こんにちは。ここ、吉野梅郷も、大変、冷えた、1日と、なっています。朝、6時頃の、室外温度は、2度あまり。この、時点では、小雨だったのですが、7時過ぎ頃からは、目に、粒々が、はっきりと、確認できるように、なり、外へ、出ると、すべてでは、なかったのですが、白い、粒々が、洋服の、上に、舞い落ちて,来たのを、確認できました。やがて、牡丹雪となり、このまま、春の、淡雪で、終わるのかと、思っていたら、なんと、あれよ、あれよ、という間に、本降りの、雪と、なってしまいました。屋根には、積雪が、見られるように、なっています。密度濃く、降りしきる、というほどでも、ありませんので、大地への、積雪は、避けられそうですが、今年、2回目の、本格的な、雪模様と、なっています。春先に、よく、見られる、降雪の、光景です。本格的な、春の、訪れが、間近で、あることを、予兆する、春先に、よく、見られる、降雪です。

 

 現在、「もったいない読書」は、岩波書店刊行の、「鷗外全集第12巻 ファウスト」まで、進んできています。この、ゲーテの、世界的な、代表作と、いわれる、「ファウスト」の、翻訳に、ついて、鷗外は、「譯本 ファウストに就いて」と、いう、著作で、『私が、譯したファウストに就いては、私は、あの譯本をして、自ら、語らしめる、積でゐる。』と、述べています。「あの譯本をして自ら語らしめる積でゐる。」という、言葉に、興味が、湧いてきます。あの、翻訳物の、中に、鷗外の、考え方、主張が、取り込まれて、いると、理解しました。

 さて、鷗外の、考え方、主張と、言えば、「幸徳秋水事件」に、対する、鷗外の、態度は、この頃、活躍していた、多くの、作家以上に、気に、なります。「鷗外」という、人物が、ヨーロッパ文明を、直に、味わった、洋行帰りの、作家で、あると、同時に、陸軍軍医総監であり、陸軍省医務局長という、所謂、「権威」側の、立場に、あった、人だったからです。明治という、国家の中で、「危険思想」と、言われた、新しい思想の下、「権威」に、立ち向かい、そして、明治国家と、いう、「権威」の前に、儚くも、散って、いかざろうを、得なかった、幸徳秋水等を、目の当たりに、した時の、鷗外の、思いには、いかなるものが、あったのでしょうか。関心が、湧いてきます。。あの、「舞姫」の、作者で、ある、鷗外で、あるからこそ、余計に、関心は、深まってきます。鷗外を、「偉大なる折衷主義者」と、言う、臼井吉見は、その、著書、「大正文学史」の、中で、「(大逆事件に)鷗外は、鷗外なりに、対処した」と、述べています。それを、「五条秀麿」を、共通の、主人公とする、4作品、「かのやうに」、「吃逆」、「藤棚」、「鑓一下」の、中の、五条秀麿に、みています。「藤棚」と、いう、作品に、ついて、臼井吉見は、次の様に、述べます。『「藤棚」には、大逆事件に、触発され、態度決定を、迫られた、偉大な折衷主義者鷗外の面目が傷々しいまでに表明されている。』さらに、『鷗外は大逆事件に関わる作品を表すことで、時代の新たな転換に対して、躍起となって、身を乗り出していることがわかる。』と。鷗外の、官僚としての、立場、-陸軍軍医総監、陸軍省医務局長-に視点を、置き、その、立場から、かなり、厳しい、目で、鷗外を、捉えています。また、鷗外と、「幸徳秋水事件」については、中村光夫が、「明治文学史」の、中でも、触れています。大逆事件の、起こった、明治43年9月1日に,三田文学に、発表された、「食堂」という、作品については、幸徳秋水事件の、影響を、受け、その、刺激で、書かれた、短編で、あると、述べると、共に、幸徳事件の影響は、鷗外に、あっては、複雑に、屈折しているので、翌44年(幸徳秋水等が、処刑された年)の、小説「カズイスチカ」、「妄想」、「蛇」、「「百物語」等には、ほとんど、(幸徳秋水事件への)痕跡は、見られないとも、言っています。そして、その、影響が、見られる、作品として、臼井吉見と、同様に、「五条秀麿」を、共通の、主人公とする、既述した、四作品に、見ています。中村光夫は、次のように述べます。『秀麿という洋行帰りの学徒の眼を通じて我が国の文明を批評した小説。秀麿の思想は大体鷗外のものと思われる。』中村光夫の方は、鷗外の、作家という、視点を、軸として、述べられているものと,考えられます。このように、日本を、代表する、文学者ですら、その、捉え方は、異なっているのですから、この、爺めなどが、とやかく、言える、立場では、ないのですが、爺めは、爺めなりに、気の、ついた、.点を、綴って、みたいと、思います。爺めは、鷗外の、作家という、立場に、立ち、四作品中の、中から、秀麿の、言動に、注目し、幸徳秋水事件を、鷗外が、どのように、捉えていたのか、直接的にも、間接的にも、読み取れるのでは、ないかと、思われる、箇所を、抜き出してみました。以下は、それらの、表現です。

