三十年を振り返る!!! その十一 晴れの舞台 | ザ・グレート・タケル及び“バッド”・ザ・グレート・タケルのオフィシャルブログ アメブロ版『オリエンタル・マジック』

三十年を振り返る!!! その十一 晴れの舞台

鶴見五郎さん監修の中、毎週末屋台村での試合が続く。


そんな中、剛竜馬さんの団体『剛軍団』が後楽園ホールで興行をやるとのことで、その第一試合を拙者と兄者マジックキラー2号と務めさせて頂く事になった。


プロレスのメッカ、後楽園ホールで試合ができるという事は、プロレスラーになって目標の一つだった。


屋台村で試合をしていてもなかなかプロレスマスコミが取材に来て頂けない。ウワサではプロレスラーとして認められていない、どこからかの圧力的なものもあるのでは?そんな話も耳にした事がある。


きっと名もない若いレスラーだけでやっているからかな?鶴見さんが監修役でも所属ではないからだろうか?そんな事も考えた事があるが、真相はいまだに分からない。


とにかく、屋台村プロレスWXYをアピールする絶好の場でもある。必ず認められる良い試合をしなければ!


と張り切るが、いつしか勉強した“平常心”でとの心がけもあった。



鶴見さんにもテスト的に練習を見て頂いて、いよいよその日がきた。



ほぼ満員のお客様が見守る中、兄者といつも屋台村のリングでやっているプロレスを、自分達のプロレスをやった。


お客様の反応も良かったと思う。


当時の後楽園ホールはヤジが強烈だった記憶があるが、ヤジも飛ばなかった。


とにかく、怪我もなく無事に終わった。



自分も、この後楽園ホールでプロレスができたんだ!



とにかく嬉しかった。



しかし、張り切り過ぎたのか?


当時の週刊プロレスさんだったかな?に載せて頂いたが、当時スープレックスを得意としていた拙者。


いつも試合でやっている投げっぱなしジャーマンをやったら、その写真が載り…



「新人にしては危険すぎる」



みたいなことが書かれた記憶があります。


屋台村の中では、拙者達がメイン張ってたし、観に来ているお客様は地味な技より派手な技を見たがる方々が多い。


だから良いというわけではないが、今考えればもう少し第一試合らしいというか、あまり派手な技は控えた方が良かったかな?


決して良い記事とは言えないが、プロレス誌にも扱って頂いた。


兄者マジックキラー2号とは、そんなかけがえのない思い出がある。


この頃は、後に本物の義兄弟になるとは夢にも思っていなかった。



そして、後楽園ホールで当時まだまだ未熟者だった拙者達の試合を組んで頂いた鶴見さんには改めて感謝致します☆






続く。