こんにちは。ここ、吉野梅郷は、昨日とは、打って変わって、初冬の、陽光に、穏やかに、包まれる、1日と、なっています。遠く、望む、赤ボッコ周辺の、山々の、色彩が、いよいよ、佳境を、迎えているかのようです。山々の、紅葉って、こんなに、綺麗だったっけ、そんな、思いに、なります。我が家の、周辺では、弁天様の、近くの、楓紅葉が、ボリュームたっぷりに、青梅ブルーの、空に、映えます。何年かぶりの、人目を、奪う、色彩に、染まります。勝手に、町谷渓谷と、呼んでいる、町谷橋、周辺の、楓紅葉も、見頃を、迎えています。午後の、傾き出した、初冬の、陽光が、何種類かの、楓紅葉に、差し込みます。色鮮やかに、楓紅葉が、浮き上がります。紅葉が、吉野梅郷を、包みます。

 

 昨日、青梅市立第五小学校150周年を、記念して、リニューアルされ、地域の人達、保護者にも、公開されている、「ふるさと歴史室」を、訪れてきました。明治から、現在に、いたるまで、生活用品、写真、などが、時代を、追って、展示されて、いました。それらの、中でも、特に、興味を、引いたのは、「天保年間の畠中村の古地図」と、題された、展示物です。現在の、青梅市畑中地区の、古地図です。畑中地区は、私めが、居住する、和田町とは、馬引沢川を、境と、する、隣町で、昔から、かなり、和田町と、関係の深い、地区なのです。ひょっとして、日影和田村(現和田町)の、一部も、描かれているのでは、ないか、そう、思うと、途端に、関心が、増して、きたということなのです。この、地図、南北が、反対に、記されているので、最初は、理解するのに、戸惑いましたが、何回か、見ていくうちに、現在も、実在する、寺院や、神社名が、出てきていたので、およその、場所は、分かるようになりました。この、古地図で、一番、興味を、持ったのは、当時の、道です。現在の、和田町から、畑中へ、通じる、主街道は、吉野街道と、呼ばれる、街道で、現在の、街道は、昭和も、半ばに、入ってから、整備されたり、拡張されたりした、道路です。ほとんんど、和田町から、畑中に、向かって、直線的に、走る、街道です。以前は、畑中地区内は、山の麓を、街道は、走っていたようです。幽かに、記憶は、残ります。さらに、和田町と、畑中を、結ぶ、明治橋が、馬引沢川に、架けられたのは、明治10年代で、それ以前は、和田町から、見れば、現在の、明治橋の、手前を、右折し、現在の、馬引沢林道方面に、向かい、馬橋と呼ばれる、橋で、馬引沢川を、渡り、直ぐに、左折した、道が、畑中地区に、向かう,道だったと、言われているようなのですが、その、道も、古地図に、載っているのだろうかと、いうことも、興味が、ありました。これらに、ついては、もう、少し、道路状況を、頭の中で、整理し、後日、再び、「ふるさと歴史室」を、訪れてみたいと、思っています。和田町には、「貫番覚之帳」と、呼ばれる、自村は、もちろんのこと、近隣の、村々の、人々の、生活の様子などか、記された、古文書が、残ります。その、古文書は、青梅市の、古文書学会の、方々に、よって、読み下され、現在、「久保家所蔵文書 貫番覚之帳」と、題された、冊子として、青梅市立図書館で、手に取ることが、できます。その、「久保家所蔵文書 貫番覚之帳」の、中には、橋の,修復に、関する、記事が、何点か、見られます。主に、人足として、何人出したかという、覚え書きとも、思える、記事です。これらの、中には、はっきりと、現在でも、使われている、橋名で、記されているものも、あれば、現在では、どの川の、どの場所に、架けられていた橋か、分からなく、なってしまっている、橋名も、あります。この、分からなくなってしった、橋名に、大変、関心が、深まって、いきます。これらも、青梅市立第五小学校の、「ふるさと歴史室」に、展示されていた、天保年間の「畠中村の古地図」を、丁寧に、辿っていけば、解決できる、橋名も、あるかも、知れません。興味は、尽きないのです。さらに、この、古地図の、面白い、点は、当時の、寺社の、建物や、その、配置などが、分かることです。かなり、精確に、描かれて、いると、思われます。現在の、寺社の、建物の数や、それらの、配置と、較べてみることの、楽しさも、出てきます。また、現在では、存在しない、神社名なども、かなり、記載されています。「久保家所蔵文書 貫番覚之帳」を、読み、私めが、想像した、ことなど、この、古地図に、よって、訂正されたり、さらに、付け加えられたり、することなども、ありそうです。それも、楽しみの、一つです。良いものを、見させて、いただいたと、いう思いです。

 この、青梅市立第五小学校の、「ふるさと歴史室」と、似たような、展示室を、過日、青梅市立

第七小学校でも、見させていただきました。この小学校の、展示室の、名称は、「いろり庵」と、呼ばれる、教室名で、あったと,思います。この、「いろり庵」を、中心になって、開設された、という先生が、青梅五小の、「ふるさと歴史室」とも、関係なされていたようです。同じ、方が、関わった、歴史展示室では、あるものの、その、収集物の、内容は、似ては、いるものの、明らかに、違いが、見られます。言うならば、地域の、特色が、色濃く、出ていると、思われるのです。地域の、学校ならではの、特色が、いかんなく、発揮されている、展示室と、言える、ものなのです。「地域に立脚した学校」。言われ続けてきた、言葉です。青梅市立第五小学校の、「ふるさと歴史室」や、青梅市立第七小学校の「いろり庵」は、その、言葉を、具現化します。地域文化の発信拠点とも、言える、教室です。