三十年を振り返る!!! その十六 取り除かなければならないもの
屋台村から離れて東京プロレスに移った拙者。
この頃は確か“三億円タッグベルト”が話題になっていた。
しかし、厳しい観客動員数が続く中、スポンサーが離れる事になってしまう。
しかし、まもなくバイク便会社のBSAという所がついて、難を逃れた。
BSAの略は、『ブルースカイ・エンジェル』らしく、オーナーがバイク乗り時代のチーム名からとったらしい。
息を取り直した東京プロレスに、新たな選手が加わる。
月光こと、折原昌夫さんだ。
拙者が今こうしているのも、折原さんとの戦いがあったからこそである。
運命の出会いだ。
正直、ウワサなどが先行していたせいか、“怖い”というイメージだった。
現に、東京プロレスに来る前は、FMWの当時の若手選手をイスでボコボコにしたりしているのを聞いたりしていたから、拙者も試合したらやられてしまうかも?!と思った。
しかし、お会いしたらそんな事はなく、気さくに話して頂いた記憶がある。
合同練習も折原さんが仕切るようになり、雰囲気も変わってきた。
折原さんがきたのは、おそらくジュニアヘビー級の強化だろう。
その頃はまだジュニアらしい選手が拙者くらいしかいなかった。
世間ではトップ・オブ・ザ・スーパージュニアだったかな?インディー、メジャーの垣根を越えた大会が開催されてから、みちのくプロレスさんや当時FMWからハヤブサさんが出場して、ウルトラC級D級(表現が古いか?)の技をやる選手達が出てきて、ジュニアヘビー級が盛り上がっていた時代だった。
拙者はまだこの当時はスワンダイブくらいしか飛ぶ技がなく、ムーンサルトプレスもできなかったし、キャリアが全然なかった。
折原さんのような名のある選手がいないと盛り上がらないことは分かっていたが、同じジュニアヘビーのラインにいきなり厳しそうな先輩がきたなぁと、緊張が走った。
当然の如く、試合をする機会が回ってくる。
タッグとかならまだしも、シングルマッチはいつにも増して緊張が走った。
ここ一番、良いところを見せたい!というより、とにかくボコボコにされず無事に終わって欲しい。そう願いながら戦った。
試合展開は覚えてないが、トドメのスパイダージャーマンを仕掛けられた時だ。
もうやられる!と思った瞬間!?
折原さん扮する月光と素顔の拙者が同じコーナーポストで宙吊りになっている。
無意識的に人間の防衛本能が働いたのか?
拙者も何が起きているか分からなかった。
スパイダージャーマンでぶん投げられるのを反射的に足をターンバックルに引っ掛けて防いでいたのだ。
戦いとして、作戦的な観点からみるとアリと思うのだが、プロレス的には何とも見っともない絵になってしまいあり得ない事になってしまった…
プロレスラーは、技を受けてナンボだ。
どんなに凄い危ない技を受けても耐えられる!
それを観せなければならないのに、技を受けなかった拙者。
結果、不甲斐ない試合となってしまった。
試合後、拙者もボコボコにされるのを覚悟していたが、何故かされなかった。
思えば試合中もそうだ。何かが通じたのかな?
拙者の弱点であるレスラーにしては異常なまでの恐怖心。
後に明らかになるが、折原さんは動物をこよなく愛する優しい方で、奇抜なファッションや荒々しいファイトスタイルも、それを出さないためのものだったらしい。
そんな折原さんは動物の気持ちを察する様に拙者の気持ちを読み取っていたのだろうか?
何しろ、プロレスラーとしては頂けなかった。
まだまだ未熟だった。
それを取り除けなければ、真のレスラーにはなれない。
これから幾度と対戦するであろう折原さんとの初対決で得たものは非常に大きかった。
続く