おはようございます。ここ、吉野梅郷は、再び、雲に、覆われた、朝を、迎えています。木々の、葉の、濃さや、湿った、空気や、どんよりとした、外の、光景からは、梅雨の、季節の、気配が、たっぷり、漂って、います。5月も、中旬に、なってる、訳ですから、まったく、不思議な、光景でも、ない、訳ですね。どんよりとした、空の、下に、咲く、紫陽花の、花や、菖蒲の、花などの、梅雨時の、季節に、咲く、花の、光景が、目に、浮かんで、きます。とは、云え、昨日みたいに、晴れた、日には、木々の、葉の、この、季節ならではの、美しい、光景を、目に、することも、できます。若葉の、季節が、去っては、戻り、戻っては、去って、行く、そんな、季節に、入って、きました。今週末は、温度は、上がりそうですが、晴れの、予報が、出て、います。終わりも、近い、若葉の、季節を、十分に、堪能して、みたいものです。

 

R.6.5.12  葉緑 (青梅市 和田町)

 

〈日影和田村 目医者伝〉 1

 かって、江戸時代、宝暦年間末から、明治時代、中ほどまで、日影和田村(現 和田町)には、約130年間に、渡り、受け継がれて、きた、和田の、目医者と、呼ばれた、家が、ありました。創業者を、和田東雲とし、其の、後、3代に、渡り、目医者は、開業され、4代目の、左右衛門が、明治26(1893)年に、亡くなくると、共に、閉業しています。創業者、東雲は、亨保15(1730)年の、生まれで、文化9(1812)年に、83才で、亡くなって、います。2代目は、左右ヱ門(さえもん)と、云い、通称を、左膳と、云いました。左右ヱ門の、生年月日は、不明ですが、天保13(1842)年に、高齢で、没したと、云われて、います。この、左右ヱ門は、医業熱心で、その、宣伝も、熱心に、行ったようです。以下のような、広告を、作り、各所に、配布したようです。その、広告は、現在も、残っています。以下が、その、広告内容です。

 『 私儀代々御がんびやうりやうじいたし候所、へんぴゆへゑん方の御方さま御ぞんじ無之付此の度所がきお目にかけ申し候御薬一と廻り代二百十五文、有り合はせこれなき御方には施薬さしあげ申し候。一廻り御とまり料七百文にて諸御さしつかえなく御せわいたし申し候

 尤も一泊にても百文のお泊り銭は御さし出し下されべく候。以上

 此のくすり旅費一切さし出さず候。近ぺんめいしゃ沢山よりこれありよくよく村名御ただし御入来下さるべく候。

 御めりやうじ所

 武州多摩郡玉川のはた青梅より上ミ御嶽山の麓二里下モ日影和田村

 めいしゃ 和田 左膳 』

 

 この、広告から、「市内めぐりある記」で、「和田の目医者」と、題された、文章を、纏められた、当時の、文化財保護委員、故 石川 いさむ氏は、次の様に、記されています。 『なお、「有り合わせこれ無さ御方には、施薬さしあげ申し候。」と、言い切っているところは、時代にもよるのでうろうが、その頃の目医者としての高邁な心意気がうかがわれるような気がする。』と、左右ヱ門の、医業を、評価されています。この、和田左右ヱ門、実は、医業だけで、なく、村政でも、活躍した、様子が、うかがえるのです。  (続く)  

    (市内めぐりある記 和田の目医者 文化財保護委員 石川 いさむ著 

     広報第202号 昭和45年2月15日 参照)

 

もったいない読書から 金言抄 鷗外全集 (岩波書店 刊)から 15

  1.  この本能は他の本能も犠牲にする。こんな事は獣にもあろう。併し、獣よりは人に多いやうである
  2.  本といふものは沢山あると、その中から生々した暖かい静けさが出て來るものだ
  3.  金がなんだ。金くらゐ詰まらないものが世の中にありゃぁしねぇ
  4.  何の目のために自己を解放するかが問題である
  5.  己(オレ)は自分の書こうと思ふことが、心にははっきりと分かってゐないので強いて余計な事を書いてゐるのではあるまいか