 

 〈かのやうに〉から

  1.  神話が歴史でないといふことを証明することは、良心の命ずるところである。それを証明しても、果物が堅実な核(たね)を蔵してゐるやうに、神話の包んでゐる人生の重要な物は保護して行かれると思ってゐる
  2.  僕は人間の前途に光明を見て進んで行く。祖先の霊があるやうに、背後(うしろ)を顧みて祖先崇拝をして義務があるかのやうに徳義の道を踏んで前途に光明を見て進んでゆく
  3.  神が゛事実ではない。義務が事実でない。これはどうしても今日になって認めずにはゐられないが、それを認めたのを手柄にして、神を凌す、義務を蹂躙する。そこに危険は始めて生じる。行為は勿論、思想まで゛、さふいふ危険な事は十分撲滅するが好い
 〈藤棚〉から
  1.  薬は勿論の事、人生に必要な嗜好品に毒になることのある物は幾らもある
  2.  世間の恐怖はどうかすると、その毒になることのある物を根本から無くしてしまはふとして、必要な物まで遠ざけやうとするやうになる
  3.  自由だの解放だのと云ふものは、皆現代人が在来の秩序を破ろうとする意向の名である。そして、それを新しい道徳だとゐっている
  4.  併し秩序は道徳を外に表現してゐるももので道徳自身ではない
  5.  秩序といふ形の縛(いまし)めには、随分古くなって、固くなって、改まらなくてはならなくなる所もできる
  6.  道徳自身から見れば、外形の秩序はなんでもない。さう云ふものの、秩序其物の価値も少なくはない。秩序があってこそ行ふことができる
  7.  秩序を無用の抑圧だとして、無制限の自由で人生の階調が成り立つと思っている人達は、人間の欲望の力を侮ってゐるのではあるまいか。余りの楽観的に過ぎてゐるのではあるまいか。
  8.  若し秩序を破り重みをなくしてしまったら、存外人生の階調の反対が現れて來はすまいか。人は天使でも獣でもない
  9.  さふ云ふ人達は秩序を破って新しい道徳を得ようとしてゐるが、義務と克己となしに、道徳が成り立つだろうか
  10.  よしや欲望と欲望との均斉をわずかに保つことを得るとしても、それで人生の能事が畢(おわ)るだろうか。人生にそれ以上の要求はないだろうか。

〈鑓一下〉

  1.  その人に睨まれたくないと云ふ情は、慥かに己の心のどこかに潜んでゐる
  2.  「ははぁ、思想問題でせうね。」「そうです。むずかしい時代で。」「どうも目上のものの、それに対する処置が一般に宜しきを得ないのですから。」
  3.  H君は頷いた。「旧思想を強ひやうとするのは駄目です。」  

  以上の、表現が、鷗外の、幸徳秋水事件に、対する、思い等が、読み取れる、表現だと、爺めは、考えました。もっと、もっと、深く、慎重に、読まなければ、いけないのでしょうが、爺めの、精一杯の、読解でした。

 

 

 もったいない読書 金言抄 夏目漱石全集(筑摩書房 刊)から 23

  1.  今の書生は学校を旅屋の如く思ふ  金を出して暫く逗留するに過ぎず 厭になれば すぐに宿を移す
  2.  かかる生徒に対する校長は 宿屋の主人の如く教師は番頭丁稚なり
  3.  主人たる校長する時には 御客の機嫌を取らねばならず 況んや番頭丁稚をや
  4.  勉強せねば碌な者にはなれぬと覚悟すべし
  5.  眞性なる教育家を作り出して 是等の偽物を追出すは 國家の責任なり