あほばかしくなり、「意味なんかねえや」と我らはよく言い放った。今にして思えば、道元哲学からさほど遠くはなかったのだらう。
策略的言動を旨とする輩がいる。なにか西洋哲学の命題、とか、の「言語は発した人の思いを即他者に伝え得るか」から策略的言動を旨とするやうになったものらしい。
この命題には、私には私なりの解はある
即伝え得ないからとて、策略的にものを言って良いか。
Never でしかない。他者に精確に伝わることを期待するなら、ITなどのごとく、同じ encode, decode keyで解釈されねばならぬゆえ。
ならば、同一言語でコミュニケーションを図るのと、如何ほどの差があるか。
伊藤政治経済研究所、伊藤浩瑞



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