こんにちは。ここ、吉野梅郷も、一気に、櫻の開花が、進んでいます。ここ、2、3日で、お稲荷さんの、櫻など、花弁を、散らし、始めた、木も、あります。あれよ、あれよ、という間に、満開に、なりました。櫻の、花と、紫躑躅の、花の、紫色に、菜の花や、連翹の花の、黄色、それに、雪柳の、花の、純白や、猫柳の、若葉の、さ緑、芝桜や、花桃の、花の、ピンクが、加わり、お稲荷さんの、櫻の、周辺は、春、本番の、景観を、呈しています。少しずつ、時間を、追って、順番に、花が、開花していく、景観も、いいですが、今年みたいに、数種の、花々が、一斉に、満開に、なる、光景も、好いですね。周囲が、短時間の、うちに、華やいで、いきます。人の、心まで、弾んで、いきます。
R.6.4.2 和田町・お稲荷さんの櫻
もったいない読書は、岩波書店の鴎外全集第16巻まで、進んで、きています。この、16巻は、プルジェ原作の、「鑑定人」、リルケ原作の、「白衣の夫人」の、翻訳物2遍を、除けば、あとは、すべて、創作物が、収められて、いる、巻です。「天龍」、「最後の一句」、「高瀬舟」、「寒山拾得」、「澀江抽斎」など、鴎外の、代表的作品と、呼ばれる、作品が、収められて、いる、16巻です。現在は、過去、筑摩書房の、筑摩現代文学大系本で、読もうと、して、見事に、跳ね返された、「澀江抽斎」を、読んで、いるのですが、何の、抵抗も、なく、推理小説を、読んで、いるかのような、感覚を、もって、読み、進める、ことが、できています。岩波本の、方が、ルビが、多いのと、文字サイズが、大きい、ということが、作品を、読みやすく、しているのでしょうか。一度、跳ね返された、作品とは、思えないほどに、、面白く、読み、進めて、いくことが、できています。16巻本に、収められて、いる、既述した、数編の、作品は、鴎外を、代表する、作品と、云われて、いる、創作物だと、考えられますが、その、中でも、爺めは、「高瀬舟」は、逸品だと、思います。この、作品との、出会いは、高校時代の、現代国語の、教科書でした。何年生の、時の、教科書だったか、記憶は、定かでは、ありませんが、担当の、先生が、熱く、森鴎外の、代表的作品だ、と語っていたのを、覚えています。この、作品に、ついては、鴎外は、「附高瀬舟縁起」で、次の様に、記しています。『此話は翁草に出てゐる。池邊義象(いけべよしたか)さんの校訂した活字本で一ペエジ餘に書いてある。私はこれを讀んで、其中に二つの大きな問題が含まれてゐると思った。一つは財産と云ふものの觀念である。(略)今一つは死に掛かってゐて死なれずにくるしんでゐる人を、死なせて遣ると云ふことである。』高校の授業では、鴎外の、指摘する、二つの、問題のうち、二つ目の問題、「死」に関する、方の、問題を、中心に、して、進んで、いったような、記憶が、残ります。「安楽死」という、言葉が、出ていたか、どうか、記憶は、定かでは、ありませんが、鴎外は、間違いなく、「安楽死」について、その、是非を、投げかけた、ものと、考えられます。鴎外は、作品の、中で、罪人、「喜助」を、高瀬舟で、護送する、京都町奉行の配下の、同心、庄兵衛の、氣持ちを、次のように、描きます。
『喜助は其苦を見てゐるに忍びなかった。苦から救って遣ろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。殺したのは罪に相違ない。しかし、それが苦から救うためであったと思ふと、そこに疑が生じて、どうしても解けぬのである。』と。この、同心、庄兵衛の、心持ちは、作者、鴎外の、心持ちでも、ある、はずです。鴎外は、庄兵衛に、「そこに疑が生じて、どうしても解けぬのである。」と、代弁させます。そして、一つ目の、問題、「財産と云ふものの觀念」については、庄兵衛に、次のように、語らせています。『庄兵衛は只漠然と、人の一生と云ふやうな事を思って見た。人は身に病があると此病がななかったらと思ふ。其日、其日の食がないと、食って行かれたらと思ふ。萬一の時に備へる蓄がないと、少しでも蓄があったらと思ふ。蓄がないと、少しでも蓄があったらと思ふ。蓄があっても、又其蓄がもっと多かったらと思ふ。此の如くに、先から先へと考へて見れば人はどこまで往って踏み止まることが出来るものやら分からない。』と。どちらの、問題も、はっきりとした、結論を、得ることなく、語られます。この、なんとも、云えない、模糊とした、庄兵衛の、心情は、作品の、中の、情景に、見事、描かれていきます。この、情景描写が、実に、味わい深いと、爺めには、思えるのです。抜き出してみます。「入相(いりあい)の鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走つて、加茂川を横切って下るのであった。」、「知恩院の櫻が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍しい罪人が高瀬舟に載せられた。」、「其日は暮方から風が歇んで、空一面を蔽った薄い雲が、月の輪郭をかすませ、やうやう近寄って來る夏の温かさが、兩岸の土からも、川床の土からも、靄になって立ち昇るかと思はれる夜であった。」春の、宵の、模糊とした、情景が、爺めには、伝わってくるのです。そして、なによりも、最後の、一文は、この、「高瀬舟」という、作品が、逸品で、あることを、物語るに、相応しい、一文だと、思えるのです。「次第に更けて行く朧夜に、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべつて行った。」という、文で、作品は、締めくくられます。余情溢れる、終わり方です。読者は、何を、思うのでしょうか。鴎外全集を、読み進めてきて、常に、思ったことは、鴎外の、最後の、まとめ方でした。さすが、と思うまとめ方に、多数、出会いましたが、「高瀬舟」の、最後の、一文は、それらの、中でも、群を抜いていると、思えるのです。鴎外の、「高瀬舟」という、作品は、鴎外を、代表する、作品だとは、聞いては、いましたが、今回、爺めは、爺めなりの、その、意味や、重さを、理解できたと、考えています。
もったいない読書 金言抄 夏目漱石全集(筑摩書房 刊)から 36
- 吹きまくる 雪の下なり 日田の町
- 禅僧に 旛動きけり 春の風
- 梅の詩を 得たりと叩く 月の門
- 落梅花 水車の門を 流れけり
- 梅の奥に 誰やら住んで 幽かな灯
- 紅梅に 麗なる女主人かな
- 梅遠近 そぞろあるきす 昨日今日
- 月升って 再び梅に 徘徊す
- 月に望む 麓の村の 梅白し
- 月升って 枕に落ちぬ 梅の影