三十年を振り返る!!! その十 去る者残る者
テレビにも取り上げられて、雑誌の取材なども度々くるようになったPWC屋台村プロレス。
ウッチャンナンチャンの南原さんMCのテレビ番組『リングの魂』にも取り上げられて取材に入る矢先のことだった。
高野さんが屋台村から離れるという。
高野さんが当時戦っていた、ワカマツさん率いる『宇宙パワーX』との対戦が予定されていたが、話の流れで拙者とくいしん坊君が組んでのハンディキャップマッチになった。
テレビ番組、しかもプロレスメインの『リングの魂』に出れるという事で張り切っていたが、結果は惨敗だった。
この頃の拙者には、どうする事もできなかった。
自分の不甲斐なさ、実力のなさにどうする事もできなかった。
こうして高野さんが去ってしまった屋台村。
高野さんについて行くか?
屋台村に残るか?
大半の選手スタッフが残るというのもあり、拙者も残ることにした。
正直、高野さんについていっても次のビジョンがはっきり見えてないのが不安だった。
レスリング・ユニオンを辞めた時は、屋台村というビジョンが見えていたからだ。
それがなかったら、まだ残って練習生していたか、プロレスの道を諦めていたかもしれない。
それと、何よりもこの屋台村のリングが好きだった。
いつまでもしがみついてはいけないが、まだ離れるのには早い気もした。
拙者達は残ってしばらく試合を続けていき、後にWXY(レッスル・クロス・ヨコハマだったかな?)なる団体を立ち上げることになる。
旗上げメンバーにはほとんどの選手が残留して、マジックキラー2号兄者、クラッシャー高橋さん、サバイバル飛田さん、当時FULL所属だった菊タロー選手とOKUMURA選手もいたかな?今やDDTの大社長となった高木三四郎さんもいたかな?この辺りはその後からかがうる覚えだが、当時IWA格闘志塾の鶴見五郎さん監修の元、旗上げ戦が行われた。
残念だが、くいしん坊仮面君とはここで一旦お別れとなる。
高野さんのお兄さんであるジョージ高野さんが作ったFSRなる団体に行ってしまった。
ちなみにFSRのRは“レスリング”の意味らしい。FSWにすると、すでにあった大仁田さん率いるFMWと似た名前になってしまうかららしい。
話は戻して、今だから言えるが、鶴見さんが監修役になって頂けるまでの間、屋台村を狙っていたレスラーや関係者はチラホラいた。
当時は乗っ取られるのが嫌なのと、若い頃の何とかで変な自信もあり、屋台村にくるベテランの方々には良い印象を抱けなかった。
中には、変な言いがかりをつけてきてシュートマッチを仕掛けてくる大人気ない先輩レスラーもいた。
自分達だけでは守れるのか?心配だった。
そう考えると、鶴見さんにいて頂いて良かった。
鶴見さんには今思えばお世話になった。
これは推測だが、鶴見さんは拙者の事はよく思ってくれていたのでは?
鶴見さんは、屋台村にきてグッズやチケット販売良くやりにきていたが、度々石焼ビビンバを食べていた。
その時に拙者が持って行く事が何回かあって、コチュジャンをいたずらという訳ではないが、多めに入れて持っていっていた。
辛いの一言も言わずに、見た目こわもての鶴見さんだが、何となくご機嫌そうに食べていたような気がする。
それもそのはず、後から知ったが鶴見さんは辛いのが好きだったようで。
その意にかなった形となったので、良い目で見て頂いていたように思える。
この頃の屋台村イチオシのカードは、拙者対兄者マジックキラー2号とのシングルマッチ。
この兄者との試合が、大舞台で繰り広げられる事になる!
続く