うことと上司の言うことが日々ちぐはぐであったり重なることもあったり、正しい判断があったりとなれば、誰でも混乱するだろう。それが家庭レベルであるということだ。

 そうして気の付かないうちに『相手の為にならなければ』という自分の思いと『相手には自分がいなくてはならないんだ』という自己思考に縛られるようになり、そこに意識を集中するようになっていったような気がする。

 支えられる側の人(精神病疾患者)は自己否定感の塊であり、その救いを常に求めている。

 そして一番傍にいる家族に否定の嵐をぶつけ続け、時折調子の良いときに泣きながら謝罪する。

 その『謝罪』に、支える側の人はほんの少しの安堵を覚え、またその安堵を得る為、ハムスターのように相手の為に走り続ける。

 これが、お互いがお互いにとっての負の鎖で繋がれてしまう『共依存』の一つの形だと思う。

 そしていつか、支える側の人の生命力が枯渇した時、精神病疾患者はあっさりとその者を見限る。そして精神病疾患者の思考自体に悪気は無いのだ。

 詩織が『自分が悪いのではなく、自分を支えられない相手が悪い』という思考を持っているように君は感じていた。それを医師に相談すると、その思考自体が『病気の症状』だと言われてしまうのだ。

 モラルハラスメント。
 これを心寄り添った相手からされると心が破壊される。

 君の正義を押し付けた結果が、鏡のように詩織からのモラハラを生み出したのかも知れない。

 原因は確かに詩織の幼少期にあったのだと思う。
 最も『愛』が必要な幼少期に、それを与えられなかった空白の時間が存在するからこその思考なのかも知れない。

 『相手を思い遣る心』が無い訳ではないと思う。ただそれは心の片隅に巧妙に隠され、それ以上に『自分を守る心』が上回る故の行動だと今僕は思う。

 ここにこの課題の根本があるのではないかと感じている。

 だから君は精神病疾患者の思考の嵐に耐えうる為に『自分の中の正義』を確立するに至ったのだ。

 しかしそれは君の正義、言い換えれば固定観念をより強固にしたに過ぎない。

 そもそも、君は原因を詩織と義母にと決め付けていた。

 『自分は決して悪くない』
 『自分は被害者だ』

 そういう意識がどこかにあっただろう。

 君が考えたように『心の持ちようで世界は変わる』。

 君が理不尽だと思うのと同じように、鏡であるパートナーは理不尽だと思うのだ。

 君が『自分は悪くない』と思うように、相手も『自分は悪くない』と思うのだ。

 君が決め付けた正義が正しい理由などどこにもない。

 しかし、そうしなければ生きていけなかった事情も分かる。

 だが、
 敢えて、
 君が詩織と一生共にすると誓ったならば、
 こと詩織に関しては、
 もっと詩織の価値観を知るべきだったとここに記しておく。
 詩織こそが、君の価値観をモラハラに感じていたに違いない。

 詩織の立場に立てば、
 自身の心を開放する中、
 母から離され、
 子供の為にと生活を強要され、
 非常に苦しい状態であったと今僕は思う。 

 それは、僕が悪かった。

 

 

続き

<理解に努める>③