おはようございます。ここ、吉野梅郷は、昨晩から、雨が、降り続く、朝と、なっています。未明には、かなり、激しい、雨音が、聞こえて、きました。その、ためでしょうか。お稲荷さん下の、歩道は、櫻の、花弁で、白く、染まって、いました。一晩で、見事な、くらいに、櫻の、花弁は、歩道を、染めて、いました。最初に、この、歩道を、歩く、人は、どんな、思いを、持って、この、櫻の、花弁に、蔽われた、歩道を、進んで、いくのでしょうか。人に、よっては、もったいなくて、歩道を、避けて、わざわざ、車道を、歩む、人も、いるかも、知れません。そして、櫻の、花弁が、見られない、歩道に、再び、戻り、頭上の、櫻を、見上げながら、嘆息するかも、知れませんね。あぁ、櫻の、季節も、お仕舞いかと。あるいは、歩道を、振り返り、散り積もった、櫻の、花弁の、形状に、新しい、櫻の、花の、魅力を、覚えるかも、知れません。人の、心を、捉え続ける、櫻の、花の、季節も、また、一歩、新しい、段階へと、進んで、いっています。
R.6.4.8 青梅市和田町稲荷神社の櫻
鴎外全集の、読書は、17巻本の、「伊澤欄軒」に、入っています。 鴎外の、事蹟物と、呼ばれる、作品の、一つです。前16巻本では、同じく、事蹟物と、呼ばれる、「澀江抽斎」を、どうにか、読み通す、ことが、できました。この、大作、ブログに、何度も、記しているように、以前に、何度も、跳ね返されて、いる、大作です。今回は、岩波書店の、「鴎外全集16巻」で、その、活字の、大きさ、ルビの、多さに、助けながら、推理小説の、筋を、追って、いくかのような、感覚を、以て、読み進め、通す、ことが、できたと、云う、訳なのです。この、事蹟物、歴史的な、知識など、かなりの、多岐に、渡る、専門的な、知識を、備えて、読み、進めて、行かなければ、読んだとは、言えないと、思われ、以前は、これに、完全に、打ちのめされました。そして、今回は、そんな、経験が、あったものですから、ともかく、1回でも、最後まで、通すことを、最優先として、難しい点を、いちいち、調べたりは、せす゛、ともかく、筋を、追って、先へ、先へと、読みを、進めていったのです。この、過程で、登場人物の、広がり、繋がり、事物の、繋がり、発展に、面白さを、感じる、ようになっていきました。そして、それらを、明らかに、して、いくための、手法に、興味、関心が、湧いてきたのです。と、云うのは、この、爺めも、鴎外の、足下にも、及びませんが、ある、人物に、ついて、事蹟などを、調べたり、まとめたり、したことが、あったからです。これは、爺めの、父親が、調べて、いたことを、引き継ぐような、形で、行ったのですが、かなり、多方面に、渡って、足を、運んだり、資料を、取り寄せたり、情報を、得たり、している、姿を、思い出します。周囲を、見渡すと、このような、ことを、している、人が、かなり、いらっしゃったり、いらっしゃったことに、気が、つきます。明治の、時代に、行われた、鴎外の、調査の、手法は、実は、それを、範とした、ような、形で、一般人の、中にも、入り込んで、いる、と言うことなので、しょうか。そして、鴎外は、時代を、遡り、江戸時代、そして、それ、以前の、学者に、その、手法を、見い出して、いるかのように、思えるのです。云うならば、この、爺め、鴎外を、通して、古き、時代の、學問の、一端を、知り、実践も、していた、と云えるのです。これって、すごい、ことですね。もちろん、読書から、得られた、ことです。読書から、得られたこと、と云えば、一冊の、本が、二冊にも、三冊にも、そして、時には、十冊にも、広がって、いくことが、ありますね。一冊の、中には、いろいろな、人物や、出来事などが、含まれています。それらを、より、詳しく、知るために、それに、関連する、本などを、手に、する時です。これが、堪らなく、楽しいのです。知識の、広がりを、実感したり、反面、自分の、知識の、なさを、痛烈に、感じる、時でも、あります。例えれば、この、一冊の、本が、どんどん、広がって、いく、という、ことこそ、理想の、学習形態とも、いえるものですよね。学生時代に、庄司薫さんの、芥川賞受賞作品、「赤頭巾ちゃん気をつけて」の、中に、出て、來る、「われもこう」と、云う、言葉が、話題に、上がったことが、ありました。それを、話題に、上げたのは、新潟県出身の、文学青年肌の、クラスメートでした。今に、なって、思えば、この、クラスメートの、根本に、あったものは、鴎外の、姿勢に、通じる、ものだったのですね。この、爺め、そんな、ことが、あるとは、露知らずに、いました。そんな、ことに、気づけたのも、「澀江抽斎」を、読んだから、こそ、の賜り物と、思えます。賜り物と、云えば、江戸時代、明治時代などの、継嗣の、居ない、場合の、継嗣の、設け方など、ー言葉が、適切であるか、どうか、分かりませんがー、かなり、興味を、もって、知ることが、できたと、思っています。「澀江抽斎」や、「伊澤蘭軒」の、中には、かなりの、頻度で、養子とか、養女、入婿とか、云う言葉が、出て、来て、いたように、思えます。養子を、入籍させ、家を、存続させて、いくと、いうことなので、しょうか。それが、当たり前の、ように書かれていたと、思います。既述、しましたように、この、爺めも、ある、家に、ついて、調べた、ことが、あるのですが、明治時代、養子の、入籍が、多いのに、疑問を、持った、ことが、ありました。そのことに、どんな、目的が、あったのか、鴎外の、2作品を、読むと、その、作品の、中に、出てくるような、事実が、ごく、身近にも、あったことを、知ることが、できるのです。自分が、興味や、疑問に、思っていたことを、知ったり、考えたり、することが、できたのが、この、2作品で、あるということなのです。この、事実が、2作品を、爺めなりに、興味を、もって、読む、動機付けに、なったり、なっている、という、ことに、間違い、ないのです。現在、読み進めて、いる、伊澤蘭軒も、そんな、思いから、かなり、興味は、湧いて、きます。
もったいない読書 金言抄 夏目漱石 全集(筑摩書房 刊)から 38
- 新しき 畳に寝たり 宵の春
- 見付たる 菫の花や 夕明かり
- 雲の峰 雷を封じて 聳えけり
- 雨ともならず 唯凩の吹き募る
- 秋風の しきりに吹くや 古榎
- 名月や 過ぎに更けたる 東大寺
- 一人住んで 聞けば雁なき渡る
- 寄りそへば ねむりておはす 春の雨
- 短冊に 元禄の句や 京の春
- 馬子唄や 白髪も染めて 暮るる春